小説 | ナノ


赤ずきんちゃんとずるい狼 1



これはとある国の、とある森でのお話です。
今のように車や電車、インターネットなんてとんでもない。電気も通っていない時代のこと。
その日はよく晴れた春のあたたかい一日でした。
ポカポカと暖かい朝日が赤ずきんから覗く茶色い髪を優しく照らしています。
朝食を前にうつらうつらと船を漕いでいる赤ずきんは今にもテーブルに突っ伏してしまいそうです。
それを見たお母さんは赤ずきんに声を掛けました。
「あらあら……さっき起きたばかりなのに、また寝てしまうの?」
呆れたような後ろからの声に、赤ずきんは驚いて顔を上げて振り返ります。
「ち、違うよ!ちょっとボーッとしてただけだよ!起きてるよ!」
お母さんの声に大きな瞳をもっと大きく見開いた赤ずきんは、テーブルに落ちていたヨダレを袖で拭うとずきんに負けない赤い顔で膨れました。
「そうなの?なら今日はお使いを頼んでもいいかしら?森の向こうのおばあさまのおウチにこのジャムとチーズを持っていってくれる?」
そう言うと赤ずきんの前に差し出されたカゴには、お母さん特製の木イチゴのジャムとお父さんが昨日町で買ってきた大きなチーズが入っています。
その上にチェックのふきんを被せたお母さんは、はいと赤ずきんの前に差し出すと満面の笑みを浮かべました。
「ああ、ツナがいい子で嬉しいわ!このスカートをどうしても今日中に仕上げたかったのよね」
もう今更イヤだなんて言えません。
赤いずきんを肩にかけたツナは、はぁとため息を吐くとしぶしぶと頷いたのでした。



朝食を摂り、身支度を済ませたツナは先ほどより嵩を増したカゴを一瞥してからそれを持ち上げました。
ずしりと腕に重みを感じましたが細い腕の割りに赤ずきんは力があるのか軽々と抱えていきます。
ドアを開け、外の空気を吸い込んだツナは恨めしそうに足を踏み出すと、お裁縫をしているお母さんからまたも声が掛りました。
「いいこと?おばあさまのおウチに着くまで道草はしてはいけません」
「分かってるよ。チーズが腐っちゃうからだろ」
他にもおばあさんの好物であるレモンパイも押し込められているからだとツナは頷くと、お母さんはいいえと首を横に振ります。
「昨日お父さんに聞いたの。最近この近所で狼を見掛けた人がいるんですって。だから森の奥へ行ってはダメよ?」
ツナによく似たお母さんは心配そうに顔を顰めました。
「ふーん、分かった」
どこまで分かっているのか、思わず不安になるような返事をしてツナは赤ずきんを目深に被ると、家の外へと出ていったのです。
パタンと閉まったドアをしばらく見詰めていたお母さんは、扉の向こうに消えた赤いずきんの残像をいつまでも見詰めていました。



