その男を最初に見かけたのは冬休みが終わりを告げたばかりの1月の半ばの頃だった。 道路脇にひっそりと飾られた花束と、それを睨むように立ち竦む横顔があまりに蒼白で、そのまま倒れそうな顔色をした年若い男の顔が何故かしばらく頭から離れなかった。 小学校の通学路だったその道路脇に花が絶えることはなく、その後は男を見かけることはなかったがきっと毎日この場所にきているのだろうとそう思った。 けれどもそうして半月が過ぎた頃には関心の薄れたオレは、ただそこに花が置かれているという事実すら遠い過去のように薄らいでいっていた。 小学生といえど中学生の部活に混じって練習に参加していたオレは、2月の一番寒かった日にふと思い出して近所の駄菓子屋に立ち寄ることにした。 その日は母親の帰りが遅く、途中でコンビニに寄って買い食いしようと思っていたにもかかわらず、あまりの寒さに空腹よりも寒さが沁みて家路についていたところだった。 しかしやはりどうにもならない空腹感に音を上げたオレは、中学年まではよく買い食いしていた駄菓子屋の存在を思い出したのだ。 図らずも帰り道にあるその駄菓子屋は、80歳を越える老婆が腹をすかせた子供たちのために安価でお好み焼きを提供してくれる場所だった。 思い出せばグーと腹の虫が鳴り、どうにもあの老婆のお好み焼きを食べたい欲求に駆られた。 周りを民家に囲まれたその駄菓子屋は、けれど今日もぼんやりとオレンジ色の光を漏らして開店していることを告げていた。 ちらちらと雪が舞いだし、それに足が引かれるように前へと進み始める。 ガラスの引き戸は相変わらずたてつけが悪く、それを力いっぱい横に引いて中へと吸い込まれた。 入店を知らせるチャイムの音が寂しく響き、奥からごそごそとこちらに向かってくる音が聞こえた。 「ばーさん、お好み焼きひとつ!」 待ちきれずそう声を掛けると、奥から出てきたのは件の老婆ではなく、半月まえに一度見たきりのあの男がのっそりと顔を覗かせた。 「…ごめんね、ばーちゃん今入院中なんだ。お好み焼きまでやってたんだ…知らなかったよ。」 「あんたは?」 そう訊ねたのに他意はなかった。 疑っていたとか、老婆との関係が気になったのではないと思う。 薄暗い電球の向こうから見た男は、オレンジの電球の色を顔に映しているせいか血色は悪くないように見えた。それだけで胸を撫で下ろしたい心境になっている自分に驚く。 そこまでおせっかいではない筈だ。 こちらを覗いていた顔がきょとんと大きく目を見開いたと思うと、ふんわりと笑った。 優しい笑顔だった。その奥にほんの少しの寂しさが見えたのは気のせいかもしれない。 「ばーちゃんのお得意様?えーっと、オレはばーちゃんの母方の孫の綱吉っていうんだ。ばーちゃんは少し身体を悪くしてね…でもすぐによくなるから!」 「…いい。オレはここんとこ1年くらい通ってなかったから知らなかっただけだ、コラ。変なこと聞いて悪かったな。」 言うと益々笑顔を深くしておいでおいでと手招きされた。 「君、中学生?身長オレと変わらないくらいだね。あのさ、サンキューな。」 「何のことだコラ。」 包み込むような暖かい笑顔を目の前にして、ドキドキと煩い心臓を内心で叱咤して視線を逸らしてそう告げた。 すると髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜられ驚いて顔を上げると男の顔が間近に迫っていた。 相変わらず白くて、零れ落ちそうなほど大きい瞳に釘付けになって身動きが取れない。 「いい子だね。」 「っ!ふざけんな!確かにオレはまだ小学生だが、4月には中学生になるんだぜ!」 「って、小学生?!」 「おう!