13.ゆっくりと近付いてくる顔をぼんやりと眺めていた。 リボーンの母親はイタリア人だって家光さんが言っていたからいわゆるハーフってヤツなんだろうけど、それにしても綺麗な顔だなと思って。 こんなに間近で見ることなんてあの時くらいしかなかったけど、あの時はそんな余裕もなく攫われて… って、この状況と似てないか?! 少し垂れた眉毛ときつめに上がった眦の奥の黒光りする黒曜石のような瞳に、ぼんやり見蕩れている場合じゃない。 唇にかかる息の湿った感触に身の裡から這い上がる何かがあって、それが何なのかは分からないけれど逃げ出せない身体に泣きたくなった。 理由も分からないのに、またキスされるなんて。 逃げたいのに動かない足は根っこが生えたようで、それでもされるがままになるのは嫌だった。 代わりに手で目の前の顔の進路を塞ぐ。 右の手の平にムニリと柔らかい唇が触れて、それを手で押し返すと生暖かい何かを感じた。 前にはリボーンで、後ろはキッチンへ繋がる扉。しゃがみ込んで逃げようにも、両手首をがっちりと握り締められていた。 逃げたくても逃げられない体勢で、手の平に感じるぬめった感触にぞわりと背筋が震えた。 下っていくそれが舌だと気が付いたのは手首を舐める姿を目にしてから。 チロチロを見え隠れする赤い舌の卑猥さに身体が小刻みに震え出した。 これはどういう状況なのか分からない。 先ほどまでの会話で何がどうなったらこんなことになるのか。 それともこれは自分の気持ちを分かってからかっているのだろうか?だとしたらさすがはホストと呼ぶべきか。 もしくはユニさんのことで誤解している腹いせだろうか。 違うのに。 やっと気付いた気持ちも分かって貰えず、こんな風に気まぐれでかき回される。 知らず両の目から流れた涙がポツンと小さい音を立ててTシャツに染みこまれていく。 人の気も知らないで、自分の思い通りにしたいからといって人の心の弱さにつけ込んで。それでも嫌いになれない自分が心底嫌だ。 滲む視界の先の顔がやっとこちらに気付いて悪戯をとめた。 表情なんか分からない。 それでもこちらを向いて握っていた手首からリボーンの手の力が抜けていくことだけは分かった。 顔を下に向けて、手首を引き剥がすと横に逃げる。 もう追ってはこないリボーンに、やっぱりただの悪戯だったのかと胸の奥がザラついていった。 こんなこと分かりきっていたのに、何でこんなに痛いんだろう。 言うことも分かって貰うこともできない気持ちなんて知らなければよかった。 いつまでもこんなことを続けていればいつかはバレてしまいそうだ。 唾液で濡れた手首を左手で庇いながら、この状況の打開策を探っていく。 こんなことになった最初を思い出せ。 …そうだ、ガンマさんだ。 ガンマさんが好きだと言ったらこんなことになったのだと気付いて、ふと閃いた。 なるほど、そういうことだったのか。 「…これからは兄さんってちゃんと呼ぶし、ユニさんにも明日振ってもらう。」 「ツナ…?」 「ちゃんと弟として、気に掛けてくれてたんだよな?だけどオレが兄さんだなんて思ってないって言ったから…だから腹立ったんだろ?それなのにバイトはこっそり尾行してくるは、彼女は取られるは…ってよく考えたら酷かったと思う。悪気はなかったじゃない。だから…ごめんなさい。」 本当の気持ちを隠しながらの震える声で謝る。 辛い、苦しいと叫ぶ心に蓋をして最初からやり直そう。 この気持ちは行き過ぎた兄弟愛だと無理矢理押し込めて、袖で涙を拭うと引き攣りながらもリボーンに笑い掛けた。 それを見たリボーンは伸ばしかけた手を握るとオレの横の壁に拳を打ち付けた。大きな音を立てて壁が崩れていく。 どうしていいのか分からずにリボーンを見ていると、酷く苦い顔をしたリボーンがこちらも見ずに階段を登っていった。 「今更戻れねぇ…」 とだけ呟いて。 最初に掛け違えたボタンはもう戻らないんだろうか。 こんな気持ち知りたくなかった… 翌朝は普段より少し早く目が覚めた。というより眠れなかった。 隣にリボーンがいるんだと思うと気になって、そして夜の一悶着も思い出した。 もう嫌われたのかと思うと辛い。 それでも自分から変わらなければリボーンも変わってくれないだろう。 部屋を出る前に着替えを済ませると、階下にいくために気合を入れた。 もう折れない。 好きだと思ったのは錯覚だ。だから弟としての好きに戻ろう。 口が悪くて意地悪しても、オレの面倒を見てくれた。それは少なからず好意があったからだ。 もう遅いのかもしれない。でも嫌いになれないし、好きでもいられないのなら家族として認めてもらいたかった。 だから頑張る。 その時のオレは、その頑張りが間違った方向だったとは気付かなかった。 . |