小説 | ナノ


1.君、美味しそう



ネス湖にネッシーは居なかったが、地球外生命体が居るのではないかと信じている者は意外に多いと思う。それがどんな姿形をしているのか、人類との相違点を想像して楽しむ者も多いらしい。
そんな世の中に自分のような存在が紛れていたとしても、案外バレずに暮らしていくことが出来ている。
まあ普段は人間と同じ姿をしているのだから、その時だけ気を付ければいいのだと思っていた。

ひっそりと静まり返った新月の夜。
あいつとの出会いはそこから始まった。





その日は月明かりのないどこまでも静かな夜だった。
森のざわめきも薄れ、少し冷えた風が柔らかく肌を撫でていく。
眠れぬ夜はこうして何をする訳でもなくただ歩くことで気分を紛らわせるしかない自分の性質を笑いながらも、それも悪くないと思っていた。

満月までまだ先が長い。
ムズムズするような身体の疼きに堪えながら鼻を利かせて歩いていくと、少し先の草むらに若い男と思しきの匂いを見つけた。
はっきり断言できない自分の鼻にイラつきながら、確かめてやるかと近付いていくと草むらの中の人影が慌てた様子で逃げ出した。
確かめるまで逃がすものかと地面を蹴り上げて人影の前に回り込む。すると酷く情けない声が静かな森に響いた。

「ひぃぃい!!オレなんか喰っても美味くないからっ!」

「…お前、夜中に迷惑だぜコラ。」

頭を抱えて地面に蹲りながらも大声を張り上げる声音は男のもので、だけど匂いがどちらともいえない。こんなおかしい匂いを持つ人間に出会ったことがなかったオレは、蹲っている身体を抱え上げるとオイと声を掛けた。

「こっちを向け。」

「…あれ?」

ブツブツと念仏を唱えていた口がオレの言葉に間抜けな声を上げて正気づく。恐る恐るといった調子でこちらを振り返った顔を見てもう一つの自分の本能が突然顔を覗かせた。
それは人としての自分とは全く別の獣のオレ。満月の夜にのみ現れる狼の部分が反応した。

「なんだ…人間か。よかった…狼男なんている訳ないもんな。」

懐中電灯を手にしていたそいつは、オレの姿を照らすとやっと安堵の息を吐きながらそう言った。その言葉にギクリと身体が揺れたが、それよりも今はこの衝動を抑えることに専念しなければならない。
伸びそうになる手をどうにか引っ込め、抑え難きを抑えるために頭を一振りするとそいつがわぁと声を上げた。

「綺麗な髪だね。どこの子?」

こちらを覗き込む瞳の色に引き込まれるようにグラリと身体が傾いでいく。伸ばされた手に抗うことなくじっとしていれば、割れ物を扱うような手がサラリと髪を梳いていった。

「ごめんね?オレはこの近くに住む児童擁護施設の職員なんだ。この森に中学生くらいの男の子が居たって報告を受けて探してたんだけど、迷子になっちゃって……いやそれはどうでもいいや。で、君がその子なんじゃないかなって。違うかい?」

訊ねる声はどこまでも優しくて、そしてどこか憂いを帯びていた。
そんな風に人に心配されたことなどなかったオレは、困惑とまだ引かぬ衝動とに慌ててそいつから飛び退くと草むらへと身を隠す。
それを黙って見ていたそいつは、おーい!と緊張感の欠片もない声を掛けてきた。

「また明日、ここに来るから!」

そんな声を背に森の奥にある隠れ家まで逃げ帰った。






言葉通りそいつは、オレの姿が見えなくともずっとそこへと通い続けた。
どうにも怖がりで弱虫らしいくせに、それでもあの夜と同じ時刻に必ず現れる。時にフクロウの鳴き声に悲鳴を上げ、また蜘蛛の巣を纏わりつかせて怯えながらも。

森という場所は人には優しくはない。特に夜はそれが顕著だ。
夏ですら気温が下がり体温を奪っていくというのに、秋にもなれば薄着でいることも出来ない。
1週間が過ぎ、2週間を越えてとうとう3週間目となった今日、姿を現さないオレを待ってこの寒空の下で船を漕ぎはじめた。

「…馬鹿か、コラ!」

「ふぇ…?」

寒さに震えながら寝入る一歩手前で怒鳴りつけると、ぼんやりとした表情でそいつは意識を取り戻した。
間抜けという言葉が一番当てはまる顔でオレを見上げるそいつを見下ろしながら、足を踏み鳴らす。

「こんなところで寝ちまったら死ぬぜ!そんなことも分からねーのか!?」

「あっ、…やっと、顔を見せてくれたね。」

ほわんと緩めた表情を月明かりにのせてオレを見詰める。
やられたと知ってももう遅い。
3週間もの間、こいつの動向を探っていたことまでバレた恥ずかしさに赤らむ顔が悔しくて顔を背けるも、気にした様子もなく声を掛けられた。

「オレは綱吉っていうんだ。でも言い難いからツナでもいいよ?君は?」

「…コロネロだ、コラ。」

「いい名前だね。」

そう言われて初めて自分の名前が好きになった。狼女だった母親が名前も知らない男との間に生まれた自分につけたその名を。
こいつの前でなら自分が存在してもいいのだと、そう思えた瞬間だった。




季節は巡り、実りの秋から冬へと移り変わる。
その間もツナはこの森に通い続けてはオレに色々なことを教えてくれた。
教師を目指していたというツナは文字の読み書きから数の数え方、人間の社会の仕組みを分かりやすく説明していった。物覚えがよかったオレは半年で小学校までの知識を身につけるに至った。

「そういえば、お前仕事はいいのか?」

物を知るにつけ常日頃から不思議に思っていたことを訊ねる。すると情けない顔を益々情けなくさせてヘラりと笑いながら答えた。

「オレ、ちょっと変わってるだろ?だからどこに居ても浮くんだ…」

「変わってる?その面のことか、コラ。」

こいつが変わっているのはオレを怖がらないだけじゃないことを知ったのは、最初の出会いから少し経った頃のことだった。
年を聞かれて15だと答えると、自分はその倍だと笑われて驚きに目を剥いた。どう見ても自分と同じかそれよりほんの少ししか変わらないように見えたからだ。

「ハハハ…驚いた?家系なんだ、年を取らないのは。しかも寿命も長くてね。コロネロみたいに力がある訳でもないし、ただそれだけなんだけどさ。」

ただそれだけがどれだけ異質なことか分からなかったオレはその時はそうかとだけ返事をしたが、色々と教えられた今ではそれが人の中では恐れられることだと知った。
自分とは違うが自分と同じ境遇の存在にどんどん心を奪われていく。
匂いも、見た目も、中身もこれほどまでに気になる存在は初めてだった。
美味しそう、だと思う気持ちが止められない。

ヒョロリと伸び始めていた四肢に力が漲り、最近では子供と呼べない体躯へと変わってきた自身を確かめてからツナを眺める。
発育に時間がかかる家系だというツナは30を越えているというのに薄っぺらい胸板に筋肉もあまりない手足が余計に幼い印象を与えている。
大きいチョコレート色の瞳に見詰められる度に獣の衝動が膨らんでいった。

「何か一つぐらい役に立てたらいいのにな…」

寂しそうに笑うツナの横顔を見て、それは静かに臨界間近になる。


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