リボツナ | ナノ



4.




泥のような眠りから覚めると、隣にはぬくもりなどなく人影どころか居る筈の気配さえ消えていた。
手を伸ばして冷えたシーツに触れると自分以外がつけた皺だけがそこにある。
そういえば今日は午前中に書類だけ出しに行くとか言っていたような気もするが、正直今はどうでもいい。
昨晩はあらゆる意味でいらぬ恥を掻いた。思い出すだけで顔から湯気が出そうだ。
ダメだと言うのに散らかしっぱなしの汚い家の中を見られ、なお且つキスさえ未経験だったことを知られた上にそれ以上のことをされて手玉に取られた。
悔しいと思えるほど自尊心も高くないし、あれが普通だと言われるとそうなんだと受け止めるしかないほど経験もないから、恥ずかしくはあるものの意外と落ち着いている自分がいる。
一般的なお付き合いというヤツは、キスしてあんな場所まで触られまくるんだなと初めて知った。
男女の場合には行きつくところまでいくということは知っていても、これが男同士の場合にはどこまでするのか知らなかったし、相手はあのリボーンだったから付き合うことになるとは思ってもみなかった。
オレのどこに興味を持ったのかは依然不明だが、とりあえず付き合うことになったらしいということは理解している。
その付き合うといった行為にアレが含まれていたというのは驚きしかなかったが。
布団を捲り上げるとパジャマどころか下着すら履いていない自分の身体が視界に飛び込んできて、バツの悪さに慌ててもう一度布団に潜り込む。
貧相というに相応しい薄い胸板とあばらの浮いた脇腹を縫うように赤い痕が刻み付けられていて、その下は腰が抜けたように力が入らない。
今日一日ベッドから這い上がれないんじゃなかろうか。
ふと思い出したあれやこれやに妙な呻き声を上げながら、布団を頭まで被ると中で丸くなった。
みんなあんなことをしているのかと思えば、すれ違うカップルにすら尊敬の念が浮かんでくる。
リボーンにしてみたらあんなこと恥ずかしくも何ともないのかもしれないが、自分の恥部を触られたことすらなかったオレにしてみれば大事件だ。
散々弄られ、嬲られて、ぐったりしていたオレの尻を最後まで撫でていた意味は分からないが、あれだけ隅々まで触られるとは思ってもいなかった。
いまだリボーンの指が下肢を這っているような気さえして、そんなことまで思い出した自分にもっと顔を赤くしていれば頭の上から携帯電話が鳴る。
朝からリボーンの指の感触をなぞっていたから疾しさに身体がビクッと跳ねた。

「も、もしもし…!」

それを振り切るように布団から飛び出して大声で電話に出れば、先ほどまで反芻していた声が受話器から聞こえてきて悲鳴のような声が上がる。

『どうした?何かあったのか?』

訝しむ声に全力で首を横に振りつつ、何でもないと何度も繰り返した。

『ならいいが……まだ寝てたのか?』

「う、うん」

へたに返事をすれば全部バレてしまいそうで、もごもごと言葉少なに頷く。そんなオレを気にした様子もないリボーンが、まあいいとあっさり流して話を進めていった。

『悪ぃが仕事が入った。今から支度して今晩イタリアに飛ぶことになってな』

「今晩?!」

『そういうことで、続きは帰ってきてからだな』

「いや、あの……続き?っていうか、今から?」

それがどうしたと、こともなげに返されて言葉が詰まる。
どうしたもこうしたもないと思う。昨日の話ではドイツから帰ってきたのが一昨日と言っていなかっただろうか。
フットワークが軽いというか、仕事が苦にならない性質なのか。すごいと尊敬するより、そのタフさに呆れながら行ってらっしゃいと声に出すと、電話口でリボーンが息を飲んだ。

「何?どうかしたの?」

『いや、なんでもねぇ。イイ子で待ってろよ』

「バッ……!変なこと言うなよ!待ってなんかないんだからな!」

子どもに言い聞かせるような口調にカッと血が頭に上り、反射的にそう切り返す。するとまたリボーンが息を詰めてから、クッと含み笑いを漏らすから馬鹿にされたようで顔が熱を持った。

「なんだよ!」

『ククク……いや、お前が予想以上にいいからにやけてるだけだぞ』

「何言ってんだよ!そうやって、またからかってるんだろ?!」

どうせ何も知らないさと膨れていれば、益々リボーンの笑い声が大きくなってきて恥ずかしさと悔しさで言葉が出せなくなる。
そんなオレの電話越しに聞きながら、リボーンは気軽に訊ねてきた。

『お前、明日から一週間の休みは取れねぇよな?』

「いきなり取れるもんか!そんなことしたらクビだよ、クビ!!」

この不況に定職がなくなったら食うにも困るからそう叫ぶ。
リボーンのように仕事が離してくれないというほどなら選びようもあるのだろうが、オレのようなコレといった取り柄もないタイプには今ある仕事を務めあげるだけで精一杯だ。
オレの言葉にそうだよなとあっさりと引き下がったところをみるに、言ってみただけらしい。
訳が分からないと眉を寄せて携帯電話を睨んでいると、電話の向こうからまた声が掛った。

