沢田さん家の綱吉くんといえば出来の悪さでご近所どころか学校でも有名だ。それは中学生になった今の話という訳ではなくて、ずっとずっと以前からの話だった。 それでも今は8人の味方が綱吉の傍にいる。 心強いばかりか腕力も権力にも強い綱吉の一番の仲間が。 10年前のその日は12月の最初の月曜日だった。 2ヶ月前に4歳になったばかりの綱吉は幼稚園からの帰り道をお母さんと一緒に泣きながら歩いていた。 「ツッ君、どうしたの?泣いてばかりじゃお母さん分からないわよ?」 弱虫な綱吉ではあったが、それでもこれほど泣き続けている姿は見たことがない。母親である奈々は必死に宥めたり理由を訊ねたりを繰り返しているが、ぎゅっと固く結ばれた小さい我が子の唇からは一言たりとも返事はない。 ほとほと困り果てた奈々が綱吉に向かってポツリと零した。 「困ったわねえ…そんな調子じゃサンタさんが来てくれいかも」 綱吉が2ヶ月も前から欲しいと強請っていたライダー物の変身ベルトを既に用意している奈々ではあったが、あまりに綱吉がうんともすんとも言わないためにそう揺さぶりをかけてみたのだ。 自分より少しだけくすんだ茶色い髪がぴょんぴょんと勢いよくお天道さまに向かって跳ねている。その毛先を見詰めながら言えば、綱吉は握った手の平を益々硬く閉じて首を横に振った。 「…っ、いらない!ぼく、サンタさんにべつのおねがいする!」 「あら…!」 まさか直前にプレゼントを変更されるとは思ってもみなかったから綱吉の手を握っていない方の手で頬を撫でると困ったように奈々は声を漏らした。 「だって、サンタさんならどんなプレゼントでもくれるんでしょう?」 「えーっとね、どうかしら。もう用意しちゃってるかも」 サンタを信じる我が子に大人の事情を話す訳にもいかず、さりとて綱吉の要望通りということも出来ないだろうと返事をすれば、綱吉は大きな茶色い瞳から大きな粒の涙を浮かべて鼻をすすりだした。 「うぇ…!うっ、う、じゃあらいねんもボクにはともだちができないんだぁ…」 先ほどよりももっと大声で泣く綱吉にやっと事の真相が掴めた奈々は困ったように眉を顰めた。 「お友だちなら幼稚園にいっぱいいるじゃない」 「ちがうよ!けんたくんもまさとくんもボクとはともだちじゃないって…おうちがとおいからちがうって…」 綱吉の言うけんた君とまさと君は家がお隣同士で小さい頃から仲良しの2人だと聞いていた。だからそれは仕方がないのよと言い掛けて奈々は口を噤んだ。言わなくても本当は綱吉にだって分かっているのだと気付いて。 「もうサンタさんはプレゼントよういしてるの?かえられない?」 「ううーん…どうかしら?」 一人っ子の綱吉は色々と教えてくれる兄弟もいないし、親戚もいない。近所の子供たちと遊べばついていけなくて仲間外れにされてばかりといった調子で、さすがの奈々も心配している矢先のことだった。 期待外れの奈々の答えに綱吉がまたも大粒の涙を流して声を上げる。 「ひっく!ともだちがほしいよぉ…!」 こればかりは用意出来ないものだと声を掛けようとして前を見上げると、綱吉の家のちょうど隣に見たこともない引越し屋さんのトラックが止まっていた。しかも2台もだ。 住宅が建ち並ぶ沢田家の隣が越していったのは半年前のこと。それからしばらくして内装や外観の工事に取り掛かっていたそこが、やっと静かになったのは1ヶ月前の話だった。 運び込まれていく荷物を目で追って奈々はもしやと覗き込む。 「……お母さん?」 「あ、あら。うふふ…そうねぇ、ツッ君がいい子にしていたらお友達がいっぱいできるかも、ね?」 「ほんとう?!」 涙に濡れていた瞳がパッと輝きはじめる。そんな綱吉の分かりやすい態度に奈々は本当よ!と微笑むとポケットからちり紙を出してぐちゃぐちゃになっている綱吉の顔を拭いてから家へと足を向けたのだった。 それから2日後の幼稚園から帰った午後の3時を少しすぎたばかりの頃。 冬の昼間は短くて、先ほどおやつにしたばかりだというのにもう夕方のように陽が翳りはじめている。 綱吉はお買い物へ行ったお母さんの帰りを待つべく、自宅の小さい庭であまり弾まなくなったボールを投げて遊んでいた。 一緒について行きたいとせがんでも今日は一人でお留守番をお願いね?と言われ、嫌とは言えなくなった。何せ綱吉はクリスマスプレゼントを直前で変えてしまったからだ。いい子ですとアピールしておかなければならない。 どうしても、どうしても『ともだち』が欲しい綱吉は臆病で弱虫な自分を封印するとお母さんの背中に手を振って送り出したという訳だった。 けれどお母さんが消えて5分ほど経った頃。ボールで遊ぶことにも飽きた綱吉はふと、お隣から声が聞こえてきていることに気が付いた。 