頭脳明晰、眉目秀麗と誰からも一目置かれるオレに歯向かう敵などいなかった。そう、いなかったのだ。 パシリの様子がおかしいと気付いたのは中学3年のクラス替えの日のことだった。 いつもはオレやコロネロと別のクラスになりたいと呪文だか念仏だかを唱えることが常で、厄除け祈願だ悪霊退散だと春休みには近所の神社仏閣、教会を巡るジジィのような生活を送っていたというのに、その年は別の意味で周っているらしいと小耳に挟んでいたのだが、どうせ碌でもない願いだろうと気にも留めていなかった。 そして今、4月のクラス替えで拳を突き上げて喜ぶパシリを見てオレとコロネロは顔を見合わせて訝しんだ。 「何だ?てめぇとは離れたが、オレとは一緒だってのにあの馬鹿何喜んでいやがるんだ。」 「さあな。そういや、最近パシらせても嫌がらないと思わねーか?」 聞かれて一瞬だけ詰る。どうでもいいせいで考えたことなどなかったからだ。 そういえばめっきり抵抗することのなくなったパシリの紫色の髪を視界に入れて、コロネロの言葉に鼻を鳴らす。 「すぐに分かるだろう。計算もまともに出来ねぇ馬鹿だからな。」 パシリの不審な行動が気になったのではなく、あいつがオレたちに隠し事をしていることが気に食わない。パシリは大人しくいうことを聞いていればいいのだ。 完全無欠なオレ様相手に隠し事をしたらどんな目に遭うのか、思い知らせてやろうと決めてコロネロに言った。 「明日には吐かせてやるぞ」 しかしその言葉は覆された。 言った矢先にすぐボロを出したせいだ。パシリはどこまでもパシリだと呆れる。 オレの存在すら視界に入らない状態のパシリが、新しいクラスに駆け込んでいくとその後ろから随分と背の低い男が声を掛けていた。 纏まりのない寝癖のような茶色い髪を弾ませて、親しげに手を上げるそいつを振り返って確認した途端にパシリの顔がだらしなく緩んだ。 分かりやす過ぎると鼻で笑いながら、どんなヤツだと顔を覗きに足を伸ばす。 オレに気付けないほどそいつに集中しているパシリの肩に手を掛けて、ひょいとそいつの顔を覗き込んだ。 「よお、パシリのトモダチか?」 「っ!?」 息を飲んで身体を強張ばらせるパシリを楽しみながら、どんな間抜け面だとニヤついて視線を下げる。すると大きな瞳を見開いてこちらを見詰める茶色い瞳を見つけた。 綺麗な訳じゃない。可愛いといえなくもないがそれも強いていうならだ。だがその瞳の色と怯えた表情がひどくそそられる。 ニヤリと笑えば眦からうっすらと涙を浮かべて眉を寄せるそいつに手を伸ばそうとすると、横から伸びてきた手に叩き落とされた。 「あんた何する気なんだ。」 一丁前にオレに歯向かうパシリを冷えた一睨みで竦ませると、それを見ていたそいつが声を震わせながらオレとパシリの間に入ってきた。 「あの…っ、オレ沢田綱吉っていうんだ。スカルとは友だちっていうか、パシリ仲間で」 「パシリじゃない…っ、今年こそパシリにはならない!」 生意気にもオレを睨むパシリはあくまで沢田との接触を邪魔する気らしい。その出来もしない意気込みを無視して目の前の小さな顎に手を伸ばした。 「だとよ。なら代わりにお前がパシるか?」 「ひぃぃい!」 パシリからどんな話を聞いているのか、つっと顔を寄せれば予想以上の情けない悲鳴をあげて逃げ出そうともがき始める。その腕を掴むと肉付きの薄い腕を易々と引き寄せてあと2cmもない距離で唇に息を吹きかけながら吐き出した。 「それとも遊んでやろうか?」 横でパシリが絶叫をあげる声だけが廊下に響いた。 一番最初の出会いを思い出していたオレは、ツナのつむじの見えないぐしゃぐしゃな髪の毛を睨むと間違えだらけのプリントに指を伸ばした。 「だからどうしてそこでxを入れないんだ。方程式ぐらい覚えておけっつてんだろ」 「ううっ…ごめん」 こちらを見もしないツナは、必死に消しゴムをかけるとまた書き直しては数式を解き始める。汚ない字が正解へと辿り着く過程を確認してからまた先ほどの続きを思い出してため息が漏れた。 このオレにため息を吐かせるのはこいつくらいのものだ。 「本当にごめん…先に帰ってもいいから!」 「帰れるか、馬鹿野郎。」 ため息の訳を曲解したツナにそう呟けば、走らせていたシャープペンを止めてチラリとこちらを見上げてきた。 「サンキューな。」 へへっとはにかむ顔にムラッとして顔を寄せていくと、触れる手前で遮られた。