リボツナ | ナノ



3.




高校に入学してしばらくは互いに忙しくて連絡も取ることもできない日々が続いた。
やっと高校にも慣れ、連絡を取りたいと思っても迷惑にならないタイミングが掴めずに手にした携帯電話をただ握り締めるだけだった。




春から初夏へと移り変わる6月の初旬。

衣替えの季節だというのに、まだ肌寒い日が続いていた。
山本は夏の甲子園に向けて部活に忙しくなり、獄寺くんはまた今日もサボっている。
勉強ダメ、運動ダメのオレはやはり帰宅部に落ち着いていた。

その日は、欲しかった雑誌の発売日だった。思い出したオレは、いつもの帰り道にある本屋ではなく、少し駅より離れた大型書店へと足を運んだ。
少しマニアックな雑誌で、そこでしか手に入らないからだ。

3階建ての大きな書店は雑誌以外にもたくさんの品揃えがあって、ついつい時間も忘れて店内を眺めて歩いていた。
いつもは寄り付かないそこを覗いたのは、ほんの気まぐれだった。
3月までお世話になっていたのに、受験が終われば見向きもしなくなった参考書を思い出した訳ではなく、ふらりと歩いていたらそこについたというだけだ。

そこに見覚えのある背中を見つけて足が止まる。
背広がかっちりと決まる広い背中に、日本人離れした長い足。後ろに流した髪はきちんと整えられていた。

嬉しくて、声を掛けようと足を一歩前に出したのに踏み出してから躊躇った。
どうしてだか分からない。分からないけど嬉しさの反面、怖いと思った。
掛ける言葉も見当たらず、やっぱりやめようと後ろを向いたところで後ろから声が掛かる。

「ツナ、か?」

「先生、」

振り返って迷惑そうにされたら逃げ出そうと思っていたのに、こちらを見る先生の顔は今まで見たどの表情よりも穏やかで優しかった。
まだ先生に忘れられていなかったらしい。
ホッと息を吐いて向き直ると、先生がこちらに向かって歩いてきた。

「久しぶりです!」

「ああ…変わってねぇな。」

「ひどいよ、オレあれから2cmも伸びたのに!」

そう茶化すと笑っていた先生の顔から徐々に表情が無くなっていく。
頭に置かれていた手が頬に落ち、上から顔を覗き込まれた。
人形のようなと表現するには瞳に力があり過ぎる先生の綺麗に整った顔が近付いてきて、軽口すら叩けなくなる。早鐘を鳴らすように全身を巡る血液がどくんどくんと耳元で音を立てていた。

「もう一度、家庭教師と生徒としてじゃなく会えたら言おうと思っていた。」

耳朶に寄せられた唇から漏れる声に意味も分からず身を縮め、目を瞑ってそれでも耳は傾けた。

「お前から連絡がなければ諦めるつもりだった。」

「あ、諦めるって…」

先生の声はいわゆる美声というヤツだとは知っていたが、耳元で囁かれる声のなんともエロいことに初めて気付いた。恋愛経験がゼロのオレなんかその声だけで腰砕けだ。
それでもしゃがみ込むような姿だけは見せまいと、必死で先生のジャケットにしがみ付くとそれを見た先生がフッと笑う。

「どうした?怖いのか。」

「ちが、」

違わない。先生がなんだか違う人のように思えて身体が小刻みに震えていた。
ジャケットを握り締めた手が震えていることに気付いている筈の先生は、それには触れずに益々距離を縮めてくる。

あまり人の来ない参考書のコーナーとはいえ、いつ人が現れるかもしれない。それを期待している半面、邪魔されたくないとも思っていた。
このまま一緒に居たいけど、ここまで近付かれては息もままならない。
オレの心の中はぐちゃぐちゃで、身動きが取れない。

カッチンと固まったオレの肩を引き寄せると、そこから先生の手がするりと落ちて腰を掴まれてなお距離を詰められた。

「ここで選べ。オレと会わなかったことにしてこの場を立ち去るか、オレと付き合うか。さあ、どうする?」

「どうするって……」

どうすりゃいいんだ。
せっかく会えた先生と別れるのは辛い。大好きだという気持ちに嘘はないけど、どうにも先生のいう付き合うとオレが考える付き合うには隔たりがあるような気がするのだ。

涙目になりながらこっそり横目で先生を窺うと、ニッと笑う先生の顔は今まで見たことのない色をしていた。
それは言うならば取って喰ってやるぞと言わんばかりの瞳の色で、見た瞬間にゾクッと悪寒が背筋を這い上がった。

「…付き合うってどこまで?」

「そうくるか。そうだな、それなら最後までと言っとくか。」

先生は人をからかうけど、冗談は言わない人だ。だからこれは冗談ではないけど、どこまで本気なのかが分からない。
そもそも付き合うってどんな意味でなのか。

答えに窮していると、そんなオレの葛藤を無視して先生の手が腰を抱いて頬に添えていた指が顎を摘んで上を向かされた。
落ちてくる先生の顔を手で阻めば、ピクリと柳眉が跳ね上がる。

「邪魔すんな。」

「するよ!するに決まってるだろ?!なんでオレにキ、キスしようとしてんの!」

こんな場所で、とか。オレ男なのに、とか。誰とでも気軽にそういうことするのか、とか。
色々と言いたいことが渦巻いていて、だけどどれも口に出すことができなかった。
本当の本当は、それでもいいからオレがいいと言って欲しくて、でもそんなことはありえないと知っていたからだ。

気持ちを知って弄ばれているのかと思うと悔しくて情けないのに、それでも嫌だとは言えない自分が情けなくてじんわりと視界が滲みはじめた。
それでも泣くまいと目の前の顔を睨んでいると先生の顔を押し止めていた手の平を舐め取られて慌てて手を外す。

「なにするんだよ!」

想像の遥か上の行動を繰り返す先生に怒鳴ってもちっとも気にしていない様子で顔を寄せてきた。
互いの息がかかる距離で顔を覗きこまれながら声が響いた。

「好きだぞ、ツナ…」

言われて唇に吸い付かれたのと、人が視界に入ってきたのはほぼ同時で、分かっているのに離してくれない先生と、逃げ出したくても動けないオレと、見る気はなくともばっちり見てしまった見ず知らずの人と三者三様の気持ちと逃げだせない(内、一人は確信犯だが)雰囲気のこの場にしばらく沈黙がおりてから、声にならない絶叫が2人分上がったのはそれからすこし後のことだった。


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