11.砂埃を立てて転がるモミの木は無残にも枝が折れ、ツリーとして使うのは無理なほどひどい有様となってしまっていた。 外で木の実を拾っていた山本先生や獄寺先生も大きな音を聞きつけてその場に集まってきた。 「どうしたんだ?」 「分からないんだ。誰も居なかったし…」 どうにか起こしたモミの木を前に腕を組んで眺めていたリボーンは、辺りを見回すと薄く開いていた窓まで近付きしばらく考え込んでいたかと思えば、きちんと閉めてこちらに戻ってきた。 「獣臭い匂いがしやがる。…まだツナを狙ってやがるみてぇだな。」 先ほどまでの夜のリボーンを思わせるような艶はなりを潜め、いつもの無表情へと変わっていた。 ホッとしたような、どこか腑に落ちないような気持ちでリボーンを見詰めながら小声で訊ねる。 「だって印のついた人間は他のモンスターが手出しすることが出来ないんだよね?」 「ああ、だがそれはあくまで決まりというだけだ。守るものもいれば、守らないものもいる。…しかし真祖であるオレの獲物に手を出すなんざいい度胸だぞ。」 おもしろくなさそうに口をへの字に曲げると、オレの手を握って園児が集まりだした輪の中へと歩き出す。 切れ上がった眦を益々上げる顔にぎゅっと胸を捉まれた。 「お前は絶対に守ってやる。」 それは契約だからだよなと言いかけて、返事を聞くのが怖くて口を噤んだ。 当たり前の話だったし、それでいい筈だった。 オレの手を握る小さい手を見詰めながら騒ぐ園児たちを引き離すべく意識を切り替えてその輪に近付いていった。 日勤を終え、リボーンを連れて帰る頃になると夕日はどっぷりと暮れている。 細い三日月が夜空に申し訳程度に現れているが、その下を旅客機だと思われる光がチカチカと瞬きながら飛んでいた。 夜勤の先生に引継ぎをして、ここ1週間は少しお母さんのお迎えが遅い京子ちゃんと了平くんの2人にさよならを告げてから保育園をあとにした。 街灯の少ない夜道をバス停まで歩いていく。 オレの斜め後ろを歩いていたリボーンの気配が突然変わり、なんだろうと振り返ると大人バージョンに成り代わっていた。 「うわっ!こんなところでいきなり変わるなよ。まだバスにも乗らなきゃならないのに!」 いくら人通りのない住宅街の夜道とはいえ、まったく通らない訳ではない。見られてないかと慌てて辺りを見回すと、後ろから長い腕が巻き付いてきた。 「ごちゃごちゃうるせぇぞ。辺りから犬臭い匂いがする。ガキの姿だと身軽だがリーチが足らねぇし、力がないから押し負けるかもしれねぇんだ。」 喰われたくなけりゃ言うことを聞けと、頭ひとつ分高い位置から落ちてくる声音にビクビクと身体が震えた。 夜のそういう時にしか見せない姿と低く艶を含んだ声に心臓が妙な具合に踊る。 誰も通らない道端で耳朶に唇を寄せられながら引き寄せられ、抗う力が抜けていく。 これがヴァンパイアの能力だというのなら、年頃の娘さんならイチコロだろう。 肩に回された腕と、腰を掴む手を剥がそうと指を伸ばすもどこか力なく添えるだけになった。 リボーンの胸板に凭れ掛かっていると、耳を口で食みながら笑っている。 「昼間、ツナの血を舐めたからな…久々の美味しい血に抑えが利かなくなっちまったか?」 腰を掴んでいた手が前をなぞり、耳をもてあそんでいた唇が首筋を辿る。 一撫でされただけで半起ち状態になってしまったそこを慌ててコートで押さえると、首の柔らかい肌を啄ばんでいた口が少し離れた。 「そろそろバスの来る時間だぞ、急げ。」 肩を掴まれるままに走り出したオレたちの後を濁った光を宿した瞳がついてきていた。 帰宅する会社員や家路につく学生たちでほどほど賑わっていたバスの中に足を踏み入れると、リボーンを何気なく振り返った人たちはサッと波が引くように退いてオレとリボーンの周りだけ空間が出来た。 本能的に近寄ってはいけないと分かるのかもしれない。 ともかく視線すらこちらに寄越さないようにしている人がほとんどだ。 遠慮という文字を忘れた年配の女性ですら顔をあげない。女子高生に至ってはリボーンの毒気に中(あ)てられたのか夢見心地の表情を浮かべている子すらいる。 思わず心配になって小声で訊ねた。 