赤ずきんことツナは近所の同じ年頃の者たちよりも小柄な身体をしています。
食が細い訳でもないのにひょろりと薄い身体が嫌で、それを隠すためにワンピースの上に赤いずきんをはおっているのです。
それ以外にも理由はありますが、それを人に話すことはこれからもないことでしょう。
そんな自分を人目にさらすことが苦手なツナは、人の気配を感じると顔を俯けて物陰に隠れてしまいます。
だからツナの姿を見たことがある人は数えるほどしかいません。
ツナはそれでいいと思っていました。
それがツナのためにもおばあさんのためにもいいと思うからです。
おばあさんのおウチへは森を越えていかなければなりません。昼前に辿り着けば御の字だなと唇を尖らせて、それでもツナは森の中へと歩いていきます。
テクテクと面倒臭さを隠しきれない歩調でツナがしばらく進んでいくと、木陰からガサガサという葉の擦れ合う音が聞こえてきました。
あまり大きい音でがありません。
よく聞く小動物が何かに追われて飛び出してくる音だと思い顔を上げて足を止めていると、突然黒い物体に視界を塞がれました。
「うわわ……っ!」
逃げなきゃと後ずさりした拍子にバランスが崩れて、ツナは尻もちをついてしまいました。
道なき道とはいえ、草が生い茂っている訳でもない大小の石が転がっている地面にへたりこんでいれば、目の前に現れた物体から何かが伸びてきます。
「大丈夫か?」
手です。
大きくて、お父さんの手よりすらりと長く少し節くれている手です。
しかも真上から聞こえる声は随分と低くて、思わず顔を上げてしまったツナはその男を見て焦りました。
猟師でもあるお父さんのような格好をしている男は、けれども上下の衣服も被っている帽子ですら真黒。けれどそれに驚いた訳ではありません。
男の目元がフッと緩み、ツナの視界いっぱいに広がっています。
そう、赤ずきんが尻もちをついたせいで背中に落ちてしまったのです。
人前で顔を晒すことを避けてきたツナにとって、それは恥ずかしくて堪りません。
なんと返事をすればいいのか分からないまま眉を寄せていれば、男は差し伸べた手をそのまま下に向けてツナの両腕ごと引っ張りあげたのでした。
「怪我してねぇか?」
訊ねる声にブンブンと左右に首を振ったツナは、逃げ出そうと足を後ろに引きます。
しかしツナの腕を掴んだままの男は、離すことなくツナの顔を覗き込んできました。
顎を引いて必死に視線を逸らそうとするも、追ってくる男の視線が気になってそれもできません。
チラリと男の顔を覗き込むと、少し薄い唇がゆっくりと開きます。
「大丈夫そうだな。ここの近くの住人か?」
「え、はい」
怪我がないことと、森の近くの村からやってきたことの両方に頷くと、男はやっと腕を離してくれました。
だというのに視線は離れていきません。
居心地の悪さに赤ずきんを被り直せば、男は気にした様子もなく手にした猟銃を肩に担ぎ直しています。つまりはツナの行く手を阻んだままです。
どいて欲しいなどとは言えないツナは自分の足先に視線を落とすと、カゴから落ちてしまったジャムの瓶を見付けて手を伸ばしました。
「悪かったな、割れてないか?」
「あー……はい、割れてないです」
瓶でよかったと思いながらそう答えると、ツナより先に男の手が伸びてすっと拾い上げツナに渡してくれたのです。
「……どうも」
手渡された瓶を受け取り、これで逃げられるとホッとしていれば、男はツナの手を瓶ごと握るとぐいと引き寄せました。
「オレはリボーンだ。村の向こうの町で猟師をしている」
はぁ、そうですかと気のない返事をすると、何が気に入らなかったのか男ことリボーンはピクリと片眉が跳ねツナに益々顔を寄せてきます。
とにかく人の視線に慣れていないツナは、顔を伏せてリボーンから顔を逸らそうとしますが腕を掴まれている状態ではそれも出来ないのでした。
赤ずきんの下で脂汗を掻いていると、リボーンの手がずきんを剥いで後ろへと下ろしてしまいます。
困ったツナは眉を寄せてリボーンを見上げました。
「えーと、」
どうすればこの状況から逃れられるのかツナには分かりません。分かるのは、目の前に立ちはだかるリボーンの眉間に皺が寄っていくことだけです。
チラチラとリボーンの顔色を窺っていたツナは、ふいに自分の失敗に気付きました。
「あの!オレ、ツナっていいます。さっきは瓶を拾ってくれてありがとう」
情けなく寄った眉をへにょりと下げれば、リボーンは切れ長の眦を少しだけ見開いてクスリと笑みを零したのです。
黒い格好と黒い髪それに瞳まで黒いせいで、どことなく近寄りがたかったリボーンが見せた笑顔はツナにインパクトを与えました。
今までどうして何とも思わなかったのだろうと不思議なぐらい格好いいリボーンに衝撃を受けたツナは、急に恥ずかしくなって首を竦めました。
「ツナ、か……。なぁ、ツナ。この先の森に何の用があるんだ?」
「え?ああ、おばあさんのウチにこのカゴの中の物を届けに行くところだけど」
「この森の先にある家っつうと、あそこか」
どうやらリボーンはおばあさんの知り合いのようです。
ツナのおばあさんは偏屈というか、少し変わり者で、森の奥にひとりで住んでいるので有名なのかもしれません。
おばあさんは自分と同じく小柄なのに何故か猟も出来る屈強な身体と、以前は何やら怪しい仕事をしていたらしいとはツナも知っています。
どういう知り合いなんだろうと興味が湧いてきたツナは、リボーンに聞いてみようかと顔を上げました。
「知ってるか、ツナ?テモッティオ……じゃねぇ、ばあさんはオレが今きた道の先にある花が好きなんだぞ」
出鼻をくじかれただけでなく、自分の知らないおばあさんの好きな物を知っているリボーンに目を丸くします。
きょとんとしていると、リボーンはどこか嘘臭い笑顔を浮かべました。
「どうせばあさんの家に行くなら、あげて喜ばれる物をやりたいと思わねぇか?」
リボーンの言葉は確かに一理あります。
けれどもお母さんに忠告されたことも忘れていません。
狼は怖いし、おばあさんの喜ぶ顔も見たいしとツナは迷います。
「でもチーズが腐っちゃわないかな」
「少しくらいなら平気だろ。たくさん摘んできてやれよ?」
そう太鼓判を押してくれたリボーンに背中を押され、ツナは寄り道をしてしまったのでした。




リボーンに教えて貰った通りの道を進むと、確かに花畑が広がっていました。
辺りが開けているせいで、視界も悪くありません。
これなら狼がやってきてもすぐに気付けると安心したツナは、おばあさんの好きだという黄色いお花をカゴの隙間を埋めるように摘んでいったのでした。
しばらく没頭していたらしく、その時の記憶が飛んでしまったようです。
思いの外花を摘むことが楽しくなったツナは、カゴからはみ出して両手いっぱいまで欲張った自分にハッとします。
今更戻すこともできないと、そのまま花を一纏めにしてカゴを覆っていた布で包んでから花畑を後にしました。
春のお日様はまだまだ暖かく、頭の上から地上ごとツナも照らしてくれています。
けれども花摘みに熱中していた時間が思いの外長かったことを影の長さが知らせてくれていたのです。
慌てて元来た道へと戻っていくと、おばあさんのウチへと伸びる一本道を目指します。
今しがた摘んだ花がわさわさと揺れ、カゴ全体が黄色くなっていくようです。
いくらおばあさんが好きだとはいえ、これは摘み過ぎたかなと少し反省をしながらツナはおばあさんの待つウチへと向かいました。




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