「…ソックスが、ない……」 体育の授業を終え、プール後の気だるさが残る身体で長く伸びた髪を拭いていると、斜め後ろからぽつりとツナの声が聞こえてきた。 夏服に替わり、紺色のソックスも白のそれへと衣替えを果たして見た目だけは涼しげになっていた。 しかしそれがないという。 ぼんやりしているツナのこと、どこかに置き忘れたのでは…と声を掛けようとしてそんな訳がないことに気付いた。 この教室で着替えたのだ。ソックスだけを持ってどこに行く理由があるというのか。 隣で同じように考えを巡らせているルーチェとともに辺りを窺うもそれらしい物など見当たる筈もない。ならば誰かが持っていったということだろう。 黒髪をバサリと手で掻きあげながらルーチェとツナ以外のそこにいる女子を睥睨する。すると数人の女子が頭を振って無実を目で訴えてきた。 つい先日までクラスでも目立たない存在だったツナにいきなりクラスどころか学校の人気者であるルーチェとラル・ミルチがべったりと張り付いて、しかもそこになお目立つ幼馴染みの3人までもが加わり彼らの自称ファンなる女子がツナに嫌がらせをするようになってしまった。 ドジっ子で目立たなかっただけで、元々可愛らしいツナに嫉妬を募らせた女子だけでなく、気になる子を構って振り向いて欲しい男子までもがツナをいじめるに至って切れた5人が粛清を行ったばかりである。 言うことを聞かないやんちゃが過ぎる者にはラルとコロネロが。裏で画策を試みた者にはルーチェとリボーンが、二度と歯向かう気すら起こらないようにとお灸をすえた。スカルはといえば、それを教師に見咎められないよう教師の注意を余所に向ける役目を負っていたらしい。 そんな5人の本気を知った学校中の者たちは、ツナに触るべからずという暗黙の了解を受け入れざるを得なかった。 ……かような状況の中でのソックス不明事件である。 ラルの目の色に気付いたクラスメイトたちは一様に首を横に振り、無実を訴えることに必死でその後のことを覚えている者はいないということだった。 ならば誰がと廊下に視線を投掛けると、丁度のタイミングでリボーンが窓を開けて中を覗き込んできた。 「何だ、もう着替え終わってんのか?」 さも残念そうにツナに声を掛けるリボーンに、ラルの上靴が飛ぶ。しかしそれを難なく避けたリボーンはツナに向かって手招きしていた。 「いいモンくれてやるからこっちに来い。」 「いいもの?」 最近は甘い物に弱いと判明したツナに、親鳥が雛に餌を与えるがごとくせっせとツナにおやつを分け与えるリボーンの姿がそこにあった。 菓子の類は勿論持ち込みが禁止されているにも関わらず何故リボーンの手元にあるのか。それは生徒ではない存在がリボーンに貢いでいるということだろう。 そんなことなど気にもならないラルとルーチェは、今日はツナに何を与えるつもりなのかと忌々しげに睨みながらも黙って見ていた。 ツナの喜ぶ顔を見れるのは2人にとっても喜ばしいことであるからだ。 プール後の水滴が残る髪が重力を無視してぴょんぴょんと跳ねている。そんな髪に手を入れたリボーンがツナの手の平にコロンと2つチョコレートを転がした。 「早く喰わねぇと溶けちまうらしいぞ。」 「そうなんだ?」 どうやら今日は高級チョコらしい。包装紙から取り出したそれを慌てて頬張るツナを見ていつもは人を小馬鹿にした表情しか浮かべないリボーンが薄っすらと笑っている。 ラルやルーチェにしてみれば気持ち悪いことこの上ないが、周りの女子はそれだけで幸せだとため息を漏らしていた。 「そういや、何でソックスを履いてねぇんだ?」 「えっと…」 やはりすぐに気付いたリボーンに答えを持っていないツナはしどろもどろになる。そんなやり取りを見ていたラルがフンと鼻を鳴らして間に入ってきた。 「お前ではないのか?オレたちの監視が厳しい中、そんなバカなことをやるのはお前くらいのものだろう。」 「ハン!そんなことやるわけねぇだろ。大体ソックスなんて持って何をやろうって…」 とそこから『何』をやろうかと考えはじめたリボーンに今度はルーチェの上靴が飛んだ。 どうせ盗るならブラだろ、と言い切る前にそれが顔面にぶち当たりリボーンの身体がぐらりと傾いだ。 「てめ、何しやがる!」 「それはこちらの台詞です。ツナちゃんを如何わしい目で見ないで頂戴。」 壁一枚を隔てて、ルーチェとリボーンが喧々囂々と騒ぎ立てる中コロネロとスカルが通りかかったフリをしてツナの様子を覗きに来た。 「どうしたんですか?」 「どうしたもこうしたもねぇぞ。ツナのソックスがプールの間に消えちまったらしくて、それをオレが盗ったんだろうと…」 「返してやれ、コラ!」 「やってねぇ!」 「…本当のことを言ったほうがいいと思いますよ、先輩。」 「だから!」 誰一人としてリボーンの無実の叫びに賛同してくれる者などいなかった。ようは普段の行いが伺い知れるというものだ。 ギャアギャアと騒ぎ立てていると、その足元に真っ黒い猫が真っ白いソックスを咥えてツナたちの教室へと飛び込んできた。 それに気付いたツナがしゃがみ込んで手招きをするとツナの前まで来た猫が咥えていたソックスを床に置いて元来た廊下に駆け出していった。 見ればツナのそれで間違いない。 どういうことだろうかと猫の逃げ出した方向を覗くと、その先には目深にフードを被った少年がペコリと頭を下げていた。 慌ててツナも頭を下げる。 それを見ていたラルがツナが頭を下げた方向を覗くももう既に人影などなかった。 ツナが手にしている白いそれを見てラルが声を掛ける。 「ツナ、それはどうしたんだ?」 「えっと、今猫ちゃんが持ってきてくれて…」 「見ろ、オレじゃなかったじゃねぇか!っと、猫だと?」 「う、うん。」 リボーンはお菓子をくれるがいま一つ何を考えているのか分からないと怯えているツナは、わずかに顎を引いて頷くと隠れるようにルーチェの後ろに逃げ込んだ。 そんな中々懐かない子猫のような行動に軽く舌打ちしながらリボーンはふと思い出す。 「そういや、パシリの入った部活に猫使いとかいうまじない師の真似事をしてるヤツがいただろう。」 「い、いや…」 ギクリと身体を強張らせたスカルは、珍しくパシリという言葉に反応を見せずにその場を後にしようと背を向けていた。 その肩を女とは思えない力で引っ張ると、ラルは湿り気を帯びてうっとおしい髪を掻きあげながらニイと笑った。 「聞いたことがあるぜ。何でも、そいつに頼むと呪いのように恋が成就するんだと。」 コロネロの言葉にその場にいたツナ以外の全員がスカルを白い目で見詰める。 「どうした?スカル…?」 「少しトイレに行こうかと。」 ハハハッと空々しい笑いを漏らすスカルの空いていたもう片方の肩にリボーンの手が掛かる。 「その前に吐いてくんだろうな?」 「ななな何をだ…!」 「「勿論、ツナのソックスの件だ!」」 ラルとリボーンに囲まれて逃げ出せる者などいやしないのだった。 . |