11.ジー、ジー、ジーとセミの声が頭の上から降ってくる。 アスファルトが焼けて、そこから立ち上る熱気のせいで地面が歪んで見えるほどの暑さだ。 なんでこんな日に試合なんかしやがるんだ野球馬鹿!と半ば八つ当たりで悪態をついていると、その向こうからほっそりとした人影が駆け寄ってきた。 「おまたせ!今日は間に合ったよね?」 にっこりと笑う顔は以前通りの翳りのない表情だった。 差し出がましいことをしたんじゃねーのかと思っていたが、どうやらうまくいったらしい。 真夏の太陽にも負けない輝くような笑顔に、これでよかったんだと撫で下ろした胸とは別にもったいねーことをしたと思う気持ちもあった。 学校が用意したバスに乗り、応援する気もないオレは渡されたメガホンを後ろに投げると女子がきゃあ!と嬉しげに悲鳴をあげた。 アホか。 沢田さんがごめんね、と後ろに謝るのでオレも慌てて沢田さんに謝る。 「オレにじゃないでしょ…ホントにしょうがないなあ。」 なんてニコニコ顔で言われても懲りるどころか、また繰り返そうと思うぐらいだ。 だけど今日は本当に機嫌がいい…のか? 顔は笑顔だが、どうにも目が笑っていないような気がしてこっそり沢田さんの顔を見詰める。 「…なんかあったんスか?」 「ん?なんにもないよ?」 びっくりしたように瞬きを繰り返す沢田さんに違和感を覚えながら、バスは決勝戦を迎える球場へと走り出した。 決勝ともなれば互いの学校が総出で応援に駆けつける応援スタンドは満員で、それでもどうにか一番後ろに座ることができたオレと沢田さんは、グランドに出てきた野球馬鹿が飛ばしたホームランボールを受け止めるというハプニングに遭ったり、その後の記者のインタビューにホームランボールを大好きな子に届けられたんで、甲子園に行けることと合わせて嬉しいなんて答えやがったせいで沢田さんが焦るという一幕もあった。 「あの馬鹿野郎、絞めます!」 「いやいやいや!…山本らしい茶目っ気だけど、女子の視線が突き刺さるようで怖かった…」 あの目は本気だったのに、それに気付かない沢田さんはどこまでも鈍かった。 そこに救われたが、やはり頭痛の種に変わりはない。 そういえば。 「つかぬこと伺いますが、リボーンさんは迎えに来るんですか?」 訊ねた途端、ピタリと足を止めて下を向いた沢田さんにこれは地雷を踏んだのかとほぞを噛んだ。 「お、オレがお送りしますんで!」 「……よ、」 ぼそっと呟いた声は小さくて耳のいいオレでも聞き取れないほどだった。 「は?すみません、聞き取れなくて。」 「あいつのことなんか気にしなくていいっていったの。ここ2、3日、オレに隠れて誰に会ってるのかと思えば…」 滅多に怒らない沢田さんの本気の怒り顔は鬼気迫るものがあって、だけどその顔すら魅力的だとぼんやり眺めていれば、大きな瞳の端が滲み始めた。 「あ、あの…」 慌ててもうまい言葉が出る筈もなく、沢田さんの周りでバタバタと忙しなく手を振る。 「昨日、あんまり気になったんで着けたんだ。そうしたらすごい美人と会ってたんだ。あのエロ魔人があの後、一度もシてないなんてありえないだろ?ってことはオレ、騙されたんじゃないのかって…」 とうとう泣き出した沢田さんにどう声を掛けていいのか分からない。 グシグシと手で目を擦る沢田さんの涙を拭こうと手を伸ばせば、後頭部に痛みが走った。 「何ツナに触ろうとしてやがる。この前のことは水に流してやるが、それ以外は許さねぇ。」 痛む後頭部を抱えながら振り返ると、派手なスポーツカーから身を乗り出したリボーンさんが何かを投げ付けた格好でこちらを睨んでいた。 足元には缶ジュースが転がっていた。これは沢田さんの最近のお気に入りだ。 どうりで痛い筈だと撫でさすりながら沢田さんから少し離れると、沢田さんはリボーンさんを振り返ることなくオレの横についてくる。 「ツナ、」 「知らないよ。オレじゃなくてもいっぱいいる恋人とでも行けば。」 声も態度も刺々しくて、でもそんな表情も堪らなく可愛らしい。いかにも怒っていますと言わんばかりの尖った唇をドキドキしながら横目で窺っていると、またも何かが飛んできた。 「人のもんをいかがわしい目で見てんじゃねぇぞ。」 今度はどうにか避けられたが、オレを素通りしたそれが電柱に当たるとドスとすごい音を立てていた。 