甘い声で囁くあの一件から2ヶ月が過ぎ、勝手に休職届けまで出されていたせいで結局年が明けるまで復職することができなかったのだけれど、やっと1月最初の月曜日から戻れることになった。 「別に戻らなくても嫁いできたんだから、そのまま専業主婦してりゃいいじゃねぇか。」 「嫁いでって…もう、どこから突っ込めばいいの……」 頭が痛い。 そもそもオレは嫁ぐことはできないんだけど。 リボーン相手に口で敵うわけもないので、ひとつ大きなため息を吐くと無視を決め込みソファに転がる。 転がった先で上から声を掛けられた。 「やっと戻ってくるんだ…よかったよ。今の代理担任が精神的に参ってるみたいだからね。」 転がるオレの横に腰掛けるのは受け持ちクラスの生徒であるマーモン。 何食わぬ顔でしれっと言っているが、こいつが今の代理を追い出そうとしている首謀者であることをオレは知っていた。 「お前ね、あんまり虐めんなよ。」 言えば肩を竦めるだけで、知らん顔している。 しょうがないヤツだ。 経済新聞を手にした状態でオレの頭を掴むとひょいっと膝の上に乗せられた。 「可愛い生徒の膝枕。どう?居心地は。」 「…う〜ん、女の子ならよかったんだけど……」 「いいじゃない。少なくとも兄さんよりは優しいでしょ。で、そろそろ飽きた?」 まだ言ってる。 本当にこの兄弟は冗談がキツイ。 しかも顎を掴まれたまま、マーモンの顔が落ちてくる周到ぶり。 両手でマーモンの顔を押えて、それ以上落ちてこないように力を込める。 すると片手を取られて押し戻す力が弱くなった。 焦っていると顔の上にボフッと何かが落ちてきて、間一髪のところでマーモンの顔との接触は回避された。 「うぶぶっ…!何するんだよ、リボーンは。」 「そりゃこっちの台詞だぞ。なに夫の目の前で襲われてんだ。自衛しろ、自衛。」 顔の上に落ちてきたのは雑誌で、投げ付けたのはリボーンだったようだ。 マーモンの膝の上から逃げ出して床に落ちた雑誌をリボーンへと投げる。パソコンから目を離しもしないくせにしっかりキャッチするとまたもパソコン操作に戻ってしまった。 リボーンの前に座るスカルもこちらを気に掛けていたようだが、手を出す前にリボーンが雑誌を投げ付けたらしくその早業に呆然としている。 なんというか、今の立場というのは微妙だ。 休職中の身なのであまり外にも出歩けない。家事はオレが引き受けているけど、スカルも手伝ってくれていてオレがここに居る意味がないんじゃないかと思い始めていた。 父さんと話し合い、ハルとも婚約は解消してきたのだから連れ戻されることもなくなった。 また近くのアパートにでも引っ越そうかと考えている。 やっぱり、オレとリボーンのことは教育上よくないと思う。 コロネロも居る時がよかったのだが、仕事で2週間は帰ってこないのだとか。要人警護って大変だ。 それはともかく。 リボーンが家に居る数少ないチャンスであることは確かだった。 ソファにも戻れず、かといってリボーンの横にも座ることができなくて床の上にへたり込んだまま口を開いた。 「あのさ…オレ、ここから出て行こうと思ってるんだ。」 ポツリと呟くと、マーモンとスカルがすかさず近寄ってきた。 「とうとう兄さんと別れたんですか?」 「意外に早かったね。いいよ、僕と一緒に出ようか。」 「ちっがーう!」 右手をスカルが、左手をマーモンが握り締める。って、オレ別れたなんて一言も言ってねぇ! そうじゃなかった。 「今までご厄介になってたのは緊急措置っていうか…実家のゴタゴタに巻き込まれたせいだし。それも一段落したからさ。」 オレの話を聞いていたリボーンが、パソコンから指を離すとくるりとこちらに振り返った。 「そうか、いつにするんだ?」 一番ごねると思っていたのに、意外やすんなりと話が通った。 一抹の寂しさを押し殺して今月中には見つけたいと言うと、リボーンはおもむろにパソコンへと向かう。 カチカチと何か操作しているなと思っていれば、こっちへ来いと手招きされた。 「何?」 「これくらいでどうだ?」 「……あのね、オレ一人で住むのにどうしてファミリー向けのマンションなんだよ。」 そもそもオレには払っていけない。 まったくもう、とリボーンを見れば眉間に皺を寄せていた。 「なんで一人で住むんだ?」 「なんでって…それはこっちの言う台詞だろ。」 「寝言は寝て言え。夫婦が別居なんてしねぇぞ。」 まだ言うか。 そろそろオレが折れそうになってきて困る。 ここで折れたら負けだと奮い立たせていると、ぐいっと腕を引っ張られてリボーンの膝の上に横座りの姿勢で座わらされた。 「ちょっと!」 高校生組の目の前での暴挙に慌てて膝から降りようとしたのに、腰と肩を押さえられて動けない。 恥ずかしくて暴れていると腕が絡み付いて抱き込まれた。 いよいよもって身動きが取れなくなって顔を赤くして下を向く。どうすりゃいいんだ。 すると耳元に口を寄せて軽く吸い付かれた。 ピリリとした刺激に思わず声が漏れたけど、慌てて口を噤んでリボーンの背中を叩くがびくともしない。 くつくつという笑い声が耳に響く。 「お前〜っ!」 「お仕置きだぞ。…もう勝手に居なくなるなよ。」 最後の言葉は妙に真剣で、びっくりして横にあるリボーンの顔を見ると怒ったような悲しいような顔をしていた。 「もう探せねーのはご免だ。」 「…うん。ごめんな。」 額を寄せ合っていると、後ろからごほごほとわざとらしい咳が聞こえてきた。 って、いうか。 「うわぁぁあ!ちょっ…離せって!」 マーモンとスカルが居たんだった! 今更暴れても遅いのだろうとは思うのだけど、このままでも居られない。 真っ赤になって逃げようとしたら今度は唇に吸い付かれた。 悲しいかな、慣れ過ぎで逆らう術さえ忘れたオレはすぐに白旗を揚げた。 ぐったりとリボーンの肩に凭れ掛かっていると、イイ顔のリボーンが高校生組に一言。 「諦めろ。」 「「絶対諦めない。」」 うん、お前らいい勝負だ。 さすが兄弟ってところかな。 . |