お、重い・・・。
腹辺りの重みに多少の息苦しさを覚え意識を取り戻し、まだ眠っていたい瞼を徐々に押し上げる。

「あ、おきた!」

目を開けきる前に耳が幼い声を拾う。視界が開けるとぼやける目が朝日を浴びた子どもの姿を捉えた。

「おはよう、おとうさん!!」

パジャマ姿のバンビーノ(男の子)がニカッと笑いながら俺の腹に馬乗りになっている。あぁ、重さの正体はこれか。


おとうさん?
そうか、このバンビーノは俺の子で、俺はこの子の父親だ。朝から随分な目覚ましじゃあないか。

「あぁ、おはよう」

「今日すごく天気いいよ!いっぱいシャボン玉つくれるよ!!」

「・・・そうだな」

目をキラキラさせながら興奮で前のめりになっている息子の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。・・・小さいな、鷲掴みにできるぞ。息子は嬉しそうに撫でられている。

「ね!今日はおっきいシャボン玉つくってくれるやくそくだよ!」

「そうだったっけか?」

「そうだよ!だからもうおきて!!」

俺がかき混ぜてしまったせいでボサボサになった髪に構うことなく、そのままの体勢でピョンピョン跳ね出した。お、重い・・・



「こーら。お父さん苦しそうよ?」



ガチャ、と扉を開けて入ってきたのは、コーヒーの香りと盆にマグカップ3つをのせたシニョリーナだった。そのままベッドサイドの棚に盆を置く。そして息子の乱れた髪を手で優しく梳かしてやりながらほら、早く着替えて?と促す。

「着替えたらまたおいで。一緒にコーヒータイムにしましょう?」

「はーい!!」

シニョリーナは息子の額に軽くキスをして息子をベッドから降ろす。息子はシニョリーナにお返しとばかりに頬にキスをして素直に従った。

「おかあさん!今日のピクニック、おやつもたくさんある?」

「んー、早く着替えてお母さんをお手伝いしてくれたらいっぱいつけちゃおうかなー?」

「わーい!!」

会話を聞きながらゆっくり起き上がる。息子はパタパタと部屋を後にしてシニョリーナはそれを微笑ましく見送っている。


おかあさん。そう呼ばれていた。つまり。このシニョリーナは俺の奥さんか。


ぼうっとシニョリーナを眺めていたら、俺を振り返ってクスクスと笑いだす。

「おはよう。髪、寝癖ついてる」

そう言って両手で髪を優しく整えてくれる。ひと通り終わると、仕上げとばかりに額に口付けてくれた。

心地が良い。余りの心地良さにまた眠ってしまいそうだ。また瞼が落ちそうな俺に、あの子と約束したんだって?じゃあもう起きましょう?と頬を撫でながらコーヒーの入ったマグカップを差し出してきた。

待ってくれ。コーヒーの前に、君とキスしないと俺の朝は始まらないんだ。

無意識のうちに彼女に手を伸ばし、髪を梳くように引き寄せる。俺の意を汲んだのか、彼女も身を乗り出して顔を寄せてくれた。

そのまま唇にキスをする。やわらかく、あたたかい。これまで女性と数え切れないくらいキスをしてきたのに、こんなにも満たされた気持ちになるのはどうしてはじめてなんだ。

名残惜しくもゆっくりと唇が離れる。ダメだ、まだ足りない。俺は強請るように再び彼女を引き寄せた。
困った様に笑いながらも、俺に身を預けてくれる。


「ふふっ」


あぁ、君のその笑う声が堪らなく好きだよーーー








ーーー静かだ。誰の声もしない。俺を急かすバンビーノの声もしなければ、君の笑い声もしない。何処へ行ったんだ?

ゆっくり目を開ける。薄暗い天井が見えた。朝日を浴びた、コーヒーの匂いが立ち籠める部屋とはまるで違う。


あぁ・・・これが現実か。


とてもしあわせな夢だった。
幸せな家庭を持ちたいという願望がみせた夢だったんだろうか。だったらいっそ、覚めなくてよかったんだが。

ハァ、と溜め息を吐きながら起き上がった。時計はまだ早朝の時間を指している。タバコを咥え、火をつけた。ガシガシと頭を掻きながら窓辺へ向かい、勢いよくカーテンを引く。眩しさに目を細めた。

ーーーいい天気だ。ピクニックにはもってこいだな。

窓を開け煙を吐き出す。なんだっけ、デカいシャボン玉を作る約束だったっけ?今日ならきっと遠くまでよく飛ぶんじゃあないか?早く着替えて、母さんの手伝いをして、たくさんおやつをつけてもらうんだよな。

もう顔も思い出せない夢の中の家族を思い出して、口元が緩む。

短くなったタバコを消すため、部屋の方に向き直る。いつもと何ら変わり映えのない、俺の部屋だ。

大学の講義は午後からだが、もう出よう。ここに居たら、夢でみたあの場所と比べて、無駄に寂しくなっちまう。

俺は軽くシャワーを浴び、適当にあったものを胃袋に流し込んで部屋を出た。





目的も無く歩いていると、噴水のある広場に辿り着いた。ここはナンパしたり、JOJOと取っ組み合いをして噴水に突き落としたり突き落とされたりと、何かと思い入れのある場所だ。