タラリと冷や汗を掻いていると、横の沢田さんが即座に反応する。 「誰が誰のものだっていうんだよ!」 「てめぇがオレの、だ。」 さも当たり前だと言いた気に言い切られて、そうっスよねと納得してしまう。 だがそれを聞いた沢田さんは顔を赤くして足元に落ちていたジュースを拾うとリボーンさん目掛けて投げ付けた。 「ふざけんな!お前のたくさん居る恋人の一人なんて真っ平だ!」 口調と同じく、勢いよく投げ付けた缶ジュースを難なく受け止めるとまってましたと言わんばかりの表情でニッと笑う。 「たくさんなんざ居ねぇぞ。全部別れた。」 「は…?」 沢田さんが聞き間違いかと思っているように、オレもそう思った。 伝え聞いた話によると、リボーンさんの恋人だか愛人だかは延べ100人はくだらないらしい。 それを全部と別れたなんて、ありえないだろう。 オレの姉貴もリボーンさんの恋人の一人だった筈だ。その姉貴は何があろうともついていくわと豪語しているほどの傾倒ぶりだったからだ。 信じられない気持ちでリボーンさんをよく見ると、珍しく顔に痣が残っている。 頬には手形がくっきりと残っていて、喧嘩上手なリボーンさんがそんなものを易々と喰らう訳がなくとすれば必然的に自ら貰ったということで…。 「ツナが手に入るのに代用品はいらねぇからな。」 「…っ!」 どうやら沢田さんのために恋人たちと別れたらしいリボーンさんに、自分の勘違いを察した沢田さんがどういう行動を取ればいいのか迷っていた。 複雑そうな表情からも、嬉しさと自分のせいで別れるに至った女たちへの申し訳ない気持ちとが入り混じっている。 そういう優しい沢田さんだからこそリボーンさんは迷ったのかもしれない。 「…ジェラードのうまいあそこに予約を取ってあるんだが、ツナが来れないならもったいねぇがキャンセルするか。」 「い?行く、行く、行くって!!」 わざとらしくため息を吐くリボーンさんに余程そのジェラードが好きなのか沢田さんが慌てて車ににじり寄った。 その機を見逃さす、沢田さんの手を引き寄せて助手席に引きずり込むと、やっと気付いたように沢田さんがこちらを振り返った。 「あの、ごめんね?」 「…いえ、沢田さんが元気出たんならいいんス!」 友達であることを選んだ時点で諦めている。 ジッとオレを見る沢田さんに無理矢理笑顔を作ると、運転席のリボーンさんが面白くなさそうな顔でこちらを見ていた。 「彼氏の前で他の男と見詰め合うってのは戴けねぇな。」 「誰が彼氏だ!んふっ?!んンン!!!」 オレの視線もなんのその。オレと沢田さんの会話が気に入らなかったらしいリボーンさんが突然沢田さんの口を塞ぎ、逃げようとする沢田さんの肩をシフト越しに抱き締めた。 最初はこちらを意識していた沢田さんも次第に視線が定まらなくなっていき、トロンと蕩けてきた瞳が閉じられるころには身体の力も抜けてリボーンさんのシャツにしがみついているのが精一杯の様子だった。 電話越しの色っぽい声もアレだが、目の前で見せ付けられた表情は想像の遥か上をいく。 下唇を舐め取られ、ひとつ身震いした沢田さんがハッとしてやっとこちらの視線に気が付いた。 途端、カーッと染まる顔を手で覆うと下を向いてしまう。 それを終始余裕の表情で見ていたリボーンさんがハンドルに手をかけたままニヤついていた。 きっとオレの状態が分かっているに違いない。 ショタコンの上にサドだなんて沢田さんも苦労しそうだ。 「…ごちそうさまでした。」 「この前の礼だぞ。電話の声と一緒にしばらく使えんだろ?」 「なななな、なにに?!っていうか、電話って、電話って…」 赤い顔のまま動揺する沢田さんを尻目に、それでも一言言いたくなった。 「嫉妬深い彼氏を持つと苦労するっていいますよ。」 「てめぇ…」 こちらを睨むリボーンさんとは対照的に、ほわんと笑った沢田さんは嬉しそうに呟いた。 「オレも同じだから丁度いい、かな?」 まさか沢田さんから惚気を聞くとは思わずに驚いていると、言った言葉の意味にやっと気付いた沢田さんが再び顔を赤くしていった。 「ご、ごめん!」 「いえ、重ね重ねごちそうさまです…」 「それじゃあ出るぞ。」 これ以上はなく脂下がったリボーンさんの表情というレアなものを見たことすらどうでもいい。 ああ、本当に。 「もったいねーことした!」 心の叫びはセミの声に紛れて誰にも聞かれることはなかった。 終わり |