「この状態って大丈夫なのかよ?」 「オレがこの空間から出れば元に戻る。…普通の人間はこうなるんだぞ。」 バスの車中が催眠状態に陥ったままゆっくりと走り出した。 誰もが虚ろな表情を浮かべこちらを意識することもできない様子だった。 リボーンに手を握られたままだったことに気付いたがこの状態なら気にする人もいないだろう。 それにしても。 「今、普通の人間ならって言ったよな。それってオレは普通じゃないってこと?」 「普通じゃねぇだろ。ヴァンパイアに人狼、他にも色々なバケモノどもがツナの心臓を狙っているんだぞ。」 「どういうこと…?」 そんな話は初耳だ。 今までは人狼だけが狙っているのだと思っていた。しかも心臓なんて欲してどうなるというのだろうか。 オレの心臓になにか意味があるのかとリボーンに問うとオレの手を握る手に力が篭った。 「ツナの家系は代々モンスターにとって垂涎の血が流れているんだ。オレたちはそれを黄金の血と呼んでいる。その血は一世紀に一人、現れるか現れないかというくらい貴重な血で、その血肉をすすれば不老不死そして力に満ち溢れると言われてるんだ。」 「…だから?」 あまり意味が分からないオレは小首を傾げながらもう一度訊ねると、繋いでいない方の手で頬を摘まれた。 痛い。 「このバカ野郎…つまり、てめぇを喰えばバケモノどもの王になれると信じられているってこった。」 「へー…って、いひゃい!」 「ったり前だぞ。痛いようにやってんだ。」 ぎゅうぎゅうと頬を抓られて痛さに視界が滲んできた。 リボーンの手を外そうと躍起になっていると、手を握っていた手が解かれてコートの奥に忍び込んできた。 明確な目的を持つ手が腰から尻、そしてその奥へとなぞっていく。 頬を抓っていた手は流れるように手を滑らせて顎をつまんで逃げられないように固定された。 落ちてくる顔にヤバイと思いながらも逃げ出せずに口を塞がれる。 後ろをなぞる指と塞がれ舌に絡め取られて腰砕けになる。 リボーンのジャケットに手を這わせ縋りつくと、顎から背中に回った手が支えてくれた。 隠しきれない牙がオレの唇に刺さり、その痛さと絡まる水音にハッと意識が戻ってきた。 手でリボーンを押し返そうと突っ張るも力では敵うはずもない。 後ろをなぞる指が襞を掻き分けて奥まで少し挿し入れられたところでヒッ!と声が漏れた。 それを聞いていたリボーンが唇を少し離してくつくつと笑い出す。 「オイ、あんまり大きい声を出すなよ。今はまだ催眠状態だが大きい声や音であっさり解けるんだぞ?」 「ヤ、ばか…!離せっ!」 腕の中でもがいているオレのことなどお構いなしに首筋に口付けを落とすと牙で脈の上を探り当てた。 それでも噛む訳でもなくただ鼓動を楽しむように皮膚の上からなぞるだけだ。 恐怖と快楽の二律背面は絶妙な緊張感をもたらして、なお快楽の高みへと押し上げられる。 それでも声は漏らすまいと唇を噛み締めていると、首筋を彷徨っていた牙がまた落ちてきた。 「ヴァンパイアが何故人を襲っても掴まらないのか知っているか。」 「し、らな…」 「それは周囲を催眠状態にしてその間の記憶をあやふやにさせられるからだぞ。そして、それが効かないということは同じバケモノだということだ。」 唇の上をなぞる息にゾワリと這い上がる疼きに唆されるまましがみ付くと、リボーンは後ろから指を抜いて即座にオレを抱きかかえると後ろに避けた。 避けた空間にゴウ!と音を立てて何かが飛んできた。 「よく分かったな、人喰らいのヴァンパイア。誰もがお前のようになりたいと願っているその最強の力は、最強の称号をおくられる気分はどうだ?」 いつの間にそこに居たのか、人垣を掻き分けて半人半獣の異形のバケモノが姿を現した。 途端に催眠状態が解かれ、悲鳴を上げる女性客や逃げ出そうと必死に避ける人垣を潜り抜け目にも留まらぬ勢いでこちらに飛び掛ってくる。 オレを抱えていた腕が懐に差し込まれ、また押し込められたのはほんのわずかな瞬間で、その間に一発の銃声とギャン!という鳴き声、それにバスの窓から逃げ出す陰が見えた。 急ブレーキを踏んだバスは乗客を薙ぎ倒しはしたが、オレを支えるリボーンは微動だにしなかった。 . |