「誰?」 声を上げて確認しても返事はない。それもその筈で声はお隣さん家の中から聞こえてきたのだ。 2日前に引越し屋さんが荷物を運んでいたことを覚えていた綱吉だったが、いまだお隣さんから人の気配もなく挨拶もない。だからどんな人が引っ越してくるのかと楽しみにしていた綱吉は、少しだけ様子を覗こうと意を決した。 「おかあさん、まだかえってこないよね…?」 見つかったらいい子じゃなくなるとドキドキしながらも、綱吉はウチとお隣さんを隔てる塀をよじ登っていった。玄関から入る、といった発想は思いつかなかったのだろう。 同じ年頃の子供たちより発育が遅いツナは手足が上手に動かないながらも、どうにか塀を登りきると転げ落ちるようにお隣さんの庭へと潜入を果たした。 ちょっとだけ、ほんの少しだけだからといい訳をしながら足音を忍ばせて声のした方向へと進んでいく。 ふと覗き込めば昨日までは開いていなかった大きな雨戸が開け放たれている。その奥からまた声が聞こえた気がして確かめてみようと一生懸命首を伸ばすと、上から押し殺した声が綱吉に掛かった。 「…貴様、そこで何をしている?」 慌てて上を振り返れば、丁度綱吉の真上に人影が見えた。太陽が建物の影に隠れているせいでどんな人物が声を掛けてきたのかは分からない。けれど、見られたという事実だけで綱吉は飛び上がるほど驚いた。 慌てた綱吉は声を掛けてきた人物から逃れるように普段のニブさが嘘のように素早い動きで建物の影へと飛び込んでいった。 「どどど、どーしよう…見つかっちゃった…サンタさんにバレちゃう!」 どうしたら先ほどの人物に見つかることなく隣の自宅に帰れるのか。どうしてこんなことになってしまったのかと泣き言を呟いていると、突然2階のベランダから綱吉の目の前に影が飛び降りてきた。 シュタンとアニメみたいに現れた人影に悲鳴が漏れる。 「ひぃぃい!」 「なんだ、ガキか」 悲鳴を上げた綱吉を一瞥した人物は、すらりとした肢体の女の子のようだった。綱吉よりいくつか年上らしい彼女が煩わしそうに髪を掻きあげながら裸足のまま綱吉ににじり寄ってくる。 悪いことをしたという自覚のある綱吉が逃げることも出来ずにブルブルと身体を震わせて家の隅っこで腰を抜かしていれば、その少女の後ろからまたも影が落ちてきた。 「どうだ!オレもできたぜ、コラ!」 「ッッ!!?」 2人目の登場に綱吉は目を剥かんばかりに眼を見開いた。 「お、てめえが侵入者か。ジャッポーネは治安がいいと聞いていたが、こんなストリートキッズもいるのか?」 「すとーりー?」 目の前の少女は黒髪に赤茶の瞳だから違和感は少ない。だけどその後ろから綱吉を覗き込んでいる少年はどう見ても外国の人だった。 金髪碧眼の少年が零した言葉の意味が分からなくて、これは外国語なんだろうと大きな瞳を何度も瞬かせて震えていると、今度は綱吉の背後にある窓が横に開かれた。 「お前ら何してるんだ。あんまりうるさいとオレが悪魔にシバかれ…ふぎゃ!」 薄く開かれた窓から顔を覗かせたのは、紫の髪にピアスまでしている綱吉より少し小さい男の子だった。見たこともない色の髪とジャラジャラと鎖で繋がれたピアスに目を奪われていれば、それを突然遮られる。 紫の髪を慈悲もなくぐいっと踏みつけた黒い何かに驚いていると、窓が大きく開かれて4人目の顔が現れた。 「うるせぇぞ。軍隊ごっこは余所でやれ」 ひょこりと顔を出したのは黒髪に黒瞳の綱吉より少し上背のある少年だった。くるんと巻かれた揉み上げがかなり独創的ではあるが、顔の作りは綺麗で一見すると少女のようにも見える。絵本で読んでもらったかぐや姫ってこんな感じだろうかと見詰めていれば、やっと綱吉の視線に気付いた少年が顔を綱吉へと向けた。 「…物乞いか?」 「ものごい?」 何を言われているのか分からない綱吉がオウムのように言葉を繰り返していると、隣の綱吉の家からお母さんの声が聞こえてきた。 「ツナー!ツッ君?」 「あ…っ、ヤバ!お母さん帰ってきちゃった!」 見つかったら叱られると綱吉の眉が情けなく寄る。それを見ていた黒髪に赤茶の瞳の少女がフゥとため息を吐いた。 「なんだ、隣のガキか」 「…ご、ごめんなさい」 こんな大事になるなんて思ってもみなかった綱吉は俯くと肩を小さく窄めた。 「もういい、母親が呼んでいる。行け」 「うん、ホントにごめんなさいっ!」 何度も何度も頭を下げながら綱吉は来た時と同じく塀をよじ登っていった。 勿論途中で足を滑らせて尻餅をついたり、洋服の端が塀の飾りに引っ掛かったりとそこにいた少年少女をハラハラさせたなんてことは、綱吉の知るところではない。 . |