2.日差しは春の麗らかさだが、廊下を通る風はまだまだ冷たい。 3月も半ばになれば多少は暖かい日もあるのだが、今日は最近では一番冷え込んだ。 ひょっとすると帰りの道すがら、雪でも降ってくるかもしれない。 学生服って着込めないから寒いのに…帰るのも面倒臭いや、なんて思っていたのが悪かったのか。 いつものごとく、いつものように、担任教諭が篭っている数学準備室の扉を叩く。 休み時間や昼休みは女生徒がこの準備室に群がっているのだが、放課後はいつも誰も来ない。 何故なんだろうと扉を叩くときに考えるのに、扉を開けるころにはそんなことすら忘れている。 そして今日もそんなことは担任の顔をみて吹き飛んでしまった。 椅子に腰掛けて、長い足を机の上に放っている。 それだけならたまにやっているのを見たことがある。 問題はそこじゃない。 上に乗っかっている顔だ。 綱吉を見た途端、少し垂れ気味の眉がピクリと跳ね上がり、目は据わって、口許は一見笑っているようにも見えるが実はかなりご機嫌斜めな時によくなっている口角だけが上がっている状態だった。 この一年で嫌というほど叩き込まれた表情の中でも一番怖い顔だった。 「な、なにか…?」 扉の前から足が離れられなくなった綱吉は、恐る恐る声を掛けた。 するとリボーン先生はまたも眉を動かすと、こっちへこいと手招きする。 怖い。 何と言うか今日は一段と迫力がある。 だからと言って来いと呼ばれて行かなければ余計に怖いことになることは学習済みだったので、嫌がる足を無理矢理動かすと先生の横に立った。 上から下まで綱吉を眺めると、リボーン先生はハー…とため息を付いた。 「先生はな、悲しいぞ。」 「は?はぁ…」 「ツナはバカでのろまで突っ込みしか取柄のないヤツだけど、」 「って、酷いよ!」 「それでも義理は果たすヤツだと思ってたんだがな…」 「……何の話ですか?」 何が何だか、さっぱり話が見えない。 こんな恐ろしい教師相手に不義理をした覚えなどない。 そんなことした日にはどんな恐ろしい目にあうか…想像に難くない。 一生懸命、4月から今日にかけて思い出してみているのだがまったく身に覚えがなかった。 暑中見舞いも年賀状も、果ては母親から持たされる季節の折々の手作りお菓子から弁当まで思い出してみたが心当たりがない。 「そんなんだから、お前モテないんだぞ。」 「大きなお世話だ!あんたに比べたら誰だってモテないでしょうよ!」 思わず口答えすると、ギロリとリボーン先生に睨まれた。 「確かにオレは格好いいが、そんなおだてにのると思うな。」 「だから何のことですか!」 「ツナ、今日は何の日だ?」 「…ホワイトデーですね。それが何か?」 どうせオレには縁もゆかりもありゃしませんよ、と言いかけてふと何かが引っ掛かる。 ホワイトデーの対になる日。それはバレンタインデーだ。 今年のバレンタインデーも、母親以外からは誰にも貰えず…いや貰ったには貰った。 相手が相手だったので、そんなつもりは微塵もなかったのだが。 大体貰い方だって、あれだ。虐められて泣かされて、それに焦ったリボーン先生が口の中に放り込んだのだ。 「美味しかっただろう?中学生には勿体ないかと思ったんだがな、ベルギーから取り寄せたヤツでな…本命だから奮発したぞ。」 「…初耳です、先生。」 「そうだな、初めて言ったな。」 「って言うか、先生はオレのことどうでもいいヤツだから虐めるんだと思ってた!」 慌てて後ろに下がろうとした綱吉の腕を掴むと、先生は引き寄せて膝の上に乗せた。 カッチンと固まった綱吉を気にせず、脇の下の手を入れて逃れようとする身体を固定して目を覗き込む。 「バカだな…放課後は何でいつも人が居ないんだと思ってたんだ?ツナで遊ぶ…じゃなかった、ツナと一緒に居るために邪魔なヤツらを追い出しているんだぞ。」 「今、本音漏れてた!」 「さあ、ツナ。先生の本命チョコになんて答えてくれるんだ?」 疑問系だけど、断ったら今すぐどうにかされそうな勢いに、持ち前の勘の良さで気が付いたツナは、けれどその答えのはぐらかし方は知らなかった。 「うううぅ…」 「早くしねぇといいように解釈するぞ。」 と言うと腕に力を込められて胸の中へと抱き込まれた。 ぐっと顔を近付けられて、咄嗟に手でガードした。 「ちょ…待って下さいってば!いきなり過ぎだろ?!それに先生が生徒に手を出したらいけないでしょうが!」 ハーハーと肩で息をしながら叫ぶと、迫ってきていた顔がピタリと止まった。 何やら考えている様子のリボーン先生の腕から逃れて、膝の上から飛び降りた。 扉の方まで駆けていくと、後ろから先生の声が聞こえてくる。 「…分かったぞ。あと一年待ってやる。それまでに彼女がいなくて、このままの成績だったら…」 「だったら…?」 「先生が貰ってやる。どの道今のままじゃ高校なんて進学できねぇしな。」 いいアイディアだろ?とかなり本気のリボーン先生に、綱吉はひぃぃい!と悲鳴を上げた。 「死ぬ気で勉強します!」 一年かけてリボーン先生に慣らされた綱吉が、また一年かけて口説かれたかはどうかはまた先のお話。 それからの綱吉が本気で勉強に励んだのは言うまでもない。 終わり |