1.夜勤の職員と交代したオレは、いつものオレンジ色のエプロンを身に着けると元気に教室へと足を踏み入れた。 「おはよう!」 にっこりと笑顔を振り撒けば子供たちの挨拶が返ってくる。 ここは時間外保育も取り扱う保育園だった。 「おはよーツナ先生!」 「ツナ先生!」 わらわらと足元に群がる園児たちの年齢は実にバラバラだ。 不況のせいで共働きを余儀なくされているお母さんの代わりにと夜も昼もなく開け放たれた保育園には様々な事情の子供たちが預けられている。 「おはよう。久しぶりだね、京子ちゃん。」 「きょくげん!オレも居るぞ!」 「了平くんもよくなったんだ。よかった!」 オレのエプロンの端を握ってきた京子ちゃんという5歳児を抱き上げると、その一つ上のお兄ちゃんである了平くんの頭も撫でた。 この兄妹の両親はどちらも高校の教師で、余程のことがあっても休みを取ることができない。そんな子供たちと一緒に過ごすことがオレの仕事だった。 「きょうは新しいおともだちが入るんでしょう?」 「よく知ってるね。先生もさっき聞いたばかりなのに。」 「タコヘッド先生が言っていたのだ!」 「イヤイヤイヤ、獄寺先生って言ってね?」 どうやら了平くんと獄寺先生は相性が悪いらしい。というか獄寺先生がオレや園長、理事長以外と仲良くしているところなど見たこともないのでそれはそれで仕方のないことなのかもしれない。 子供と同じ目線に立ってるってことなのかなとぼんやりしていると、園長ことオレの父親がこっそりと声を掛けてきた。 「おおーい!ツナ先生、ちょっといいか?」 色々と思うところがあるオレはつれなく横を向く。 「…嫌です。」 「ツナ〜ァ!」 「嘘だよ。行きます。山本先生、ちょっと抜けるね。」 「おう!」 山本先生はオレと獄寺先生と一緒に今年入ったばかりの新米保育士だ。けれど人懐っこい性格のためにオレの中では同僚というより気の置けない仲間のような気がしている。 そんな山本先生に一声かけると京子ちゃんを床に降ろし、ため息を一つ吐き出してから園長の後に付いていった。 ここボンゴレ保育園はかなり有名な保育園だった。 保育方針もさることながら、昼夜を問わず受け入れる姿勢と保育士の質の高さが地元のみならず県内外からも注目を集めている。 父親が園長を勤めているからということでどうにか潜り込んだ就職先だったが、今では天職なんじゃないのかと思うほど仕事が楽しくて仕方がない。 だから今では父親をそれほど恨んでいる訳でもないのだが、どうにも今まで母子生活を余儀なくされていた手前今更どうしたら普通の親子に戻れるのか分からなくなっているだけだった。 「…ツナ、一人暮らしで辛いことはないか?いつでも家に戻ってきていいんだぞ。」 「別に…」 長い渡り廊下をでかい図体の父親が小柄なオレの様子を伺いながら進んでいく様を見て、園児たちとその親が物珍しげに眺めていた。 なんというか恥ずかしい。 恐る恐るといったていでオレを振り返る園長を振り切ると、逆に前を歩き始めた。 「どこに行けばいいんだよ。」 「理事長室だ。…なぁツナ、本当にこっちに帰ってくる気はないのか?」 「ないよ。」 教育にその身を捧げた父親が放浪の旅に出ていたせいで、沢田家は母子2人暮らしだった。けれどそれもこの父親がやっと理想の教育を実現させられると言って帰ってきた2年前からオレは一人暮らしを始めていた。 この年になって両親にいつまでも甘えていられないと思ったこともある。 だから気にしないでと再三告げているのに、こうして顔を合わせる度に戻ってこないかと煩いのだ。 「熟年新婚家庭にお邪魔する気は更々ないの。」 「いや〜!そうか、そう見えるか!…じゃなくてだな、」 「着いたよ。」 「ツナぁ!」 子供が気を利かせてやっているというのに、何をいわんや。 アホらしいと園長を切り捨てて、コンコンとドアをノックする。 するとすぐに入ってきなさいと声が掛かった。 「失礼します。」 足を踏み入れると、いきなりむぎゅうと抱きつかれた。葉巻の匂いに笑みが零れる。 覚えのある匂いは祖父である理事長のものだ。 自分とあまり変わりない祖父の顔を眺めると、柔和な笑顔が広がっていた。 「綱吉くん、久しぶりだね。」 「はい、お久しぶりです。しばらくは日本に滞在されるんですか?」 「ああ、少しね。」 この人物は父方の祖父だった。イタリアから日本への留学中に母さんと結婚した父親とはつい数年前まで絶縁状態だったらしい。けれどオレという孫が居ることを知った祖父はその絶縁をすぐに解くと父親に援助するという形で勘当を解いた。 今では立派なジジ馬鹿だったりする。 この祖父のお陰でなに不自由なく一人暮らしを過ごすことができていた。 広い4LDKのマンションをポーンと気前よく与えられ、これ幸いと逃げ込んだ。 それでもいつかは返したいと給料から少しずつ貯金をしている。いつになるかは分からないけど。 そんな訳でオレに甘い祖父が何故だか視線を逸らすと言い難そうに口を開いた。 「一つ、提案があるんだが聞いてくれるかい?」 「はい?」 オレの手を取ってソファへと導かれて驚いた。 誰も居ないと思っていたのに、いつの間にかソファには黒い格好をした男の子が座っていたからだ。 ブラックジーンズに黒いハイネックセーター姿の男の子は、見た目6歳になるかならないかといったところだろうか。 けれどそれに驚いた訳ではなく、男の子の雰囲気に身体が竦んだ。 「あ…」 「紹介しよう。この子は訳あってイタリアから呼んだリボーン君。……どうかしたのかね、綱吉くん?」 「あ、その…、」 どう説明すればいいのだろうか。 今朝のあれはただの夢かもしれないのに。 しかもあの黒尽くめの男とは年齢も違えば背格好も違う。 けれど雰囲気がまったく同じだった。 上手く言葉に出来ず、金縛りにあったようにリボーン君と呼ばれた男の子を眺めていると、オレの視線の先でリボーン君は端正な顔を崩すことなくこちらに視線を合わせてきた。 吸い込まれそうな黒い瞳が長い睫毛に隠されて、それから形のいい唇が動き出した。 「ちゃお。はじめましてだぞ、沢田綱吉。」 子供独特の甲高い声を耳に入れ、何故か違和感を覚えた。 . |