春。 うららかな陽気が人の気持ちさえ緩ませる、そんな暖かな季節。 だというのに、オレにはこの3年ほど春を感じたことがない。 ちなみに夏も秋も同じだ。 常に心の季節は冬に設定されたままで、今日も今日とて重い足取りで家路を辿る。 塾で知り合った浪人仲間と駅で別れると、いつも通りの見慣れた路地を抜けて我が家へと向かう。 出された課題の量よりも、これをこなすことで志望校に本当に入学できるのかという不安を抱えながらの帰宅だ。 朝晩の温度差が激しいせいで着込んでいるパーカーもこの気温ではさすがに暑い。 もう少しで自宅の門扉の前だという道路の端で暑さに堪えかねたオレがパーカーを肩から落としていると、突然後ろから首を締め上げられた。 「ふぐぅ!」 情けない呻きを上げれば、首に手を回している張本人がクツクツと笑い声を洩らす。 こんなことをする人物なんて3人しか知らない。 「おかえりだぞ、ツナ。何ボケーっとした顔で脱いでんだ?誘ってんのか?」 「ゲホっ、ゴホ……ッ!おま、本気で絞めるのやめろよ!落ちたらどうすんだ!……って、おかえりリボーン」 言ってやれば年相応の顔で笑みを見せる。オレの可愛い可愛い甥っ子だ。 しかし可愛いといいながらも、二十歳を越えた自分とほぼ変わらない身長と年齢にそぐわないこましゃくれた頭脳と口は如何ともし難い。 これで中学に上がったばかりなのだからこの先が楽しみでもあり不安でもある。 恨めし気な視線をリボーンにくれてやるが、この甥は毛ほども悪いなんて思っていない。そういう性格なのだ。 いつものことだと諦めて、容赦なく絞め上げられた首をさすりつつズボンのポケットから鍵を取り出す。 するとオレの肩に手を回してきたリボーンが、耳元に唇を寄せて囁いた。 「安心しろ。お前が落ちたらきちんと最後まで面倒みてやる。なあに、起きたら叔父・甥の関係から恋人にステップアップしてるかもしれねぇけどな」 自分の甥の頭がおかしい、または性癖が歪んでいると認められないオレは、現在の教育の在り方が悪いのだと思うことにしている。 ネット中心の生活スタイルが間違った道を示しているに違いない。 ホモだのゲイだのという単語が日常的に氾濫している世の中を憂いながら、リボーンのもみあげを下に引っ張って可愛げのない口を塞ぐ。 「結構だって!それより手を離せって!」 純日本人といった顔のオレとは違い、兄の子であるリボーンたちはイタリアの血を色濃く引いているせいで、オレとはまったく似ていない叔父と甥たちなのだ。 そう「たち」ということは複数形なのである。 世界中を仕事でまわっている兄は、オレとはかなり歳が離れている。 見た目はオレより少し年上かといった容姿なのだが、実は15も離れていた。 だからという訳ではないが、兄は少々ブラコンの気がある。博愛主義なのかもしれないが。 それはこちらに置いておくが、この甥「たち」は3人いる。 しかもそれぞれ母親が違うというから驚きだ。その母親たち似だという甥たちは、それはそれはたいそう美形である。 このリボーンなどは毎年2月には抱えきれないほどのチョコレートを持って帰ってきては、オレたちに見せびらかしている程だ。 ふうとため息を吐きながらあと2人の甥を思い出すとはなしに思い浮かべていると、横でオレの肩に手を回していたリボーンがぐいっと力を込めてオレを引っ張った。 「オイ、オレが隣にいるってのに他の誰のことを考えてやがった」 詰られるように凄まれても残念ながら全然怖くない。 近所の女の子たちが持て囃している綺麗な顔が台無しじゃないかと、深く刻まれた眉間の皺を叔父の慈愛で眺めていると、今度は真後ろから突撃されて息が詰まった。 「今日は部活がねーから帰ってきてみりゃ、何でリボーン何かとイチャついてやがるんだコラ!」 予想していない方向からの衝撃に堪え切れなかったオレは、足を前につんのめらせてヨロリと倒れそうになる。 それを支えてくれたのは、隣と後ろからの2本の腕だ。 「あぶねーな、コラ!」 「大人ってより、年寄りじみてるぞ」 誰が老人だ、誰が。 そう思わず口に出しそうになるも、ハタと自分の大人げのなさに気付いて一つ咳払いをする。 ぐいっと後ろに引っ張られた襟を戻し、距離を詰めてくる甥2人を手で追い遣ると自宅の前に辿り着いた。 そこにまたも声がかかる。 「遅いぞ!お腹減ったぜ!」 ランドセルを背負った最後の一人の甥だ。 後ろから威圧するようにへばりついている金髪碧眼の甥とも、横から腕を回す黒髪黒眼の甥とも違う紫色の髪の小学生は、毎朝1時間かけるヘアスタイルを振り乱しながら玄関の前で飛び跳ねている。 「おかえり、スカル。