リボツナ | ナノ



5.




そうやって両親への挨拶も済ませ、多少遅くなっても夜の9時には家に帰されること2ヶ月と少し過ぎた夏休みも半ばに差し掛かったある日のこと。

いつもは約束をして待ち合わせ場所で落ち合うようにしているのだが、丁度待ち合わせ時間より1時間前に暇になってしまったオレは、先生の実家が経営するという学習塾の本社の前に辿り着いていた。
別にすぐに会いたいとかじゃなくて、待っていればひょっとしたら先生の仕事姿が見れるかも…なんて思ったからだ。

大きなビルのエントランスはひっきりなしに小・中・高校生やもう少し上とおぼしき年代の人たちが出入りしている。
規模の大きい学習塾だと聞いてはいたし、遠くから見たことはあったので知った気になっていた。だが自分が思うよりもっと大きくて尻込みした。

何故か息苦しくなって、それから逃げるように塾の出入り口から離れた。きっと塾という場所が苦手だからだ、やっぱり別の場所で時間を潰そうと歩き始めた時のことだった。

エレベーターから数人の男女が降りてきて、その中に先生の姿を見つけた。
歩きながらも仕事の指示を出しているのか手元の資料から顔も上げずに口を動かしている。
この様子だとオレが居ては迷惑にしかならないだろう。

そう思い見えないように物陰に隠れてちょっとだけ先生を遠くから眺めていると、先生の横にいたいかにも外国人だと思われる女性が先生の腕に纏わりついてきた。
それに少し眉を寄せても嫌がりもせず軽く流している。その様子からいつものことなのだと知れた。

カッと腸が焼けつくような怒りは、先生とその女性のどちらに向けられたものだったのか。それすら考えられずに物陰から逃げ出した。








何がショックだったのかすら分からないまま逃げ出したオレは、普段の運動不足が祟ってすぐに息切れを起こした。
街路樹の端にあるガードレールに手をついて荒くなった息を吐き出していると、背中をポンと叩かれ、悲鳴をあげる。

「ヒッ!」

「おいおい、ツナ、オレだぜ。」

後ろから聞こえてきた声は聞き覚えのある友だちのものだった。

「山本…」

「よっ、こんなところで何してるんだ?」

いつものようにカラリと爽やかな笑顔で訊ねてくる。それにうまい返事もできず曖昧に笑うと、何かに気付いただろう山本はけれどそれ以上詮索はしてこなかった。
そういう気遣いができる山本に泣きたくなる。

「腹でも減ってんじゃね?そこでハンバーガーでも食おうぜ!」

「…うん。」

腕を引かれ道向かいにあるハンバーガー屋へと向かった。
本当はこの後、先生と夕食に行くことになっていたがそれすらどうでもいい。
ただの焼きもちだとしても、今日は会いたくない。

適当にバーガーを選んで、山本と2人で2階の見晴らしのいい席に着く。
夕食の時間にはまだ少し早いせいか人もまばらで落ち着ける。
すぐには食べる気にもなれなくて、セットについてきた炭酸ジュースに口をつけた。

「ツナさ、ストローを齧るのって欲求不満の現れだって知ってた?」

「ブブブッ!ゲフっ、ゴホ…へ、変なこと言うなよ!」

口をつけたはいいが飲む気にもなれなくてストローを噛んでいたというのに、山本がとんでもないことを言い始めた。
心当たりがない訳でもないオレは頬どころか耳まで熱くなって、手で顔を覆うと山本の視線から逃げた。

「はははっ、悪い!まあ欲求不満の訳ないよな、相手は大人だし。」

山本の何気ない一言がグサッと胸に突き刺さった。
やっぱり付き合って2ヶ月も経つのにキス以上ないのはおかしいのだろうか。初めてだらけで普通が分からない。そもそも男同士だという点で普通ではないのに、オレと先生のお付き合いはそんなに普通と違うものなのだろうか。

ハンバーガーをぱくつく山本の顔をこっそり窺うと、山本もこちらを窺っていた。
恥ずかしいけど聞くなら今だ。
横を向いていた顔を山本に向けて、それでもまともに見て聞けないオレは少し視線を下に向けながら訊ねた。

「あの、さ。付き合って2カ月くらいだとエ、エッチってするの?」

訊ねた途端に山本が咳き込み、口からハンバーガーが飛び出てきた。
慌ててジュースを差し出すと山本は煽る勢いでそれを飲みきる。

「大丈夫?」

「いや…うん、平気平気。それにしてもツナの口からそんなこと聞かれるとは思わなかった。」

「ごめん、やっぱ気持ち悪いよな。」

口を拭って頭を掻く山本に頭を下げると、ハッとしように山本が突然こちらに乗り出してきた。

「っつーことは、してないってことか?!」

「うわわっ!シー!」

いくら人が少ないとはいえ、居ないわけじゃない。
山本の口を押さえるとその隙間からもごもごしゃべりだした。

「だって、先月の終わりに泊りがけの旅行してきたよな?」

確かに泊りがけで行ってきた。だけどその前の晩に緊張して寝られなかったことと、観光を楽しみすぎたことでその晩は夕食を摂り終わるとすぐに寝てしまったのだ。
その後は先生の仕事が忙しくなり、そいう雰囲気になるような時間も暇もなかったと思っていたのだが。

突然黙りだしたオレの顔を見て何事かを察したらしい山本は、オレの手を外すとちょいちょいと手招きする。
内緒話かとオレも身を乗り出すと、周りに聞こえないような小声で呟いた。

「そんなに気になるならオレと見るって手もあるぜ。」

「見るって何を?」

「エロビデオ。見ながら教えてやろうか?」

変なこと言うなよと言い掛けて動きが止まる。山本経由で何本かその手のDVDを見たことがあるのだが、ぼやけていたりカメラワークでわざと見せなかったりと肝心な部分がよく分からなかった。
男女の違いはあれど、知らないと知っているのとは大違いだろう。

相手は引く手数多の大人で、オレは先生が初めてだ。経験不足は否めない。
知識くらいは普通にあった方が先生も手を出しやすいんじゃないのかと思い始めた。今日見てしまった場面がまざまざと蘇り、悔しくて歯噛みする。

固まったまま黙っているオレを見て、山本が悪いと言い出した。

「嘘だって!」

取り繕うように笑う山本の手を取ると小さく切りだした。

「……あのさ、迷惑じゃなかったら教えてくれる…?」

「つな、」

目を瞠って呻く山本にお願いと言った。









手元にその手のDVDもないし、互いの家では都合が悪いだろういと言われてそういうことをするための休憩所という場所に連れてこられた。
よく考えれば男同士だということに気付いたのだが、そこは入るときに誰にも見られずに入れるからと言われて感心した。

「よく知ってるね。」

「あーまあ…」

言葉を濁していたがきっとそれなりに経験があるのだろう。じゃなければオレに教えることもできないし。
先生が他の人と、なんて想像しただけでどうにかなりそだけど、山本には素直にすごいなと思うくらいだ。
同い年なのに進んでるとは思ったが、それは仕方ない。

「ってかさ、本当にいいのか?」

「へ?何で??」

教えてくれると言い出したのは山本なのになんで今更そんなことを訊ねるのだろう。
ホテルの少し横で立ち止まると、山本がバリバリと頭を掻きつつやけくそのように言い出した。

「オレには棚ボタだけど、ツナは本当にそれで後悔しないのかよ。」

「それってどういう、」

意味なのかと聞こうとした時に携帯電話が鳴り響いた。
よく考えれば待ち合わせをしていたのに、それすら忘れていたのだ。胸ポケットから携帯電話を取り出すと、今日は行けないと断ろうとして電話に出ると横から手が伸びて奪われた。

「あ、どうも。ツナの今んとこ友だちの山本です。いま××っていうところの前にいます。意味分かりますよね。…そういうことっス。それじゃあ。」

「って、ええぇぇぇえ!!?なんで先生にバラしたんだよ!」

勝手に切られた電話を手に山本に詰め寄ると、いきなりぎゅうと抱きしめられた。

「ツナ、ツナ…オレたち友だちだよ、な?」

「う、うん。」

何を突然言い出すのかと思えば、当たり前のことを聞いてくる。
背中を覆う手と包まれる匂いの違いに違和感を覚えたけれど、友だちという一言に抵抗をやめた。
よく分からないが、縋るように丸まる背中をポンポンと軽く叩いて諌める。

「大好きだぜ!」

「あ、ありがとう。」

改めて言われると照れるものだと思いながら山本と笑い合っていると、山本の背中の向こうの角からもの凄い勢いで車が飛んできたかと思えば大きな音を立てて急ブレーキを掛けて止まる。
見覚えのある車種だ。
そしてもっと見覚えのある顔がそこから飛び出してきた。

「…せんせい?」

こちらに向かってくる先生の顔は今まで見たこともないような、ひどく冷たい表情をしていた。


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