『向こうに着いたらまた連絡するぞ』

「べっ別に、」

強がりを悟られたようでどもったオレに、リボーンは分かってると言わんばかりに電話口のオレの耳元にリップ音を落とした。

『じゃあな』

言うだけ言って切れた回線からはツーツーという音しか聞こえない。
茫然としながら手元の携帯電話を切ると、ポフリとベッドに顔を埋めた。

「…………なんだ、あれ」

今時あんなことをするヤツが居るのかとか、昨日から振り回されてばかりだとか、……本当はもう少しだけ一緒に居たかったとかなんてことがグルグルと頭の中に浮かぶ。
どうやら羞恥という単語が存在しないらしいリボーンに完敗だ。
自分から告白した筈なのに、どうにも押され気味だということを今更自覚する。
釈然としないながらもこれがオレらしいといえばオレらしいのかもしれない。というか、あれがリボーンという男なのか。

「もう一度寝よう」

考えるのも馬鹿らしいと早々に諦めて、今度は邪魔されない2度寝を満喫すべく瞼を閉じた。








宣言通りにリボーンからの電話がかかってきたのはそれから2日後の昼間だった。
勿論仕事中のオレは、それを受けることが出来なくて着信履歴だけを確認して少し驚いた。ああいうリボーンみたいなチャラい手合いは誰にでも安請け合いするけど、それを実行するとは思わなかったからだ。
何をトチ狂ったのかこんな冴えないオレみたいな同性と付き合う気になったものの、少し間を置けば我に返って見向きもされなくなるんだろうと思っていただけに予想の範疇を越えた。
それにしても、そんな軽そうな相手によくも告白なんて出来たものだと我ながら感心する。

「……まあ、そう思ってたから告白出来たってのもあるかな」

あれだけ連れている女が毎回違えば、そう思っても不思議じゃない。
好きだと気が付いて、最初は諦めようとした。連れ歩いている女の人があまりに綺麗な人ばかりだったから、鼻で笑われるだろうと思ったからだ。
だけど逆に言えばそれだけ言い寄られているだろうということで、ならば男の1人や2人告白されたことだってあるかもしれないと、慣れているのではと考えて告白したという訳だ。
上手くいくことなんて考えていなかったからこの状況がピンとこない。
これはからかわれているのか、それとも少しぐらいは気にして貰えているのかさえ分からないから電話を掛け直すこともせずに放置していた。

「沢田さん、休憩取っていいわよ」

「はい」

接客業でもある書店の店員だから、基本携帯電話を携帯出来ない。携帯出来ない携帯電話に意味はあるのかという論議はこちらに置いて、13時を少し回った店内を見回してから交代の同僚に頭を下げてバックヤードへと下がっていった。
そういえば昨日携帯電話を確認してから触ってもいない。そろそろ充電しなければと思い付き、着替えを放り込んであるロッカーに向かうとその奥から呼び出し音が鳴っていた。
どうやらオレの携帯電話らしい。慌ててロッカーの扉を開くと、ズボンに入れっぱなしだったそれを探って引き寄せた。

「もしも」

『この、ダメツナが』

突然の声にビクンと肩が揺れる。
咄嗟に携帯電話から耳を離すと、液晶画面にはリボーンの文字が躍っていて、つまりは電波の先で声を荒げているのはリボーンということになる。
懐かしい学生時代のあだ名を呼ばれ、それをどうして知っているのかと携帯電話を眺めていると、電話口からまた声が聞こえてきた。

『……何回電話を掛けさせんだ』

「え、あ……ごめん!」

手元から聞こえるため息混じりの声に、慌ててしがみ付いて頭を下げた。

『電話するっつっただろうが。受け取れねぇのは仕方ねぇが、掛け直すぐらいはしろ』

事故にでも遭ったんじゃねぇかと思ったと言われ、心配されていたのかと驚く。その程度は気にして貰えていたらしい。
自分なんてその他大勢の中の一人だと気楽に構えていたから、少しでも気に掛けて貰えていた事実に申し訳なくなってきた。

「ホント、ごめん……」

それ以上言いようもなくて謝罪だけ繰り返していると、電話口のリボーンが長いため息を吐いた。

『お前、女どころか人とまともに付き合ったことがねぇだろ?』

「うっ……!」

その通りとはいえyesとは言い難い。言葉を濁していれば、それで察したらしいリボーンが呆れた声で小さく笑った。

『そこがいいって言や、いいか』

いらぬ恥ばかり掻いている自分を自覚して項垂れているところにそう告げられ、その妙に色っぽい声色に言葉の意味も分からず心臓が跳ねた。

『メールぐらい返信しろよ』

じゃあなとあっさり切られて、そこでやっとリボーンからメールが届いていたことに気付いた。
そういえば今朝は寝坊したせいで携帯電話を覗く暇もなかった。
チカチカとメールを受信していることを知らせるランプに急かされるまま指を伸ばしてメールを開く。


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それだけしか書いていないメールを何度も視線でなぞってから慌ててメールを閉じて手で携帯電話を隠した。
自分の他に誰も居ないことを何度も確認してから呟く。

「……これにどう返信しろっていうんだよ!」

リア充への返信なんて自分には荷が重すぎる。


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