2.「ツナ、だっこ。」 「…先生って付けてくれる?」 フンと鼻で笑われた。小憎らしい。 それでも両手を広げるリボーンを放っておくこともできず、だっこするには大き過ぎるが腕に抱えた。 ずしりと腰にくる重みに耐えて理事長室を後にすると背中から園長の声が掛かる。 「大変だったらリボーンを連れて帰ってきてもいいんだぞ。」 「平気だよ。それじゃまたね。」 リボーンを抱えているために手は振れないが変わりに肩を竦めて歩いてきた廊下を踏み出した。 2年の間にどうにかまともな食事も作れるようにはなった。家事は苦手だがごみは溜めていない。空いている部屋も2つあることだし、多分平気だろう。 物言いた気な父親の視線を背中に貼り付けながら受け持ちのクラスへと帰っていった。 祖父である理事長からの提案に驚いたのはオレだけだった。 本人であるリボーンは涼しい顔をしていたし、園長である父親は複雑そうな顔をしてはいても驚いてはいなかった。勿論、言い出した理事長は真剣な顔でオレに詰め寄る。 「少しの間、このリボーン君と同居して欲しい。仕事だと思ってくれて構わない。ただし拒否はできないのだよ。」 「は?……あの、リボーン君のご両親は?」 赤ちゃんから就学前の子供まで保育園で預かることは仕事である。 けれどうちで預かるとなるとそれはまた別の話だ。 どういうことなんだと園長と理事長の顔を見詰めていても、硬い表情からは何の情報も得られない。 すると理事長の横に座るリボーン君が長い足を畳んでテーブルに手を付くと身を乗り出してきた。 「両親はいねぇぞ。同居は決定事項だ。」 ニッと笑った顔があの男を思い起こさせる。 まだ幼さの残るふっくらした頬とすべらかな肌はどう見ても就学前の子供にしか見えないのに。 混乱する頭でリボーン君の顔を眺めていると、その横からため息交じりの声が聞こえた。 「…すまないね、綱吉くん。事情は説明できないが、これが一番最善の策なんだ。何事もなく嵐が通り過ぎることを期待していたがそれもできないらしい。あとは彼に任せるしか…」 「理事長…!」 父さんの声で我に返った祖父は慌てて口を噤んだ。 何かあることは分かったが、それをオレに知らせる気はないらしい。 その事情とやらとリボーン君とは何か関係があるのだろうか。 ふと今朝の男の顔が脳裏に浮かぶ。唇で触れられた首筋が意思を持ったようにドクンドクンと在り処を主張し始めた。 手でそれを覆っていると、テーブルに乗り上げていたリボーン君がオレの手に手を重ねてくる。体温を感じない小さい手はオレの手の隙間から入り込むとするりと肌を撫でた。 命の在り処を細い指で辿られてゾクリと何かが這い上がる。 魅入られたように動けずにいるとオレの横から手が伸び、そのままリボーン君の手から引き剥がされた。 「ツナ、平気か?」 「え、あ、うん…」 霞みかかった意識を晴らそうとひとつ頭を振ると、テーブルの上で胡坐を掻いていたリボーン君がくつくつと笑い出した。 「家光、そう警戒すんな。契約は契約だぞ。破棄する気はねぇ。」 美学に反するしなと語る口調はどこにも子供らしさが見当たらない。 ひどく混乱していた。 今朝の一件も、リボーン君の存在も、それを容認せざるを得ないらしい状況にも。 それでも拒否をしようという気が起きないのはどうしてなのだろうか。 代々伝わる鋭い直感はオレにも受け継がれていて、それが是と告げていた。 きっと父親も祖父も同じなのだろう。 オレだけ事情が飲み込めないままなのは癪に障るが、その方がいいらしいという雰囲気も伝わってきた。 「…リボーン君との同居を了解しました。」 そうしてリボーンごと受理してきたという訳である。 それから勤務時間までリボーンと一緒に勤め上げると、交代の保育士とバトンタッチして家路に着く。 今朝と同じくバスで移動する。