どうにか獰猛な肉食獣2匹から引き離すことに成功したオレは、横に歩く沢田の寝ぐせなのか元々なのか分からない茶色い髪を肩越しに見詰めていた。 食ったら甘いんじゃないのか。 つい誘惑に駆られて顔が近付いていく。チョコレート色をしたそれにもう少しで到達するというところで、沢田が突然顔を上げた。 「スカル、ありがとな。」 「ななな…何がだっ!」 顔を近づけていたオレのことなど不審にも思っていない表情の沢田に、後ろ暗いところがあるオレはうろたえる。 慌てて横を向くと追うように顔を覗きこまれて心音が激しくなった。 「さっきの、わざとだよな?あんなことしたらまた絡まれるだろ。」 「別にいつものことだ。」 ごめんな、と眉根を寄せる沢田の頭をぐりぐりと手荒く掻き回すと、痛い痛いと言いながらも笑顔が戻る。そんな表情ひとつすら可愛くて仕方ないのだから困った話だ。 沢田という存在に気付いたのは中学2年の春から夏へと移り変わる雨の日のことだった。 傘を持ってきていたのに、悪魔の生まれ変わりのような先輩に取り巻きの女の子が一人傘を忘れたから寄越せと奪い取られて呆然と土砂降りの空を眺めていた時に後ろから声が掛った。 「傘、忘れたの?」 「…いや、」 どう答えればいいのやらと後ろを振り返れば、そこに居たのが沢田だった。自分よりも低い目線に後輩の癖に随分と馴れ馴れしい口調だとムッとしてすぐに前を向いたオレの横に立った沢田は折り畳み傘を差し出してきた。 「3組のスカル君、だろ?いつも目立つ金髪と黒髪のヤツらにパシらされてる…」 「パシりじゃないっ!」 反射でそう大声を上げたオレに怯えたようにビクンと身体を震わせた沢田は小さい声でごめんと謝ってきた。 「オレとちょっと似てるなって思ってたから、話してみたかったんだ。でもスカルくんは全然違うよな。」 そこで初めて自分と同級生なのかと思い至った。差し出された傘を持つ手を辿り、それから鳥の巣のような髪の毛に埋もれた顔を見てドキっとした自分に頭を振ってから思いだした。 「お前、ダメツナか?」 「う…そうだけど、結構はっきり言うなあ。」 と苦笑いを浮かべる顔には諦めの色が滲んでいる。反論する気すらないらしい沢田に何故かオレが腹を立てて差し出された傘を毟り取るとそれをビシッと顔に突き付けた。 「オレはヤツらに服従してる訳じゃない。お前も誰に何を言われても平気でいればいいんじゃないのか。」 「う、うん…でも頭悪いのも、運動神経がないのも本当だし…」 次第に小さくなっていく声に苛々として思わずオレが熱くなってきた。 「お前がバカなことで誰が迷惑を被るんだ?運動神経が悪いからって死んじまう訳じゃないだろう。俯くな、顔ぐらい上げろ。せっかくの可愛い顔が、」 「か、かわ…?」 「いや!かわ…可哀想ってほどでもないからな!」 「ああ、うん。ありがと。」 取り繕った言葉に頷いた沢田を見て冷や汗が垂れてきた。男相手に可愛いだなんて自分はどうしたというのか。 胸の奥がムズムズするような妙な気分を味わいながら、ここは逃げるべきだと算段をつけて借りた折り畳み傘を手荒く開くと。 ボン! という音を立てて何かが爆ぜて視界が真っ暗になった。 煙に覆われたのだと分かったのは、気管支に吸いこんだそれで噎せてからで慌てた沢田がオレから傘を取り上げた。 「ごめん!まさかそんな仕掛けがあるとは思わなくて…まったく、ランボのヤツ帰ったらお仕置きだ。っと、それどころじゃないよな。ホントにごめん!」 黒くすすだらけになったオレの顔に手を伸ばしてぐいぐいと擦る。間近に迫った顔に手のやり場を失くしたオレはただただうろたえて視線を泳がせていた。 「…余計広がったみたいだ。よかったらウチ寄ってく?」 結構だと答えるつもりがしっかり沢田の傘の中に入って晩御飯まで共にしてきたオレが、その後恋心だと気付くまでに先輩2人に引き合わせてしまった自分を恨むこととなるなんて思いもよらなかった。 出会って3年目を迎えた今でもダメツナは健在だが、以前よりはずっと大人びた顔でこちらを覗いている。 どうせオレなんて…といういじけ虫が吹き飛んだのは黒い先輩のお陰だろう。何せあいつは人外だから、あいつの相手をしているだけで常識も理屈もどこかに追いやられてしまう。 代わりに常識も通用しないので、沢田にとってよかったのか悪かったのかは微妙なところかもしれないが。 笑う顔に翳りがないことが何より嬉しくて、頭を抱えていた腕をそっと肩へと伸ばして引き寄せようとしたところで沢田の身体がするりと擦り抜けていった。 「そういえば、鍵は持ってきてるのかよ?」 「…当たり前だ。お前と違う。」 ヒデェとぷうと膨らめた頬の艶めかしさにドキドキしながらも鍵を開けて準備室へと入り込む。 少し埃っぽい空気に噎せながら目当ての資料を探すべく2人で奥へと足を踏み出した。 「これ?」 「よく見ろ。そいつは1年の時に使ったヤツだろうが。っと、沢田。お前の後ろにあるヤツが…」 広くもない準備室で沢田の背後にあったそれを手に取ろうと伸ばせば、咄嗟に後ろを振り返った沢田の身体が傾いでいく。 慌てて支えようと腕を掴むも、片手で2人分の体重は支えきれずにドスンと音を立てて床に転がった。 「いてて…」 折り重なるように床に手をついたオレは、沢田の上に乗り上げた格好になっていることに気付いてそのあまりの近さにぎょっとした。 触れそうなほど顔が近い。ケホケホと吐き出さすツナの咳がオレの唇のかかってヤバいと思って理性は待ったをかけたのに、身体はそれを無視して目の前のそれを塞いだ。 ほわっと柔らかいそれを堪能することも出来ずに、ただ押し付けただけで顔を離すと開き直って顔を上げた。 ここは抜け駆け上等だと告白するつもりで口を開こうとした矢先に、沢田は困ったように眉を寄せて言い出した。 「事故だから、気にすんなよ。あ、言っとくけど、今のノーカンだからな!」 誤解されたことに気付いたオレはへこむ間もなく、すぐにノーカウントだと言い張る沢田の言葉の裏を知って思わず鼻血を吹き出した。 . |