ツナの癖に生意気だが、抵抗する表情もそそるせいで強引にことを運ぶことも出来ない。 だが今日は珍しく顔を赤くしているツナに違和感を覚えていると、妙なことを言い出した。 「危ないだろ!お前近すぎだって。一日に二回も男とするなんて冗談じゃないっ!」 聞き捨てならない台詞にオレの顔を押し退けていた手首を掴んで引き上げる。すると痛みに弱いツナはあっさり降参して目元を赤くしたままオレの視線から逃れるように顔を伏せて白状した。 「昼間…スカルと日直で教材を取りにいったときに、さ…」 言い難そうに言葉を濁すツナは、最後まで言い切ることが出来ずに耳まで赤くして俯いてしまった。 どうりでパシリが落ち着かない様子だと納得した。納得したがそれを聞いた腹立たしさに掴んでいた手首に力を込めれば下から呻き声が聞こえて益々手に力が入った。 「リボ、痛い…!」 「パシリにされて嬉しかったのか?」 「バッ、そんなことあるか!」 そう言いながらも顔を赤くしたままのツナに焦れて顔を寄せていくと、いきなり視界が塞がれて唇に柔らかい感触がふにゅりと押し付けられた。 「これでお前ともしたからな!どんな気分か自分で考えろ、バカ!」 茹でタコより赤く染まった顔を歪めながら叫んだツナは、驚きで緩んだ手からすり抜けると書きかけのプリントを置いたまま教室から飛び出していった。 ガランとした放課後独特の人気のない教室に運動部の練習の声がわずかに響く。 キスなんて何度もしてきたし、もっといやらしいこともしたことがある。なのに今ツナにされた口づけとも呼べないそれが、今までした行為のどれよりも心臓の在り処を伝えては飛び跳ねていることに頭を掻いた。 「ツナはどこにいったんだ。」 日誌を出しに職員室に行っていたパシリが開け放たれていた扉の向こうから顔を覗かせた。 掻き回したせいで少し乱れた髪を手ぐしで直しながら振り返ると、パシリが顔を顰める。 「どうかしたのか?プリントは終わっていないんじゃないのか?」 キョロキョロとツナを探すパシリの顔にプリントを押し付けて、揉み上げを伸ばしながら扉の向こうに足を踏み出した。 「自分だけがシタと思うなよ、ムッツリスケベ。」 「誰が!って、どういうことだ…?!」 ツナが隠れているだろう部室へと歩き出したオレの背中に、パシリの慌てた声が飛んできたがそれすらどうでもよかった。 鈍さにトロ臭さとドン臭さでコーティングされていた外壁が、ほんのわずかだが綻びかけている。これチャンスと思えばパシリの愚行も少しだけ許してやらなくもない。 羞恥を自覚したツナをどうやって落とそうかと考えながら、多少強引でも構わないだろうと足取りも軽く運動部の部室が並ぶ方角へと歩いていく。 グランドから聞こえる声と体育館から響くボールの音を聞きながら、部活が終わるまでに時間があることを計算して、むさ苦しいバスケ部のドアノブを捻るとツナの声が聞こえてきた。 「そうか、そうだよな!コロネロたちイタリア人だもんな!」 シリアスさなんて欠片もない声に慌てて奥を覗き込むと、頭を抱えたコロネロがツナの前に立っていた。どうしてあいつがこの時間にここにいるんだ。 ツナと2人きりにさせてしまったことを腹立たしく思ってコロネロを睨んでいたオレの気配に気付いたツナが振り返る。 その顔はいつも通りの表情に戻っていた。 「…何があったんだ?」 「んー…挨拶だよ。そうだよ、挨拶なんだよな!照れてごめん!」 よかった、よかったとあからさまに胸を撫で下ろしているツナの前で顔を顰めているコロネロに目配せをすると頭を振って視線を逸らした。 嫌な予感にツナをもう一度確かめると先ほどまでの表情などどこにも見当たらない顔で、こちらに近付いてきた。 「何が挨拶だって?」 「さっきの。うん、お前ら3人ともキスなんて挨拶なんだよな。コロネロに言われてやっと気付いたよ。一日に3人としたのは微妙だけど、挨拶だと思えばいいんだよな!」 また一人増えていることに気付いたが、それよりも聞き捨てならない台詞が混じっていることに顔を引き攣らせた。 「やっとホッとした!さあプリント終わらせてくるよ」 コロネロが何かしでかしたことだけは分かった。そしてそれが取り返しのつかない失態であったことも。 ホケホケとした表情でオレの横を通り過ぎていったツナが、パタンと扉を閉めると頭を抱えたコロネロと眉間を揉んでいるオレとが同時に心情を吐き出した。 「「ありえねぇ…」」 とんでもなく手強い敵の鈍さにお手上げのため息が2つ漏れた。 . |