虫に、花に、鳥に、木に、動物。
一神社の東の山の麓。「おとぎの森」と呼ばれるこの森には数え切れないほどの動植物が存在する。
特に有毒の植物が密生した土地で、科学者や闇商売の連中なんかが時々それらを採取しに来る。
俺も例外ではなく毒薬作りの為によくこの森に入るが、どうしたことだろう。

「参ったなぁ。完全に迷った」

来た道を戻るにしても四方を見渡したところで景色が同じ。記憶に残る目印になるようなものも無ければ、案内してくれる人も動物も居やしない。ここまでどんな風に来たかを思い出そうにも、毒草のことしか考えていなかったため皆目見当がつかない。
どうしたものかと数歩歩いて立ち止まり。また方向を変えて数歩歩いて立ち止まり。次第にいっそここで生活するかとかそんなことまで考えはじめていた。だってなんだかクラクラするし、瞼も重くなってくるし、足だってフラフラだ。
もしかしたら近くに毒霧でも出す植物があったのかもしれない。ぼんやりする頭で考えられるのはそれくらいで、次第に眠気のような疲労のような気怠さに体全体が支配された。
視界が反転する。周りが残像を残して縦に伸びる。ちがう。俺は今倒れている最中だ。多分もう少ししたら、夕暮れの赤い空が見えるだろう。

「あ、やっぱり」

どさり。
枯葉に埋め尽くされた地面は硬くもなく柔らかくもなく、生暖かいような温度で彼の身体を受けとめた。



「珍しいこともあるものだ」

声が聞こえて目を覚ました。寝起きの白く濁る視界も瞬きを繰り返し目を擦ればさらりとクリアになる。不思議なことに倒れた場所とは違うところに居た。そこで見えたのは燃えるような赤色とそれを取り囲む緑だ。

「おや起きた」

先ほどと同じ声が聞こえたので視線を少し上に持ち上げると今度は海色の青に出会う。赤の輪郭に縁取られたふたつの丸、すなわち瞳である。

「ここがどこだかわかっているのかえ?」

その声の主は今にも倒れてきそうなほどに朽ちた大木に無数に伸びた深緑の蔓によって貼り付けられていた。見たところ同じくらいの歳で、長い髪に隠れて乳房が見え隠れしている。しかし彼女はそれを気にしている様子はなくにまにまと笑みを浮かべてこちらを見るばかりだ。頭には耳が生えている。自分と同じものではない。犬や猫や…狐にいちばん近い形の、獣耳だ。

「あんた一体、」

自分がどうしてこんな場所にいるのか不思議に思うより先に、彼女のことばかりが気になった。身体は傷ついている。しかしどれも古傷のような色形で、血は出ていないようだった。

「我に名前はないよ。お前はあるの?」

「……ダコク」

「ダコク。ダコクか。字は?」

「字がわかるのか……?」

「おや、獣人には知がないと思っているのかえ?ひどいのう」

彼女はけたけた笑いながら話す。
というかいま獣人と言っただろうか。確かに不思議な耳は生えているが身体は人間だ。しかしこの世に獣人なんているのだろうか。知り合いに妖を使役する陰陽師はいるが、それとはまた違う類だしーー。
色々と考えて、考えて、結局彼は考えるのをやめた。あまり頭が柔らかくないのだ。しかし理解はある。だから彼は張り付けの彼女不思議さを一度忘れ名を語った。

「しずく、に、ときと書いて雫刻」

「雫刻か、良い名だな。雫は即ち自然の恵。刻とはつまり記憶すること。恵を記憶するというのは過去を忘れず未来に生かすということだ。我も気に入ったぞ」

「過去を未来に、生かす」

彼女の語り口調はまるで老婆が孫に知を与えるかの如く穏やかで優しく、そして強いものだった。正直自分の名は好きではなかった。意味を聞いたところで好きになれるかというとそうでもないが、なにか晴れ晴れした気持ちになる。

「名前がないと言ったな。なら俺がつけてもいいか」

彼女は目を見開いた。あの青い双眸に木漏れ日が乱反射する。まるでサファイアのように煌めいた。

「見たところ永らく独り身のようだし、ついでに髪の色と蔓共の色があいまって林檎のようだから、孤独の孤に林檎の檎でココはどうだい?」

「孤檎か、酷い名だ。しかし呼ばれやすい名だ。気に入ってはいないが暫くつかわせてもらおうかの」

「暫く?」

「そうさの、お前たち人の子にとっては”暫く”だ」

よくわからないと思った。けれど見当はついた。でも口にはしなかった。寂しかったからだ。出会って間も無い異種人に寂しいなどという念を抱くというのも些かおかしなことだとは思ったが、彼女の話すことの意味を感じ取った時たしかに切なさを感じたのだ。
陽が暮れ始める。よく考えてみれば倒れた場所とは違う場所に来ているわけだから、帰り方がわからない。今夜は野宿かと溜息をつく。

「そうだ、我に触れておくれ」

「触れるって……?」

ココの言葉に雫刻の頭を淫猥なものが過る。彼女はにこにこと寛いだ表情でこっちに来いと促す。どういうことなのだと疑いつつ近づいてみると「この木に触れておくれ」とココ。
おずおずと朽ちた木の幹に左手を触れさせると、どうしたことか。急に辺りに光が満ちて、目の前が見えなくなった。眩しさに目を瞑る。木々が唸り、なにか大きなものが倒れたような音がした。

「身体を伸ばすのは一体いつぶりかの」

目を開けた先で、彼女を張り付けていた蔓は断ち切れ大木はそこに横たわっていた。当の彼女はそんなことは承知、というかどうでもいいといった様子で地に足をつけて立っている。今まではなかった耳と同じ色の尻尾が彼女の背に垂れていた。
驚きのあまり声が出ない。

「雫刻、お前に感謝しよう」

青い瞳が滲むように細められた。



2014.05.11
※一(にのまえ)神社





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -