1.いつも行く店の少し手前にある女性客が多い喫茶店へと足を運んだ。 蒸し暑い真夏の昼下がり。 涼を求めてというより、連日の仕事疲れでさすがのオレも眠気に勝てそうになく、かといってどうしても事務所に帰ることもできないからと立ち寄ったところだった。 ガラスケースに張り付く子供の後ろを通り抜け、人気のない奥へと引きこもる前に店員にエスプレッソをダブルでと声を掛ける。 マニュアル通りに他にご注文は…とこちらを振り返った女性店員がポッと頬を染めることもいつも通りで、それに感慨なく首を振って席に着いた。 ネクタイに指を引っ掛け、少し緩めると遠回りにこちらを観察していた女性客がため息を吐く。 それさえ煩わしい。 手にした新聞で顔を隠すと女性店員が覗き込むように身を乗り出しながらカップをテーブルに置いた。 礼を言うとはぅ!と妙な声を上げながら名残惜しげにその場から離れる。 やっと落ち着けるとカップに口をつけたその時、どこからか視線を感じた。 探偵という職業柄、尾行することには慣れっこだがされることにも慣れっこだった。 好きでもない女に付け回されたことなどいくらでもある。 それを時に捲いて、時に宥めてと上手に断る術を持っていた。 だからあまり気にせずに、美味しくもないが不味くもないそれを喉の奥へと押し込んだ。 名残惜しげな店員のありがとうございましたー!を背に、灼熱の外界へと足を踏み出した。 目立たぬようにとグレーのワイシャツと黒のスラックス姿のせいで熱を吸収しやすいのだろう。いつもならばこれくらいなんてことはないのだが、3日も寝ていない身体には少々どころかかなり辛かった。 チッとひとつ舌打ちすると日陰を選んでクライアントの元へと急ぐ。 これが済めばしばらくはオフだ。 数多いる恋人の誰と過ごそうかと考えていると、後ろからうわぁ!という声が聞こえてきた。 女にしては低いが、男にしては少し高めの悲鳴に思わず振り向くと慌てて電柱の物陰に隠れた。隠れていても服の端がちらりと覗いていて、バレバレなのだが。 隠れる前に少し見えた顔はどこにでもいる少年に見えた。 強いて言うなら大きな瞳が気になるといった程度。 その瞳は逆恨みといった様子も、オレに懸想しているといった色も見えなかった。 それならどうでもいいと思ったのは暑さのせいか、はたまたなんの琴線に触れたというのか。 ともかく。 すぐに歩き出すと後ろの少年も必死についてくる。 先ほどは店の前に打ち水をしていた老人に水を掛けられたところだったのか、後ろから「悪かったね!」と声を掛けられていた。それに慌ててシー!と答える小声に笑いが込み上げる。 間抜けなヤツだ。 きっとこちらの様子を窺うことだけに集中して自分が疎かになっていたのだろう。 尾行は常に前だけでなく、周囲にも気を配るというのに。 笑いを零さないようにと気をつけながら後ろの足音を拾って歩く。 身長の差がコンパスの差なのか、小走りで付いてくる相手に口許が緩んだ。 子犬というよりハムスターのようだ。チマチマと必死に付いてくる様がおかしくて、眠さもダルさも忘れて軽くなった足取りに自分でも気付かぬまま回り道を始めた。 どこまで付いてこれるのかというイタズラ心が湧いたということもある。 人通りの多い参道を足早に歩き、物陰に隠れて後ろの相手を窺うと必死に探し回る少年がいた。 やはり少年だ。 大きな瞳以外はこれといった特徴もない、どこにでもいる地味な少年だった。 けれどコミカルな動きとその表情が妙にそそる。 ニッと口端だけの笑みを浮かべるとたまたま通りかかった女性が足を止めてうっとりこちらを見ていた。 それを見なかったことにして、また通りに戻ると少年が近付いてくる。 