そういうお前は高校生ってところだろ?」 「…一応27歳なんだけど。」 ジトと恨めし気に睨まれてもにわかには信じ難い。 言葉もなくマジマジと顔を眺めたが、三十路手前のくたびれた感じが見当たらない。 嘘を吐いているのでは…とそう思いかけたとき、綱吉なる男がズボンの後ろポケットから何かを取り出してオレの目の前に差し出した。 「見て…」 手の平サイズのそれは運転免許だった。 生年月日を確認すると、確かにオレより15歳年上と記載したある。 免許証と本人とを往復させた視線が、ぴたりと止まる。 ぐぅ〜!とコロネロの腹の虫が盛大に響いたからだ。 「…ごめんね。お好み焼きはムリだけど、昼の残りのおにぎりを焼きおにぎりにしてあげるからそれで勘弁してくれる?」 そんな感じでツナとの縁が結ばれたという訳だった。 オレとリボーンとスカルの3人は、何をやらせても抜きん出て出来がいいためによく一纏めにされることがある。 互いに気に喰わないと思っていても、それを口に出すほど子供じゃないと今までは放っていたのだが、ことツナのこととなると3人とも引く気はなかった。 昨日はツナの顔を見ながら、練習中のお好み焼きを食わせて貰おうと自転車から降りたところを目の前の2人に拉致られるように駄菓子屋から連れていかれた。 一日一度はツナの顔を見ないとおさまりが悪く感じるというのに、邪魔しやがって腹立たしい。しかも理由を尋ねてもてめぇにゃ10年早いだのとふざけたことをぬかしやがったのは黒い髪と黒い瞳が癇に障る陰険野郎だ。 「今日はオレがツナに用事があるんだ、寄るんじゃねぇぞ。」 「もうTシャツ用意したんですか?」 呆れ口調のパシリの言葉に混ざる妙な単語を復唱する。 「Tシャツだ?」 「うるせぇ、パシリ。てめぇにゃ関係ねぇからすっこんでろ、筋肉バカ。」 腹は立つが、今はそこに食いつくべきでない。 どういうことかとパシリに視線をやると、肩を竦めて説明しはじめた。 「昨日、ツナさんがあんまりな格好をしていたんで先輩がタオルを借りたお礼にプレゼントするんだと言い張っていましてね。」 「まだ買ってきてねぇぞ。休みを聞いて一緒に選ぼうと思ってるだけだ。」 「何抜け駆けしようとしてるんですか!」 あんまりな格好がいま一つピンとこなかったが、洒落者のリボーンのことだから少しよれていただけでもそう感じたのだろう。 それはいいが、抜け駆けは許せない。 目の前にあった机を足でリボーンに押しやると、同じくリボーンも足で机をこちらに蹴り上げる。 ガコン、ガン!と音を立てて横に倒れた机を見向きもせず睨み合うと、周りの生徒たちが必死に逃げ出しているのが目に入った。 「やめて下さいよ。やるなら外でお願いします。それなら止めませんから。」 「チッ!」 「フン!」 にらみ合ったまま椅子に腰掛け、足を組んでふんぞり返る。 何にも分かっちゃいねーリボーンやパシリにイラついて、だが教えてやる気にはなれなかった。 あの最初の出会いと、その後の会話から推測するにツナには以前大事にしていた女がいた。それがあの花束の場所と関係が深いのだろうとは思えど、どうしても聞くことができずにいる。 あの時、あの場所で見た魂まで持っていかれそうな表情を2度と見たくはなかったから。 こいつらと違って時間をかけて親しくなったが、一歩引いた付き合い方をするツナとどうしても距離が縮まらない。 それをリボーンが飛び越えていきそうな気がした。 「…ツナは誰にでも優しいが、誰にでも同じだぜ。」 「どういうことだ?」 「知るか!」 椅子から立ち上がると、ガタンと音を立てて椅子が倒れていった。 午後の授業に出る気にもなれず、そのまま教室を飛び出して保健室へと足を運んだ。 . |