山本武はつい昨年まで大リーグでホームランバッターを務めていた青年だ。歳の頃は20代半ばといったところで、見た目も爽やかで身長も高く美形とまではいかなくても充分カッコいい、笑顔が眩しい好青年だ。 試合中の怪我で大リーグを引退してからこの並盛に帰ってきて、実家のすし屋を継ぐ傍ら子供たちに少年野球を教えている。 そんな山本青年を慕って集まる野球少年団は毎週日曜日にここ並盛小学校で練習に励んでいた。 抜けるような青空の下、月に一度の紅白戦の最中のことだった。 金網の向こうからひょこひょこと薄茶色の何かが見え隠れしていた。 目のいい山本青年は犬か猫かと思い、球が飛んでいっては危ないから逃がしてやろうと立ち上がった。 ち、ち、ち…と声を掛けながら裏からその場所に向かうと、小さな子供が必死に背伸びをして金網の向こうを覗き込んでいた。 酷く細い身体にふわふわの髪の毛が不釣合いなほど膨らんでいる。 「オーイ!少年!」 そう声を掛けると、その少年はビクリと肩を竦めてこちらを振り返った。 少年と言ったのは着ている服装から判断してのことだったのだが、こちらを振り向いた顔は白くて目がものすごく大きく少女とも少年とも取れる繊細な顔つきをしていた。 「う、あの…覗いててごめんなんさい!!」 その顔が怒られると思ったのかへにょりと歪むと詫びてから逃げ出そうとした。 それを咄嗟に掴んでしまった山本青年は、その小学生か幼稚園児か、男の子か女の子かと迷うような子供を抱え上げると眼を合わせてニカッと笑った。 「ここだと危ねーから、こっちで見てろよ。」 「いいの…?」 「おう!未来の野球少年の卵だもんな。」 「ありがとう!」 とりあえず少年で間違いはないらしい。少しがっかりした山本青年は、それでもその少年の手を引いてグランドに戻っていく。 「少年、名前は?」 「沢田綱吉です…お兄ちゃんの名前は?」 「山本武。みんなは監督っていってっけど、綱吉は呼び捨てでいいぜ。その代わりオレも綱吉のことツナって呼ぶのな!」 「うん、いいよ!これから武兄って呼ぶね?」 髪の毛と同じ色の瞳が真っ直ぐこちらを見詰め返して、それに何故だかたじろいだ。 そう言えば、引退以来こうして人と目を合わすことが極端に少なくなっていたことに気が付く。 握り返してくる手の中の小さな手に励まされたようで、山本青年は照れ笑いを浮かべるとツナを肩車してグランドへと戻っていった。 白熱した試合を繰り広げたために、夕方になるまで野球をしていた少年たちは父兄の迎えで次々と家路に着いていった。 グランド整備が終わり、持ってきた野球ボールを車に積み込むのみとなったところでまだツナが傍らにいることに気が付いた。 「ツナ?家に帰らなくていいのか?」 「…いいの。みんな僕をそっちのけで喧嘩してるんだもん。喧嘩する大人はダメだよね?」 どうやら家族が喧嘩をしていて、それを見たくないツナは逃げ出してきたらしい。 それならムリに帰す必要もないだろう。 「まぁ、そうだな!それならオレんちに来いよ。寿司握ってやるからさ!」 「うん!」 そんな訳で夕暮れ迫る空をバックにツナを軽トラに乗せると、自宅へとハンドルを切っていった。 ユニホームが泥んこまみれだった山本は、父親にツナを預けると着替えに自宅に戻っていった。 まだ準備中の札の掛かっているすし屋には、ツナと山本の父の2人しかいない。 「悪かったな、坊主!あんまり可愛い顔してっから、女の子かと思っちまって…」 「ううん。それはいつものことなんだけど…僕ってそんなに女の子っぽいのかな?」 大きな瞳を揺らして小首を傾げる姿は頼りなげで庇護欲を誘う。可愛いもの好きなすし屋の店主がカウンター越しにがばりと抱きつくと、暖簾の向こうから突然金切り声があがった。 「なっ!?僕の綱吉くんになんて破廉恥なことをしてるんですか!六道を巡ってきますか?」 美声でありながらも、どこか薄気味悪さを感じさせるその声にツナは顔を歪めた。 「あ…骸さん?」 「骸さん?じゃないですよ!そもそも君が逃げ出すからこうして皆で探し回る羽目に…って、何逃げ出そうとしてるんですか!」 店主に抱き締められていたツナは、そこから抜け出すとこっそり裏口から逃げ出そうとしていた。 それを見咎めた骸が悲鳴を上げる。 「嫌だもん!もうみんなが僕のことで喧嘩するところなんか見たくない!」 じんわりと涙が滲んだ瞳が骸やその他を非難していたが、だからといってツナを逃がす訳にはいかない。 