久々のおもちゃを見つけた気分でまた歩き出した。 最後の仕事先を出ると日は傾いていて夕暮れとなっていた。 夏の日はいつまでも明るく、けれど確実に沈んでいく。 19時を示す腕時計をちらりと確認し、さすがにもう待ってはいないだろうとビルの外に出ると街路樹の向こうからフワフワの髪が覗いていた。 どう見ても中学生の少年がそこまで後を追うとは思ってもいなかった。 それでも気付かぬふりで横を通ると、その少年は居眠りをしていた。 「…オイ。」 「んあ?!」 どんな理由か知らないがガキは早く帰れと言ってやろうと思い声を掛ける。 すると突然の声に驚いた少年が飛び跳ね、顔を上げた。 「ひっ…!」 間近で見た顔はやはり派手ではない。派手ではないのに驚きに見開いた瞳と、小動物のような仕草にカチンとどこかのスイッチが入る音が聞こえた。 「…名前は。」 「……」 「だんまりか?あれだけオレをつけといて、な…」 頭一つ分小さい少年にわざと脅すように声を掛けるとぶんぶんと頭を横に振って否定する。 あまりに勢いよく振りすぎて眩暈を起こしているらしい少年の腕を掴むと顔を上から覗き込む。 「どこの中学生だ?」 「なっ…!オレは高校生だ!ぁ…」 大声で突っ込みをいれたが、自らバラしたことに気付いて焦る少年を尻目に、オレはこの目の前の少年が高校生であることが信じられずに顔を見詰めた。 よくて中学生、悪ければ小学生かとも思っていた。だが高校生ならばまた話は別だ。 怯える表情にニヤリと笑い掛けると、掴んでいる腕が少し震えていた。 尾行していたことを気付かれていないと思っていたらしい。 「どうして尾行してたんだ?」 「あの…それは、」 「同級生とゲームをして賭けに負けて…とかいうヤツじゃ、」 「そう!それ!!」 バッと顔を上げてしがみつかんばかりに身を乗り出す少年に掴んでいない方の手で頭を叩く。 「んな訳あるか!」 「本当だって!」 「…警察に突き出されてぇのか。」 「ひぃぃい!それだけは勘弁して下さい!」 必死に言い募る少年の顔を見て、ふとあることを思いついた。 まだ幼さの残る細い顎を手ですくうと、顔を近付けてふっと息を吹きかける。 「また尾行されちゃ堪んねぇからな。名前と携帯番号を教えろ。」 「やりません!もう二度とつけたりなかしません!」 「煩ぇ。てめぇの高校はバイトは許可がいるのか?」 「ごめんなさい!ごめんな…へ?バイト?別に許可いらないけど…」 何故そんなことを訊ねられたのか意味も分からないままに少年が答える。 それを聞いて内心ほくそ笑むが、高圧的な態度を崩さず上から眺めて口端だけを上げた。 「名前は?」 「……沢田綱吉、です。」 観念した少年はそう呟くと顔を引き攣らせながらこちらを見上げている。 日本人にしては色素の薄い髪の毛と同じ色の瞳がオレを映していた。 「バイトとして雇ってやる。明日からだ。Fビルの2階にあるから必ず来いよ。」 「…え?」 「え、じゃねぇだろ。はい、だ。」 「う、あ、はい?」 顎から手を外し、顔を遠ざけるとヘナヘナと座り込む綱吉のつむじに向かって声を掛ける。 「とりあえず、こいつは預かっとく。返して欲しけりゃ来るんだぞ?」 「って、あーー!」 手にした携帯電話を指で挟むと目の前でチラつかせる。 それを奪い返そうと伸ばした手を掴んで引き寄せると、にきび一つない頬に噛み付いた。 「待ってる。」 甘噛みした頬をぺろっと舐めると綱吉が後ろに飛び退いた。その動きのコミカルなこと。 目まぐるしく変わる表情も、仕草も、何もかもが気になって仕方ない。 いいおもちゃが手に入りそうだと思った。 . |