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[> 水夢2




目が醒める。
横を見るとミクロがくうくうと寝息を立てていた。
身体が震える。
何だか無性に暗闇が怖い。


***


 ひたひたと生温い廊下を裸足で歩く。
雅成さん、雅成さん。
名前を呼びながら廊下を歩く。
 雅成の部屋の前まで来て、そうっと扉を開けた。
そこには寝息を立てる春夢しかいなかった。

 あ、と夏の口から音が漏れる。
雅成さん、と呟いた。
続けざまに嗚咽が漏れる。
雅成さん、雅成さん。
名前を呼びながら夏は泣く。
身体が震える。
 雅成を失ってしまったんじゃないかと思うと怖くて怖くて堪らなかった。

 夏、と後ろから誰かが呼んだ。
 振り向く前にぎゅうっと抱きしめられる。
「夏、大丈夫だから、ね? もう泣くな」
「がなる、さん」
 夢とは違う、現実の雅成は凄く温かい。
 夏は小さな声で、雅成さん、雅成さん、と雅成を呼んだ。
その度に雅成はうん、うん、と優しく返事をしてくれる。

 ううん、と春夢が唸った。
ビクリと夏の肩が跳ねる。
「夏、リビングに行こう」
 夏の手を取って雅成は言う。こっくりと夏が頷くのを見て雅成は笑った。





「雅成さん、雅成さんは私の事をどう思ってますか?」
 その質問に雅成は飲みかけの麦茶を勢いよく吹き出した。いきなり直球だったからだ。
 噎せながらも、好きだと思ってると言うと途端に夏は悲しそうな顔をする。
 それから本当に小さな声でごめんなさいと言った。
それは本当に本当に小さな声だったけど静かな夏の夜にはよく響いた。

 ―――ごめんなさい

 ただそれだけの言葉に雅成は心臓を掴まれたような気分になる。呼吸が止まったような気がして堪らない。
ごめんなさい、ともう一度夏は泣きながら言った。

「ごめんなさいって、夏、それはどう言う?」
 厭な汗が額に浮くのを感じた。
 自分はきっと夏に拒絶されたら生きていけない。
生きていけないのだ。
雅成は深く息を吸う。
心臓が、身体が見えない何かにがんじがらめにされている気がして堪らない。

「夏は、」
口を開いた。
「僕の事が嫌い?」

 戸惑い気味にそう聞かれ、夏は激しく首を振るった。
「違う、違うんです雅成さん。そうじゃ、そうじゃないんです」
 小さな嗚咽をこぼしながら見上げてくる夏を酷く愛おしいと感じた。そしてその否定に心底安堵し、深く息をついてから夏を抱き寄せた。
 腕の中でしゃくりあげる夏が愛おしい。
ロボットだろうが女だろうが男だろうが何だろうが大好きだ、そう言えるくらい大好きで大好きだ。
肩に夏の顔を押し当てる。
大丈夫だと言ってやりたかった。

 ―――私は、と夏は口を開いた。
珍しく感情的な声だった。
「わ、わたしは、私は雅成さんに沢山沢山いろんなモノを貰ってるのに……何も、な、何も返せない。こんなに沢山貰っていて、沢山学んで沢山知ったのに!私の感情も心も沢山雅成さんに創って貰っ、貰ったのに。なのに、なのに未だに何も返せない、返せていないんじゃないかって……」
 夏の口から嗚咽が零れる。
 この自分のプログラムを支配しているものは何なんだろうと回らない頭で考える。
雅成の腕は暖かい。力強い。
安心できる。
「そしたら怖かったんです。怖くて怖くて仕方がなかったんです。雅成さんを失うんじゃないかって思ったんです。雅成さんは大切なのに、私が出来損ないのせいで、―――わ、私が半分しかないから!」
 叫んで、産まれて初めて叫んで夏は荒い呼吸を繰り返す。
人間で言う肺と言うものの中、その中の空気を全て吐き出したような気がした。
 後から後から溢れてくる涙が情けなくって、夏はぎゅうぎゅうと額を雅成の肩に押し当てる。雅成の匂いがする。
 胸の中辺りががドキドキしている。頭がくらくらする。
 ぎゅっと更に雅成の手に力が篭った。

「―――夏、こっち見て」
「?」
 素直な子供のように顔を上げる夏を雅成は見据える。
淡い青のかかった緑の目。
涙の膜が光を反射してまるで深い湖みたいだ。

「夏が解らないと言うなら僕は何度だって教えるし、何度だって言う。そしてこれが今の僕に出来る全ての事だ」

 ――夏。
初めて口付けて雅成は言う。
心が愛おしいと叫ぶままに。


「好きだ、愛してる」


 夏の瞳が大きく見開かれた。
 この顔は、雅成が夏と出会って一番最初に見た無表情以外の夏の表情だった。
 出会ってから今までのうちに、随分夏は人間らしくなった。
笑うようになった。
悪戯するようになった。
悲しむようになった。
知りたがるようになった。
困るようになった。

 自分も少なからず変えられているのだ。雅成は思う。
夏が大切だ。
大切と言う気持ちを恐らく夏はもう知っている。
愛を知るまであとどのくらいかかるのだろう。
愛を知ったとき夏は自分を受け入れてくれるのか。
 最近そういう事を考えるたびに、雅成は深い湖の中で窒息しているような気分になる。
 夏は自分を水の中まで捜しに来てくれるんだろうか。
捜しに来てくれなかったらなかったで自分はきっと溺死してしまう。

 ―――伝わらなくていい。
伝わらなくていいから、だから。
 雅成は思う。
いつまでもそばにいてくれればいい。

 冷たく汗ばんだ手の平を固く握り、夏の肩に顔を埋めた。
心が不安で一杯になる。
 誰かを好きになることはこんなに疲れるなんて今まで自分は知らなかった。

 ロボットだろうが女だろうが男だろうが何だろうが別にいい。
自分は夏にはまり過ぎた。
そばにいてくれればいい。
 贅沢は言わない、ただそばにいてくれればいいのだ。

 夏は困ったような顔で雅成を抱きしめた。
雅成さんが、私みたいに安心できればいいのに。
そう思ってぎゅうっと一生懸命雅成を抱きしめた。



 その夜、雅成は湖に溺れる夢を見る。
水の底には何もない。
 夏、と一度だけ呼べば、言葉が気泡になってゆらゆらと水面に上って行った。
水上から差す光は、まるで涙に濡れた夏の瞳のようで。
雅成は目を閉じた。


 夏はまだまだ自分を捜しには来ない。


【水夢】終。
***

日常的な話をしばらく書いてみましたが何だかしっくりこず、雅成と夏を激しく動かしてみました。
雅成は臆病です。夏はガンガン行こうぜ的なあれ。
私は楽しかったですが読み返して羞恥に駆られまくってますぐはぁ

次の話は新しいキャラが出ます予定。
中途半端な感じですがミクロちゃん参上編はミクロが大した活躍もせずに終了です←

コロコロ視点が変わって読みにくい上、いろいろと未熟ですが何とぞ最後までお付き合いいただけたらなぁと思ってたり

珍しく真面目なあとがきでした(爆

:)H22.12.15
:)迅明



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