6.その日はけぶるような霧雨の降る一日だった。 大雨というほどではないが、一日中しとしとと降りしきる、濡れたアスファルト。綺麗に磨かれた革靴が汚れることも気にせずに歩いていく。 目的は会社から歩いて3分のカフェだ。 この近辺ではまともに飲めるエスプレッソを出す店はここしかない。 タバコよりも今は苦味のある味を欲して、仕事と仕事の合間に足を伸ばす。 カラン 乾いた音を立てて店内に入ると、時間が悪かったのか満席だった。 もう一度戻ることも億劫でさてどうしようと考えていると、近場の席から青年が声を掛けてきた。 「もう少しで出るんで、よかったら相席しますか?」 ふわふわとした跳ね放題の茶色い髪は、日本人にしては明るい色だ。ブリーチしたような風合いではない自然な髪色と同じ瞳が印象的な青年だった。 「悪いな。…いいか?」 「どうぞ。」 ニコリと笑うが、すぐに手元の本へと視線が落ちる。 それを何故だか惜しいと思った。 「待ち合わせじゃないのか?」 「え…?ああ、違いますよ。待ち合わせは別のところで、早く着き過ぎてここで暇潰しをしていただけですから。」 気にしないで下さい。と言うとまた視線を落とす。 もっとこっちを向いて欲しくて言葉を重ねようとすると横からマスターの声が掛かる。 「あれ、リボーンさん?綱吉とは知り合いでした?」 彼の名前は綱吉と言うらしい。 知り合いではないのでいいや、と答えるとああ…と察してすみません。と頭を下げられる。 「すぐに出るからいいよね?」 マスターとかなり親しいらしい綱吉が本から顔を上げてフォローする。 「いや、別に急いで出て行く必要はないぞ。気にするな。」 「そう?それじゃあお言葉に甘えようかな。おじさん、おかわり!」 「オレはいつもの。」 「かしこまりました。…綱吉、ここはコーヒー専門店なんだがね。」 苦笑いを浮かべたマスターが遠ざかる。 その言葉の意味を理解したのは持ってきたカップの中身を見てからだった。 「…それは紅茶じゃねぇのか?」 「うん。オレコーヒー飲めないんだ。」 先ほどもマスターが言っていたように、ここはコーヒー専門店だ。よくそんなものがあったと思っていると、綱吉が時計を覗き込み慌てて紅茶を飲み干そうとした。 「あちちっ!!」 「…こんな雨だ。相手もそれほど急いではこないだろ。ゆっくり飲め。」 思わず口に出すと、へにょりと眉を顰めてこちらを見詰める。 ちょっと涙目になった大きな瞳に視線が吸い寄せられた。 バツが悪そうにこちらを見ていた綱吉がそれでも必死に飲み込むと、そのままマスターに一言いって出ていってしまった。 その後、何度店を訪ねてもあの大きな瞳の青年には会えなかった。 マーモンとスカルが通う高校へと足を運んだのは、その青年と別れて1ヶ月が経とうとしている初夏への入り口に差し掛かった日だった。 その日は初夏に相応しく、ここ1ヶ月で一番暑い日で、ただでさえ見付からないあの青年の行方に苛々としていた。 いっそ人を使って調べるか…とまで思っていたほどだ。 「リボーン兄さん、くれぐれも粗相のないようにしてよね。」 進路を決める三者面談をと言われ、最初マーモンは必要ないと言っていたのだ。しかし、マーモンの担任がいくら成績がよくても、家族との会話もなく進めることはできないと突っぱねてきたらしい。 仕事も忙しく、すぐ下の弟に任せようと思っていたのだが、長期任務中だったため仕方なく来たという訳だ。 それにしても、マーモンのあの言いっぷり。何かあるとみた。 突くと一番手に負えない3番目の弟は、しかし件の担任にかなり懐いているらしい。 「別に何もしやしねぇよ。オマエは自分で決めりゃあいい。」 当然。と言わんばかりに頷く弟。 まだオレやコロネロより随分身体は小さいが、それでも平均よりは高い身長。 細い肩がまだまだ子供だが、惚れた相手には格好をつけたいお年頃なんだろう。 …惚れた相手? 成程。 確か担任は男だった筈だが、弟2人が通っているにも関わらず入学式すら来なかったので三男の担任の顔すら見たことがない。 横を見れば、一丁前に男らしい…とは言い難い繊細な顔だがキリッとした面構えになっている。 まぁそれもいいさ…と放任を貫く。こいつは誰の言うことも聞かない。こいつに限らず、うちの兄弟は全員だがな。 目的の教室に着いたようで、ピタリと足が止まる。 そこそこ綺麗になっていた廊下で兄弟2人が待っていると、すぐに声が掛かった。 「入るよ。」 「どうぞ。」 ガラリ…と開けたその先に座っていたのは… 「嘘だろ…。」 探していた先日の青年ではないか。 茶色い跳ね放題の髪、今は伏せられているが大きな瞳。他のパーツは小ぶりで全体的に小動物を思わせる。 「マーモン、遅いよ。また逃げたのかと思った。」 「ごめんね。兄さんが遅くて。」 「あ、お忙しいところをすみませんでした。マーモンくんの担任の沢田綱吉です。」 やっと視線を上げた。やはり彼だ。 しかしこちらを見上げる瞳は初めてあった生徒の保護者へのそれだった。 覚えていないらしい。 がっかりした気持ちを自覚して、らしくもなくうろたえる。 小柄な青年は弟の担任として目の前に現れた。 「…弟がいつも御世話になっています。こちらこそお忙しい中をお手間を取って頂きすみませんでした。」 いつもの横柄な態度を見せない兄に、三男は胡乱気な視線を浴びせる。 そうして三者面談は何事もなく終わったのだった。 . |