横には黒尽くめの男の子が付いてくるようになったが。 「ジャッポーネは忙しねぇな。もっと余裕を持った方がいいぞ?」 「それは車で通勤しろってこと?」 「そうとも言うな。」 そうとしか取れない。バスに乗ったのは初めてなのか狭い車内に帰宅する客たちがすし詰め状態になっている様を見てリボーンは眉を顰めていた。 どうにかバスにおさまると斜め下からまた声が掛かる。 「免許は?」 「あるけどペーパードライバーだよ。」 大学生の時に取るだけは取ったがそれ以降運転する機会もないままだ。だから勿論車もないと言うとチッと舌打ちが返ってきた。 「日中はこの姿じゃねぇと動けねぇし…厄介だな。」 「ん?」 「何でもねぇぞ、甲斐性なし。」 「おまっ、どこでそんな言葉を習ったんだ!」 「てめぇの親父だ。」 日本語がペラペラだがイタリア人だと聞いていた。なのにこのネイティブぶり。犯人の顔を思い浮かべて心の中でフルボッコをかましているといきなりぎゅっと抱き付いてきた。 また乗り合わせる人が増えたからだろう。 ただでさえ初めての日本の生活だというのに、こんなラッシュに巻き込まれては可哀想だろうか。 リボーンの肩を抱き締めて囲うと、しがみ付いていた手がするりと腰を撫でた。 ヒッと声を上げそうになって慌てて口を閉じる。 斜め下のリボーンを睨むとシレっとした顔でこちらを見上げて言った。 「もうちっと肉を付けた方がいいぞ。痩せ過ぎは楽しくねぇ。」 「…楽しくなくて結構だよ。」 なんで幼児にセクハラまがいなことをされなきゃならないんだ。 今日はリボーンを迎える準備が欲しくて、ムリを言って少し早めに帰らせて貰った。まずは寝床の確保と着る物などが欲しい。 洋服や下着は持って来ていたが、やはり布団は困る。客用布団があるにはあるが、フローリングに布団を敷くのは寒いし背中が痛くなるからだ。 「それなら一緒に寝ればいいだろ。」 とベッドをポンポンと叩かれてもすぐには返事をしたくなかった。 なんというかこんなチビ相手に考え過ぎかもしれないがそれでも警戒を解くことができない。 「いい。…リボーンはこっちに寝なよ。オレは客用の布団で寝るし。」 今度の休みに嵩のあるフローリング用パッドを買ってこようと心に決めて、ベッドをリボーンに明け渡す。 空き部屋だった隣の部屋に布団を敷きに行こうとしてベッドから立ち上がると後ろから手を掴まれた。 「そんなにオレと寝るのが嫌なのか?」 「うっ!」 ムチャクチャ卑怯だ。 自分の容姿をよく理解しているのだろうリボーンが少し切れ上がった大きい瞳で下から顔を覗き込む。切なそうに眉を寄せる表情は寂しさを全面に押し出していた。 チビっ子相手に無碍にできないオレはリボーンの言葉に詰まると動きが止まる。 「一緒に寝たいぞ。」 そこまで言われるとダメだった。 抱えていた枕を戻すとリボーンが飛びついてくる。 まだ軽い子供の身体を抱きかかえようとすると、リボーンが飛びついた反動を利用して逆にベッドへとオレを押し付けてきた。 「お、重…っ!」 子供だとてバカにはできない。意外と手加減などしない分だけ子供の方が力があるものだ。 けれどリボーンの力はそれの比ではない。押さえつけられた息苦しさにリボーンを剥がそうと手を掛けてもビクともしない。 オレの手を貼り付けたままでリボーンが耳元に鼻を擦り付けてきた。 「やっぱりいい匂いだ。」 乳幼児も面倒を見ているせいか、あまり男臭い匂いはしないらしい。乳臭いとスーパーで会った同級生に笑われたくらいだ。 洗っているのに何でだろうかと意識が散漫になった隙に上掛けの中に押し込められた。 ああ、待ってくれ。 まだ明日の朝ごはんの支度が… 「イイ夢見せてやるぞ。」 視界の先でニヤリと笑ったリボーンの子供らしくない笑顔を最後に白い霧の中へと吸い込まれていった。 . |