10.ぎゅうと後ろから抱き締められて力が入らない身体はゴロンと先生の胸に転がり込んだ。 逃げ出そうと足をつくも上手く力が入らない。 仕方なく強張った背中の力を抜くと、そのまま黙って腕に収まった。 いつの間にか空が白みはじめ、外は夜明けを迎えていた。 ムッといきれるような匂いのする部屋に、明け方の澄んだ空気が流れ込む。 まさか窓が開いていたんじゃあるまいと辺りを見回すと、廊下に続くドアが薄く開いている。 ホッと胸を撫で下ろし、ゆるく目を瞑った。 指一本すら動かしたくないと、凭れたまま欠伸を繰り返す。 ベトベトの身体は気持ち悪いが段々どうでもよくなってきた。 黙ったままの先生を無視して、意識が彼方へと飛び始めた頃やっと小さく悪かったと声が聞こえた。 薄れる意識の奥で謝られたってことはやっぱりお終いなんだろう。 頬を伝った暖かい液体がポトンと胸に落ちたところで意識が途切れた。 目の前の山盛りのピザとサラダ、フライドチキンを消化している。 これでも育ち盛りだ。一食抜いたら死ぬほど辛い。 口いっぱいに頬張ると頬にピザのトマトソースがついたようで先生が指ですくってそのまま舐める。 「落ち着いて食え。」 「むぐむぐ…らって、むぐむぐ…おなかすいて、」 言いながらもフライドチキンにがぶり付くと呆れ顔でため息を吐かれた。 「そんだけ食って、なんで身にならないんだ?あばらが浮いてたぞ。」 「んぶぶっ!へ、変なこと言うなよ!」 目を覚ますと、きちんとパジャマを着ていた。起き上がってシーツを撫でてもパリッとしていて、あれは夢だったんじゃないのかと思っていたのに。 着替えるのも億劫でパジャマのままリビングにいくと、仕事をしている先生を見つけた。見つけた途端、ぐう〜!と空腹を訴える音が響き渡った。 そしてこの状況になったという訳だ。 夢ならその方がいいと思っていた。オレだけを見て欲しいと叫んだ結果がごめんなさいだなんて酷すぎる。 だからオレからはあのことには触れず、ただがむしゃらに食事に集中していた。 ごくんとキチンを飲み込んで、恐る恐る先生に視線を合わせるといつもの余裕綽々な表情からは程遠い顔をして驚いた。 「…なに?」 「身体は平気か。」 聞かれてカッと火がついたように熱くなる。 平気な訳がない。声は掠れているし、腰はだるい。あらぬ場所もまだじくじくと膿んだような痛みが広がっている。 それでも平気な顔をしたのは先生だけに責任を擦り付ける気にはなれなかったからだ。 無理矢理だったけど嫌だったかと訊ねられれば違うと答えられる。 恋人として欲しがられたのなら、それでいいと思った。 だから泣きたいほど痛かったとしても、それを表に出すことは絶対すまいと思っていた。 ぐっと奥歯を噛み締めると、手元にあったジュースに口を付ける。 「ツナ、」 返事を迫られてギリギリいっぱいのところでどうにか笑えた。 多少引き攣っていようとも、口許は笑みの形を取れたし目元も緩められた筈だ。 「全然へーき!」 そう全然大丈夫だ。 しばらく経てば傷は癒えるし、別れようと言われた訳じゃない。 だから平気だと笑うと、トンと眉間を指で押さえられた。 「皺が寄ってるぞ。ムリに笑いやがって…」 苦々しい声で呟かれ、眉間を隠すフリをして手で顔を隠した。 こうしてオレが真剣に思っていることを知られたら重いんだろうと分かっていた。 これだからガキに手を出すのは嫌だと思われたんじゃないのか。 指の隙間から覗くと、こちらを見ていた先生と視線がかち合う。 慌てて逸らすと横を向いた。 「昨日のアレは強引過ぎたと思う、悪かった。」 はっきりと謝られて、その事実に打ちのめされた。 それでもみっともないところは見せたくないという意地で気にしていないと嘯く。 冷めていくピザにこれじゃあ不味くなるなと冷静に辺りを気にする自分がいた。 横を向いたままのオレに先生が声を掛ける。 「だがしたことについては謝る気はねぇ。遅いか早いかの違いだ。」 うん。と頷いて先生に顔を向けた。 真っ直ぐ見詰めると同じく目を逸らさずに見詰め返される。 「だが、色々考えた。」 フッと息を吐くと最後の言葉を待って目を閉じた。 泣かないように歯を食いしばり身を強張らせて最後の宣告が下されるのを待つ。 たっぷり一分、間をあけて先生は言った。 「結婚するぞ。」 「………は?」 幻聴を聞いたのかと耳を疑った。 次に聞き間違えかと納得して、瞑っていた目蓋をこっそり開けると顎を掴まれ無理矢理上を向かされた。 間近に迫った顔からは冗談を言った気配もない。 どうしたものかと見詰め返すとゆっくり顔が近付いてきた。 「ちょっ…な、に?」 手で顔を遮れば手の中の柳眉が跳ね上がる。 「何じゃねぇ、返事ははい、だ。」 「イヤイヤイヤ!!一体何のこと!さっぱり分かんないよ!」 テーブル越しの攻防戦は、手を横に引っ張られたことで体勢を崩したオレがテーブルの上に貼り付けらせて終わりを告げた。 「すっとぼけんな。聞こえてただろうが。」 「や、何か聞き間違いしたみたいで、」 「仕方ねぇ、もう一回言ってやる。結婚するぞ。」 「なななに勝手に決めてんの!」 貼り付けられたままで先生を見上げると、もの凄くイイ顔でニイと笑っていた。 「ツナはオレの周りに居る女が気になる。オレはお前の周りの野郎どもが気にいらねぇ。だからだ。」 「意味分かんないよ!」 嬉しいとか嬉しくないとかよりも話の飛躍具合についていけない。 でもひょっとしてと思わないでもない部分がある。 先生の顔を仰ぎ見ながら口の中でもそもそ呟いた。 「オレ、未成年だけど男だから赤ちゃんできないし、気にすることないよ…?」 それを聞いた先生は切れ長の目を大きく見開くと、押さえていた手を外してオレの頭をグシャグシャと掻き回した。 「そういう意味じゃねぇ。…ツナはオレに浮気されたくねえんだろ?」 「う、ん。」 迷惑だろうかと伺うと、嬉しそうな顔にぶつかって驚いた。 「そうか。嬉しいもんだな、ツナに焼きもちを妬かれんのは。」 「迷惑じゃ、ない?」 尋ねれば目許を緩めて見詰められた。 包むような視線にドキマギしていると、唇が落ちてきて目を閉じてそれを待つ。 触れるだけの口付けは胸の奥がくすぐったくなった。 ゆっくりと離れていく顔を眺めていると優しい笑顔が現れる。 「ツナの意思を無視してここへ連れてきたから拉致ったと言えなくもない。丸2日、外に出さなかったのは『友だち』に合わせたくなかったからだ。いわゆる監禁だな。そのくらい狂ってる。これ以上犯罪を重ねる前に自分のものにするぞ。」 「って、自分のためかよ!」 そう突っ込みはいれたけど、それでもいいと思った。 先生の首に腕をそっと巻き付けて目を閉じて待つ。 すると今度は隙間もないくらいに唇を唇で塞いで互いに貪りあった。 . |