長いリーチを生かしてツナを引き摺り寄せると、脇の下を抱えて踵を返そうと足を後ろに引いた、瞬間。ザン!と音を立てて振り下ろされた刃に慌ててツナを離すと飛び退った。 「お前がツナを泣かせた張本人か…そんならオレがちょっくらお灸を据えてやるぜ?」 床に落とされそうになったツナを抱えた山本が、刀を掲げて骸の前に現れた。 姿は見事に寿司職人のスタイルだが、中身は明らかに素人ではない。 奮う太刀の軌道は空気を断ち切る速さと鋭さを持ち合わせていた。あのままでは腕を切り落とされていただろう。 「くっ…君も同業者という訳ですか。」 「さぁな。オレはあんたらと違って金では動かないんでね、一緒にされると迷惑なのなっと!」 ツナを椅子に座らせると、一足で骸の懐まで飛び込んだ。だが骸もそう易々とやられる男ではない。半歩後ろに移動して幻覚を練り込みはじめる…というところで待ったがかかった。 「骸さん!武兄!待って!!」 いつの間に移動してきたのか、2人の間に立って両手を広げて2人の技を互いから防いでいた。 「ツナ…?」 「綱吉くん?」 山本は抜きかけた剣を慌てて降ろすと、骸も術を途中で中断した。 間に挟まるツナは、キッと2人を下から睨みつけると糾弾する。 「2人とも、ここはお店屋さんでしょ!おじさんに謝って!」 いきなり矛先を向けられた山本の父は、ツナの度胸に驚かされつつも叱りつけられて項垂れる2人を眺める。 すると2人は愁傷に頭を下げてきた。 「…坊主、中々やるな!将来が楽しみだ!」 一旦火が点くと止められない息子を諌め、きちんと筋を通したツナにそう笑い掛けると暖簾の向こうから現れた黒い影が呟く。 「まぁな…オレの息子だから、当然だな。」 「あっ!リボーン!!」 黒光りする革靴と、黒い帽子のツバしか見えないその影にツナが飛びついていく。 心底嬉しそうな笑顔を見せるツナに、店内に残された3人は呆然とした。 その影がふと山本に視線を投掛けてニヤリと笑った気配がした。 「山本武だったな?うちの息子が世話になった。どうやらオレが仕事で留守の間にそこにいるバカ共がツナを巡ってドンパチやらかしたようでな…手下に聞いたらここだと連れてこられたって訳だ。そいつは煮るなり焼くなりおろすなり好きにしろ。」 「や、こんなパイナップルはうちではだせねーから遠慮しとく。……しかし手下って?」 そんな気配はなかった筈だと影の男の手元を見ると黒い蝶がその指先から離れていくところだった。 「あんた…」 この世界でその名を知らぬ者はいないのに、実態はいまだ不明のままの黒い暗殺者は鳥や虫さえ使って諜報するのだと聞いたことがある。 まさかそんなことはないだろうと思っていたのだが… 物陰の人物に抱き上げられる前に山本を振り返ったツナは、暗いところなど微塵もない笑顔を見せる。 「武兄、またね!」 「…おう!またいつでも来いよ!」 にこやかに交わされる会話にその影からわずかに殺気が漏れ出ていた。 「チッ、しょうがねぇ…ツナが認めたってことはてめぇも仲間ってことか。いいだろう、山本武。うちに出入りすることを許可してやるぞ。」 何を思ったのかいきなりそう言われて驚いていれば、暖簾の下から顔を覗かせたのは。 「イタリア語教室のイケメンー!!?」 「えへへ…カッコいいでしょ?自慢のパパなんだよ!」 絶叫する山本を軽く無視して惚気るツナに、リボーンは苦笑いを浮かべて首を振った。 「ムリしてパパ扱いしなくてもいいぞ?ダーリンでもあなたでも…好きに呼べ。」 「ちょ…!何ちゃっかり亭主気取りなんですか?!それは僕の…うぐぐ!」 「おっと悪い、足が長過ぎて滑っちまった。」 骸を背中から踏みつけた黒い暗殺者は、ツナを抱えたまま露悪的に微笑んでいた。 隣の天使の笑顔との比較がすさまじい。 それでも本当に心安らぐ笑顔を見せるツナに脅されて一緒にいるわけじゃないと悟った山本は、けれど諦めるつもりは微塵もおきなかった。むしろずっと側に居ようと心に決めてしまったほどに。 これがいったいどういった気持ちなのか、それはまだ分からないけれどツナの側は暖かい。 バカだから勘で決めちまおう!それでいい筈だ。 にっこり笑うツナに渾身の笑顔を見せる。 「ツナ、オレもお前んちに遊びに行くのな。」 「うん!」 こうして元大リーガーで現すし屋のサムライはイケメンだらけのイタリア語教室にちょくちょく顔を覗かせることとなり、いっそうイタリア語教室は女性受講者で溢れ返るここととなった。 . |