噴水の縁に腰かける。本当にいい天気だ。こんな天気なら、確かにたくさんシャボン玉が作れそうだな。

俺は何気なく仕組んだシャボン液でシャボン玉を作り、次々に飛ばした。予想通りシャボン玉は、緩やかな風に乗って遠くまで飛んでいった。

人通りは少なかったが、そのうち通学途中のチビ達が俺の前で足を止めはじめ、気が付けば周りをぐるっと囲まれてしまった。これは期待に応えねばと、大きいシャボン玉の中に小さいシャボン玉がいくつも入ったシャボン玉を作ってやると、痛くお気に召したらしい。

「おにいちゃん!もっかいやって!!」

「さっきのぶぁーってなるやつ!!」

「ぶぁーってなるやつ、じゃあなくてアレにはシャボンランチャーって立派な名前が・・・」

「ぶぁーってなるやつ!!」

「なるやつー!!」

「わかったわかった」

もう一度披露してやると、チビ達から歓声があがる。

夢でみた俺の息子も、こんな反応をするんだろうか。どこまでも無邪気で、シャボン玉ひとつでこんなに感動できる、このチビ達の様に。

もしそうだったら、俺はどこまでも調子に乗って、いくらでもシャボン玉を飛ばしてやる自信がある。

ふっと笑って楽しげな様子を見やる。部屋を早く出てよかった。



ふと、視線を感じた。探れば、1人のシニョリーナが此方を見ていた。

あぁ、綺麗なひとだ。
囲まれていなければナンパしていただろう。彼女に挨拶代わりのウィンクひとつでも送ろうとした時。


ーーーふふっ!


彼女が笑った。
その瞬間、夢の女性と完全に彼女が重なった。息も忘れ彼女を食い入るように見詰める。

彼女は笑顔のまま軽い足取りで広場を去っていく。色素の濃い髪を風に揺らしながら。

追いかけなくては!!

驚くチビ達を置いて、俺は走った。見失ったら、取り返しがつかなくなる様な気がして、必死に後を追った。

相変わらず軽い足取りで風に髪を遊ばれながら歩く彼女の腕を掴んだ。


振り返った彼女を見て驚いた。
本当に、初めて会う気がしないのだ。今朝、朝日を浴びたコーヒーの匂いが立ち籠める部屋で、俺は彼女に会っている。息子と楽しげに言葉を交わし、俺におはようと言い、髪を撫で額に口づけをし、コーヒーを差し出した。俺はそれを見ていて。

そして、世界でいちばん幸せなキスをした。目の前の、この女性とーーーそう思えるほどに。


「あ、あの・・・?」

困りながらも、はっきりと耳に届く透き通った声に我に返った。慌てて手を離す。

「し、失礼、シニョリーナ・・・その・・・」

お、落ち着け、落ち着くんだシーザー・A・ツェペリ!いくら彼女が夢に出て来た女性と重なるからと言って、所詮夢は夢だ!現実の話じゃあない!
そう、これはナンパなんだ!いつものようにまずは外見を褒めて・・・!

彼女は不思議そうに首を傾げている。その顔を見ると、あり得ないほど心臓が暴走する。ダメだッ!直視できんッ!!

どうすれば・・・!!

ひたすら視線を彷徨わせて目に付いたのは、彼女が手に持つテイクアウト用のカップだった。そのカップに付いているロゴには見覚えがあった。コレだ!

「そのカップのラベルは新しく出来たカフェのものだろう?」

「え、えぇ」

「っ、俺はまだ行けてないんだ・・・美味しかったかい?」

まだ行けてないなんて嘘だ。オープン直後にガールフレンドと一緒に入ったのは記憶に新しい。
それでも、俺は彼女を繋ぎ止めるためなら手段は選んでいられない。

彼女は口をパッカリ開けてポカンとしたかと思うと、途端にクスクス笑い出した。あー・・・これは完全に食い意地をはってると思われたな。

「えぇ、とても美味しかったわ。カプチーノもベーグルも。

・・・カプチーノはお好き?」

「あ、あぁ」

「じゃあ良かったらこれをどうぞ。朝からお疲れ様、シャボン玉のお兄さん?」

差し出されるカップに、酷く既視感に襲われる。あまりにも夢と重なりすぎて、これが現実なのか夢の続きなのかすら判断できなくなり、反応が遅れる。

躊躇いの末、差し出されカップを受け取った。

「ありがとう、シニョリーナ。僕・・・いや、俺はシーザー・・・シーザー・A・ツェペリだ。

・・・君の名前を聞かせてくれないかい?」

頭の整理が追いつかなかったせいでナンパ用の一人称を言ってしまったが、すぐに訂正する。
彼女には、本来の俺の姿を見てもらいたいと思ったからだ。

さぁ、どうか。俺に、君の名前を呼ばせてくれ。



「私はーーー」




シヨリ。
その名前は、俺のこれからの人生できっと多く呼ぶことになる。そんな予感がした。




予感




この日から俺はシヨリの気を引こうと奮闘するものの、彼女の前では驚くほどに格好がつかなかった。
マルクには人のこと言えないじゃないかと苦笑いされ、JOJOには爆笑された。覚えてろよスカタン!

らしくないのは、自分で一番わかってるさ。
それでも、シヨリが楽しげに笑ってくれるなら、これはこれで良いと思いはじめた自分が満更でもないのは、どうしてなんだろうな。



ーーー
20150216



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