6.京子ちゃんを家まで送ると、なにかに急かされるように駆け出した。 家には帰りたくない。 まだリボーンが居るかもしれないと思うと、逃げたくなった。 どこをどう走ったのか記憶にないが、息衝きが苦しくなったせいで足を止めると一番最初にリボーンを尾行した喫茶店の前まで着いていた。 自宅からはかなり遠ざかって、事務所からは歩いて15分くらいの距離だろうか。 隠れるのに丁度いいと喫茶店の扉に手をかけたところで携帯電話が着信を知らせた。 誰に疚しいところがある訳でもないのに、身体が強張って喫茶店からまた駆け出した。 走って走って、転びそうになりながらも走って、事務所の看板を視界に入れながらも横道へと逸れて、自宅の傍の空き地まで辿り着いた。 ゴロンと転がってから、手前にあったコンビニに避難していればよかったんだと気付く。それも今更だ。 荒い息を吐き出して空を見上げるともう夕日は沈み、半月が視界の隅に現れていた。 チカチカと瞬く光は旅客機だろうか。空を埋める星が綺麗だった。 今逃げたからといってリボーンから逃げられる訳はない。 もうしばらく待ってから帰ろう。 リボーンという男は、気に入らなければとことん追って始末するが、だからといってそれに囚われるといったこともないヤツだった。 今度会った時にダーツの的にされるかもしれないが、それで気が済むのだからオレに拘っているという訳でもない。 そんなことは一々考えなくても知ってた筈なのに嫌だと思った。 初めて会った黒川とアルバイトをさせるためにあの手この手と色々されたオレとが同じラインに立っていたということを突きつけられて悔しい。 京子ちゃんよりリボーンが気になるなんておかしいと思っても、結局リボーンのことを考えていた。 「バイト、やめよっかな…」 人通りも少ない空き地で、誰に聞かれることもない独り言をぽつんと呟いた。 返ってくる言葉もなく、虚しさに笑いが零れる。 一度吐き出された笑いという名のやりきれなさは、原っぱを抜けて夜空へと吸い込まれていった。 携帯電話で時刻を確認すると20時を少し過ぎていた。 ここまで経てばもう帰っているだろうと安心して家に帰ると、夜目には分かり辛かったが近付くと車が横付けされていた。 黒い車はエンジンがかかっていない。目を懲らしても人も乗っていないようだった。 どういうことだろうと恐る恐る家に入ると、少女のように頬を上気させた母さんが玄関まで飛んできた。 「つっ君、お客様よ。バイト先の所長さんが、わざわざケーキを持って来て下さって…カッコいいわねえ。」 母さんまでメロメロになったいた。 ヤバいと玄関からまた逃げ出そうとすると、居間から出てきたリボーンが声を掛けた。 「随分遅いな。お母さまが心配してたぞ。」 「ひぃ!」 爆竹を目の前に放られた猫の子みたいに飛び上がると、それに気付かなかったようにいつもの何倍も猫を被ったリボーンが、母さんへ何かを耳打ちしていた。 「ええ、どうぞ。つっ君、リボーンさんにご迷惑を掛けないようにね?」 「は?」 母さんの言葉ににこやかな笑顔で頷くと、何故かオレの腕を引いて外へと連れ出された。 慌てたオレは、腕を掴むリボーンの横顔に声を掛ける。 「なんで帰ってきたのにまた出てかなきゃならないんだよ!」 掴まれた手を剥がそうともがくも、びくともしない。 ここに至ってやっとリボーンが本気で怒っていることに気が付いた。 「リボー…」 「つべこべ言わずに大人しく付いてくれば酷いことはしねぇぞ。」 暗に騒げばどうなるか分からないと脅されて、身体が竦んだところを車の助手席に放り込まれた。 夜の街道を黒い車が一台すり抜けていっても、誰も気にはしない。 車が滑り込んだ先は、少し年代を感じさせるが落ち着いた雰囲気のマンションの地下駐車場だった。 人気のないそこに静かに駐車すると、やっと顔をこちらに向けたリボーンと視線が合う。 「な、なんだよ…」 確かにケーキを貰う約束をしていたのに、わざとすっぽかすような行動を取ったのはオレだ。 だけどその程度でここまで怒ることはない筈なのに。 じっとリボーンの顔を見つめていると、同じようにこちらを見詰めていたリボーンがようよう口を開いた。 「今までどこで何してたんだ?」 「なにって…」 うまい言い訳も浮かばす視線を泳がせる。 顔を合わせるのが嫌で空き地で転がってましたなんて言えない。 言葉を濁すと目を眇め、チッと舌打ちをする。 「ヘタレでド鈍のてめぇが、まさかそこまで進んだとはな。」 そこまでってどこまでだろう。 言われた言葉の意味を掴みそこねていると、両肩をドアに押し付けられて頭を打ち付けた。 軽い脳震盪でめまいを起こしている隙に、サイドブレーキに膝をついてこちらに乗り出す。 「京子とやらはヨかったか?」 「どうしてそこで京子ちゃんが…」 本当にさっぱり分からない。 上から押さえつけられながら睨まれて、そこではじめて違和感に気付く。 「怒ってんの?」 人をからかったり、おちょくったりはしても、本心は決して見せないリボーンの初めて見る本当の表情に驚いた。 訊ねれば虚を突かれたようにハッとした表情を見せ、それからクイッと口端を上げるとくつくつと笑い出す。 「怒っているかだと?ああ、腹は立ってるな。散々人を煽っておいて、実は他に好きな子がいましたなんてな。」 「何いって…それを言うならリボーンの方こそ、だろ!」 昨日は素肌までまさぐられて、いいように喘がされた。 なのに今日はそんなこと覚えていないと言わんばかりに、黒川をエスコートして行ってしまったじゃないかと。 そこまで考えて自分の気持ちに気が付いた。 こんな一回り以上も年上で、女っタラシで、性格は俺様な男を好きになってしまっていたことを。 どんなに否定しようとも、今までのことを思い出してみれば符合する。 それでも認めたくなくて、認めたらただ惨めなだけだと知って口を噤んだ。 「慣れてねぇお子様に、少しずつ教えてやってりゃ、さっそく他で試したって訳か?」 お子様の一言にカチンときた。 リボーンと比べればまだまだだけど、それでも子供というほど幼くもない。 お前は論外だと言われたようで眼に力を入れると睨み返した。 「オレは子供なんかじゃない…!」 無言の睨み合いが続き、オレの肩を掴む手に力が篭っていく。 痛さに眉を顰めると、それを見たリボーンがフンと鼻で笑って言った。 「そこまえ言うなら大人扱いしてやるぞ。」 . |