それから後ろのコロネロもだね」 そう声を掛けると、スカルとコロネロまでオレにしがみ付いてきた。 いくら可愛いとはいえ、自分より大柄なコロネロと自分と同じぐらいのリボーンにまだまだ小学生然としていても男の子のスカルに張り付かれれば身動きひとつ取れなくなる。 「あぁ、もう!これじゃ鍵を開けられないじゃないか!」 鬱陶しいぐらいに纏わりついてくる3人の甥を振り払おうと声を上げていれば、突然後ろから新たな声が飛んできた。 「あの……こちらはサワダさんのお宅で間違いありませんか?」 「は?はぁ、」 ウチは沢田だけどと返す前に、どうにかコロネロの背中の向こうに顔を出す。 「初めまして、私は中国から来ました風と申します。こちらにジョットさんという方がい らっしゃると母から聞いてやってきたのですが」 見ればリボーンと同じぐらいと思しき身長の(つまりはオレと変わらないぐらいだということだ)子どもは、三つ編みを揺らしながらペコリと頭を下げた。 その4度目になる挨拶の台詞を聞いて、オレの顔は諦めと呆れが同居する奇妙な表情になる。 「母と生き別れたので、父だというジョットさんに会いにきました」 想像通りの台詞にオレは生ぬるい笑みを浮かべた。 外でする話でもないからと、風くんといっていた彼を家の中へと招き入れることにした。 本当なのかどうかはともかく、中国からはるばる兄を頼ってきたのだから追い返す訳にもいかない。 それにつけても毎度毎度どうしようもない兄だ。 自分と同じ境遇だというのに、甥たちはといえば興味がないのか素知らぬフリをして自室の籠ってしまった。 唯一スカルだけはオレのエプロンの裾を握ってついて歩いているが、余程お腹が空いているのだろう。 丁度おやつの時間だと時計を確認してから、昨日用意しておいたプリンを冷蔵庫から取り出した。 居間に通すよりここでいいだろうと風くんをキッチンのテーブルに座らせて、手にしたプリンを彼の前に置く。 それから湧かしていたお湯を急須に注いでお茶を差し出すと、ついでにと頂き物の苺を添える。 「大したものでもないけど、よければどうぞ」 そう言って彼の前に座れば、風くんはオレとおやつとを交互に見詰めてから頭を下げる。 「ごちそうになります」 きちんと手を合わせる風くんに二コリとほほ笑む。甥かもしれないと思えば可愛いものだ。 そんなオレの気も知らない風くんは、恥ずかしそうに顔を俯けながらおやつを頬張りはじめた。 「プリンおいしいです!」 「ホント?よかった〜!オレの手作りなんだ、もっと食べる?」 「はい!」 母さん直伝のレシピ通りに作ったプリンは自分でもまあまあの出来だ。 それを本当においしそうに食べてくれる風くんに勧めていると、オレの横を陣取っていたスカルがブーと声を上げる。 「もうダメだからな!あとはオレたちの分だ!」 オレがあんまり風くんを構うものだからヤキモチを妬いたのだろう。冷蔵庫の前で立ち塞がるスカルに眉を下げると、よしよしと頭を撫でた。 「大丈夫だよ。昨日いっぱい作っただろ?それにリボーンは甘い物はキライだし、コロネロも1つ食べればいい方じゃないか」 あと6つは残っているプリンをどうしてそこまでと思いつつそう口に出せば、スカルは小生意気な顔でため息を吐いた。 「分かってねーな、ツナは。お前の作った物でリボーンやコロネロが喰い損ねたことなんてあったか?オレの分を奪ってでも喰うんだ!やつらは!」 そういえばそうだったかもしれない。 あいつらも可愛いところがあるじゃないかと頬を緩ませていれば、風くんがおずおずと口を開いた。 「あの……その少年と先ほどの方たちはどういった関係なのですか?」 言われて気付いた。まだ自己紹介すらしていなかったことに。 慌てて風くんの前に向き直ったオレは、背筋を伸ばして口を開いた。 「ごめんね?オレは綱吉。この家の……っていうか、ジョットの弟なんだ」 茫然としたようにオレの顔を見詰めていた風くんは、何度も口の中で弟弟と呟いている。 「で、こっちがスカル。今は自室にいるけど黒い髪の方がリボーン、金髪の方がコロネロ……つまり君の兄弟ってことになるかな?」 さすがに自分以外に3人も兄弟がいるなんてびっくりするだろうと思っていたオレの予想を裏切って、風くんはしたり顔で頷くと分かりましたと返事をした。 「え?分かった、って?」 「はい、大丈夫です。彼がスカルくんで、黒い方がリボーン君、キラキラした方がコロネロくんですね?」 「いや、うん……」 見た目と違ってしたたからしい。たくましいというか、動じないところが兄の血を受け継いでいるように思えた。 これは早々に兄に電話をしなければ。 2013.04.10 |