2.目の前の、というより頭上にあるお綺麗な顔をマジマジと眺める。 先ほど殺されかけたというにに、こちらを見詰める黒い瞳には困惑も動揺すら微塵も見えない。というか、もう女のことなど忘れたような顔をしている。 見事というのか、神経がワイヤー並なのか、ともかくオレには理解できそうにない人種だ。 とりあえず警察に付き添ってくれと言われなかっただけマシだろうと算段をして、それから家にこいつを入れても大丈夫だろうかと少し考える。 しがない営業職の、しかも零細企業だから給料なんて雀の涙ほどしか貰ってはいない。 10代目だなんだと言われてはいても、体のいい雑用係ということで平社員となんら変わらない待遇だ。 盗られて困るほどの物なんて持ち合わせていないからいいかと頷いて、生ゴミの匂いのする男に返事をした。 「いいよ。まだ近所の風呂屋、空いてないもんな」 風呂ぐらいならと軽い気持ちでそう返すと、男……リボーンは悪いなと言いつつオレの横に並んだ。 横を向くのも煩わしくて、顔を前に向けたまま歩き出す。 「何やったら新年早々ゴミ置き場に叩き落とされるんだよ?」 聞かずにいようと思っていたのに、どうしても好奇心が抑えきれずに形になった。 リボーンもリボーンで、気にした様子もないからいけない。 「知らねぇ。ただ前の晩に一緒に過ごした女から電話が掛ってきただけだぞ」 「…………」 いわゆるアレだ。プレイボーイというか、チャラいというか、貞操観念が希薄なのだろう。 本人が自由だから相手も気にしないと本気で思っていそうだ。 ただの通りすがりのオレが言うのもなんだが、刺されなかっただけマシだなと勝手に納得して、チラリとリボーンの横顔を眺める。 これだけ見た目がよければ女は騙されるものなのかと眉を顰めてから、ポケットに手を突っ込んで自宅の鍵を取り出した。 大通りから一本中に入った小道を抜けると小ぢんまりとしたアパートが現れる。 2階建てのアパートは玄関が一階の真ん中に集中しているタイプで、そこに鍵を指してから軽く捻ってドアを開けた。 薄暗い玄関のすぐ前に伸びる階段を上っていくと自分の部屋に辿り着くといった具合だ。 リボーンを先に促せば、狭い玄関口でリボーンは靴も脱がずに何故か上着を脱ぎ始めた。 「なにす、」 「このまま上がると汚ぇだろ。こいつはこのまま捨ててくれていいからな」 「って!着替えは?!」 訊ねている間にリボーンは黒いジャケットとスラックスを脱ぎ捨てていく。 逃げ場のない狭い玄関先での出来事に視線も外せずにいれば、下着一枚だけとなった上半身裸の男が顎をくいっと上げた。 「風呂場は上のどこだ?」 「へ?あぁ、上がって左側」 そうかと頷いたリボーンは家主であるオレの断りもなくズカズカと階段を上っていった。 その後ろ姿を茫然と眺めていたオレは、2階から聞こえるパタンという扉を閉める音にようやく意識が戻る。 足元のぷーんと匂うゴミ臭い服を眺め、それからため息を吐くとゴミ袋を取りに2階の自宅へのぼっていった。 大急ぎで収集の時間に間に合うようにとゴミ袋を抱えていくと、この近所でも口煩いと有名な中年女性が腰に手を当てたまま仁王立ちしていた。 視線を追うまでもなく、リボーンが荒らしたゴミ置き場の惨状に腹をすえかねているのだろう。 刺激しないように女性の脇をそっと通り抜けようとすると、それに気付いたのかグリリと仁王像のような顔をこちらに向けた。 「……おはよう、沢田さん」 「お、おはようございます……」 あまりの恐怖に悲鳴が漏れそうになるも、ギリギリのラインでどうにか堪えた自分を褒めてやりたい。 必死で愛想笑いを浮かべてはみたものの、内心は先ほどの一件が誰かに見られてやしないかと冷や冷やしている。 オレはただの通りすがりだとはいえ、当事者であるリボーンを拾ってしまったようなものだという自覚はある。 この状況を作り出した本人たちに責任を取らせると言うのならば、オレは笑顔でリボーンと目の前のマンションの3階の女性だと証言してもいい。 そう決心したオレを見詰めていた口煩い中年女性は、おもむろに着ているエプロンから軍手を取り出すと手に嵌めだした。 「沢田さん、この後なにか予定はある?」 「えーと、…………………何もありません」 睨むように見詰められてしまえば、気の弱いオレには嘘も吐けなず逃げるための方便もないからガクリと項垂れながら口を開いた。 「手伝いましょうか?」 「あら、悪いわね!アパートなのにごめんなさいね」 ホホホと笑う女性にいいえと口だけ否定しながら、リボーンのしでかしてくれた後始末をしたのだった。 2013.01.08 |