4.数人の子供たちに夕飯を食べさせ、その片付けをしていたオレは外の暗さにふとその手を止めた。 まだ18時を回ったばかりだというのに、宵の気配を漂わせている園庭にはポツンとひとつボールが残されている。 誰か片付け忘れたのだろう。 いつもならばすぐに外にでて片付けるのだが、今日はそれも躊躇われた。 子供たちのトレーを乗せたワゴンを止めてそれを眺めていると後ろから声が掛かる。 「言っとくがこんな時間になって外に出るんじゃねぇぞ。」 「うん…」 抑揚の少ない声が釘を刺す。 ピタリと張り付くようにオレの後ろを歩いているリボーンが包帯を巻いた手を翳して見せた。 それを目に入れてビクッと身体が揺れる。 「ツナのせいじゃねぇから気にするな。ただ、暗闇はヤツらの時間だということだけは覚えておけ。」 「…」 巻かれた包帯からわずかに滲む血の色を見て顔を歪ませると、リボーンを肩を竦めて包帯をしていない左手でオレの背中を打ちつけた。 子供とは思えない力強さに廊下に転がったのは仕方のないことなのかもしれないが。 ことの起こりは今日の昼間。 昼食が終わり、園児たちと共に昼食後の遊びに興じているときのことだった。 一緒に暮らすこととなってから一週間ほど過ぎたリボーンとの生活も互いに大分慣れてきて、オレが日勤の時には昼間に通い、早番の時にも同じく早起きをして連れてくるといったサイクルを経て今日から3日夜勤が続くことになっていた。 その間、リボーンとは同じベッドで寝起きしていたがあれ以来あの男が夢に出てくることもなかった。 やはりただの夢だったのかと安堵して、けれど小さな違和感を飲み込めないまま過ごした。 リボーンはと言えば、6歳という年齢とはとても思えないほど大人びた少年で、感情の起伏もあまりない手のかからない子供だった。 楽といえば楽なのだろうが、毎日泥だらけで遊んだり友達と喧嘩をしたり仲直りしたりといった子供を見ているオレは逆に大丈夫なのだろうかと不安を募らせていた。 「リボーン、了平くんが向こうで呼んでるよ?」 「いい。オレはお前と一緒に居なきゃなんねぇんだ。」 3歳クラスの女の子たちとおままごと遊びをしていると、その後ろで何をする訳でもなくリボーンがお砂場の端でオレの背中を見ながら座っていた。 同い年の子供たちに比べるまでもなく異質な存在だ。 遊びたくないのだろうかとため息を吐いていると、いきなり背中を蹴飛ばされ砂の山の上に転がされた。 次いでガシャン!という何かが壊れた音が頭の上でした。 せっかく作った山を壊された女の子たちが泣き出してしまい、慌てて後ろを振り返るとリボーンが立っていた。 「ちょ…何するんだよ。」 鼻の頭に砂をくっ付けたまま振り返るとオレの頭の向こうへと視線をやって顎をしゃくる。 それを辿って驚いた。 「何でこんな物が…?」 それは園庭の隅に置かれていた植木鉢だった。 来年の春に咲くようにとみんなで植えたチューリップの球根がお砂場のそこかしこに散らばっている。 砕け散った植木鉢はひとつで、それはとても大きな代物だった。少なくともオレひとりでは持てないほどの。 呆然とそれを眺めていると、オレと植木鉢の残骸を振り返ってから投げ付けられた場所を確認するように辺りを見渡してそれからリボーンは呟いた。 「狙われてるんだぞ、お前は。」 「は…?なんのこと、」 「すっとぼけんな。ここ一ヶ月、色々なことが起きた筈だ。」 「…」 言われるまでもなく、色々と身の危険を感じることが多かったのは事実だ。 ある時は変質者に追われ警察に逃げ込んだこともあったし、またある時はバスに乗り込もうとしたところを腕を引かれて連れて行かれそうになったこともあった。 けれどどれも学生時代のストーカー被害とさして変わらないものばかりだったので、自衛すればいいのだと言い聞かせてきたのだ。 それもリボーンと一緒に暮らし始めてからはピタリと止まったので、やっと諦めたと思っていたのに。 粉々に砕けた植木鉢の回りから子供たちを遠ざけるとちりとりと箒で片付け始める。 獄寺先生に子供たちを預け、しゃがみ込んでいると後ろを守るようにリボーンが立っていた。 その背中に話し掛ける。 「…父さんの、園長の差し金?」 「親心ってヤツだろう。」 「とでもない親心だね。リボーンみたいな小さい子供にこんなことを依頼するなんて。」 いくら我が子可愛さとはいえ、小学校にも通っていない子供をイタリアから呼び寄せてどうやって解決させようというのか。 憤懣やるかたない面持ちで植木鉢の欠片を厚手のビニール袋に突っ込んでいると、頭をひとつ殴られた。 「オイ、言っとくがな…オレはただの子供じゃねぇぞ。その道のプロってヤツだ。」 「その道?」 「そうだ。お前が狙われてんのはストーカーなんかじゃねぇ。その植木鉢は普通の人間でも持つのがやっとの重さだぞ。それを園庭の端からここまで投げ付ける腕力なんざ人間の訳がねぇ。」 「人間じゃなきゃなんだっていうんだよ…」 世迷いごとをと笑えないのは手にした欠片のせいだろうか。 ゾッと背筋を這う悪寒に耐えながら腕を組むリボーンを見上げると、表情のない白い面が口端だけくいっと上がった。 「モンスターってヤツだぞ。」 人形のように端正な顔がそれだけで凄味を増す。 とても子供とは思えない瞳の色に気圧されて手にした欠片を落としてしまう。 「そんなバカな…そんなの居る訳ないだろ?!」 そう叫んだ瞬間、頭の上からビュン!と音を立てて何かがオレの上に落ちてきた。 ぎゅっと目をつぶったのと同時に足音が重なり、鈍い音が聞こえてくる。 痛みも衝撃もないことに驚きながらも、恐る恐る目を開けるとオレの上に覆いかぶさるようにリボーンが立ちふさがっていた。 「リ、ボーン?」 小さな手を重ねた先には大鉈が吸い込まれていて、それが赤い血とともにボタリと砂の上に落ちた。 落ちた大鉈は重さをまるで無視したようにふわりと風に舞い上がり、どこかえと消えていってしまった。 「リボーン!!」 「平気だ。分かったか?こんなこと、普通じゃねぇんだぞ?」 溢れる血を押さえながらそうはっきりと言い切った。 20時を過ぎる頃には大抵の子供たちは母親や父親とともに家へと帰っていく。けれど、夜の仕事を持つ親御さんもいて、その子たちの面倒を見ることが夜勤の保育士の仕事だった。 大きい浴槽に湯を張り、リボーンと合わせても3人しかいない子供たちを脱衣所まで連れて行き脱がせてやる。 「最後はリボーンだね。っていうか入るの?」 あれだけの大鉈を手で受け止めたのだ。縫う羽目になると思っていたのに、傷口を消毒してみればそれほど深くは切れていなかった。血溜まりで砂が赤黒く染まるほどだったというのに不思議だ。 それでも不幸中の幸いだと思い、動かせないように包帯で固定しておいた。 それのせいで動かし難いのだろう右手で上着を脱ぎ捨てるとズボンのボタンも外そうとしていた。 「風呂場ん中で襲われたらどうすんだ。オレが傍にいるせいで上手く事が運ばないことに苛立ってるんだぞ。生きてりゃいいんだ。死にかけでもな。」 「嫌なこと言うなよ。」 「いいから入るぞ。」 オレの手を借りることなく脱いだリボーンは、気にするなと言うと先に風呂場に入っていき、オレも慌ててその小さい背中の後に続いた。 2歳と3歳の子供たちを寝かしつけると、オレの後ろで監視するように椅子の上に座って見ていたリボーンも頬杖をついた格好で寝てしまっていた。 眉間に皺が寄っていて、せっかくに綺麗な顔が台無しだ。 そっと手を掛けると、先に寝てしまった子供たちの横の布団に転がしてやる。 握りしめる右手を両手で包んでそっと力を緩めさせた。 まだ小さい手と、オレでも抱きかかえられるほど軽い身体でどうやってオレを守ろうというのか。 守られているのは分かっていても、それが本当だったとしてもどうしても納得はできない。 先ほど洗って乾かしてやったばかりの黒い髪の毛はまだ子供特有の柔らかさが残っている。 撫でつけていれば眉間の皺が徐々に緩んできて、白い頬がほんのわずかに緩んだ気がした。 「おやすみ…」 小さく声を掛けると電気を消して部屋を後にした。 夜勤の時にはもう一人いることが多いのだが、今日はリボーン以外の子供も手の掛らない子だけだったのでオレだけ残ることにしていた。 その道のプロだと豪語するリボーンがモンスター避けを施したらしい。 あれ以来気配も感じなかったし、何かが飛んでくることもない。だからもう大丈夫だと思っていた。 オレも少し仮眠を取ろうと部屋を出て、保育士が仮眠を取る部屋へと歩き出した。 静かな夜だった。 住宅街の中にあるこの保育園は、夜になると近所で飼われている犬の鳴き声くらいしか聞こえてこない。 それも今日は一切聞こえず、不気味なほどだ。 足元だけを照らす薄暗い廊下を歩いていくと、ぞわりという気配が背後から現れてそのまま首を絞められた。 ドンと背中を壁に押し付けられて息も出来なくなる。 「フン、しゃらくさいハンターごときの結界で入れなくなると思うなよ。」 薄れる意識の端で感じるのは毛むくじゃらの腕と、獣の匂いだ。 あの明朝と同じような化け物が目の前で笑っていた。 「あいつはやられたが、オレは違う。お前の血肉を喰らえば人狼族で一番強く長く生きられる。」 そんなの知らないと叫びたくともそれも出来ない。 ガバッと目の前で開いた口の大きさにダメだと諦めたところでパン!という音とともに化け物が崩れ落ちる。 緩んだ腕から這い出すと、暗闇からもう一発パンと音を響かせて何かが化け物の身体に吸い込まれていった。 崩壊する化け物はこの世のものとは思えない声を上げて跡形もなく消え去った。 残されたのは銀の弾が2発だけ。 そして明かりの灯らない暗闇から現れたのはやはりあの男だった。 . |