気が付けば草原にいた。
見通しが良く地平線には青空が交わる。綿を丸めて散らせたような雲、そよそよと髪を撫でる優しい風。天候といい場所といい良い条件が揃っていて、絶好のピクニック日和だ。


「おかあさん!」


草が揺れる音だけを拾っていた耳が背後から人の言葉を捉えた。
振り向くより先に軽い衝撃が腰下に走る。視線を下げると、男の子が私に抱きついていた。

ーーーあぁそうだ。この子は私の子だ。

一瞬で納得し我が子と向き合う。

「こんなところで何してるの?それよりね!おとうさんがすごいんだよ!いっしょにきて!!」

私の手を掴むとグイグイと引っ張る。引かれるままに歩みを進めた。

少し歩いたところで、風に乗ってフワフワと揺れる七色の球体が視界に映るようになる。

シャボン玉だ。

歩くほどにシャボン玉の数が増えてくる。自分を横切るシャボン玉の鮮やかさに目を奪われていると、急ぎ足だった我が子が止まる。

「おとうさん!!」

我が子が呼びかけた先には一人の男性がいた。逆光で顔がよく見えない。

「さっきの!もう一回やって!!」

我が子は私の手を離し男性へ駆け寄る。男性は我が子の頭をくしゃりと撫でると、ストローを口に咥えた。

ーーーシャボン玉を生み出していたのは、この人だったのか。

ぼんやりと眺めていると、大きなシャボン玉がひとつ宙へ舞った。
我が子がわぁっと歓声を上げる。

「すごいんだよ!おとうさんのシャボン玉、こんなにおっきいのにぜんぜんわれない!!」

興奮した様子で私に聞かせると、風に揺れるシャボン玉を追いかけ始めた。

シャボン玉は形を変える訳でもなく、風に揺れてフワフワ流れているだけだが、まるで動物と戯れるみたいにキャッキャと声を上げ楽しそうに追いかける。
その無邪気な姿がとても可愛かった。

「みてー!ここまできてもわれないよー!!」

少し離れから大きく手を振る我が子に口元が綻ぶ。

「ふふっ」

小さく手を振り返しながら、零れる笑みに逆らえない。

ーーーふと、肩を優しく抱かれた。

見上げると、男性がすぐ側にいた。
相変わらず逆光で顔はよく見えない。それでも。我が子を愛しげに見つめ、私同様、口元に笑みを浮かべているのは確かにわかった。
鼓動が優しく胸を打つ。私はゆっくりと頭を傾け、彼に身を預ける。


「しあわせ」


私の言葉に、彼が返事をした気がしたーーー








ーーー重い瞼を持ち上げると、視界に入ってきたのはカーテンが引かれた薄暗い私の部屋だった。霞んだ目で数回瞬きをする。

・・・。

なんだ、夢か。

とてもしあわせな夢だった。
でもなんであんな夢を見たんだろう。仕事の後によくちびっ子達と遊ぶからだろうか。うん、きっとそうだ。結婚願望はまだそこまで強くないはずだけど・・・でももし、あんな家庭を持てたら素敵。

うん、とってもいい夢だった。
今日も楽しい日になりそう。

時間を見ると、出勤にはまだ時間がある。ゆっくり仕度しよう。
そうだ、職場の近くに新しいカフェがオープンしたんだ。そこで優雅なモーニングを過ごすのも悪くない。

私は鼻歌を歌いながらクローゼットを開けた。





新しくオープンしたカフェで朝食を終え、上機嫌に歩く。カプチーノがとても美味しかったので、職場で飲む用にひとつテイクアウトもした。
早起きして正解だった。また朝に行きたいなぁ。

軽い足取りで歩いていると、視界の端で何かフワリと揺れた。目で追ってみると、風に舞う七色の球体。

シャボン玉だ。

まさに今朝夢で見たシャボン玉だ。とてつもない親近感を覚える。
歩みを進める度、これはまたシャボン玉が増えていく。と同時に、楽しげな声も近づいてきた。


「おにいちゃん!もっかいやって!!」

「さっきのぶぁーってなるやつ!!」

「ぶぁーってなるやつ、じゃあなくてアレにはシャボンランチャーって立派な名前が・・・」

「ぶぁーってなるやつ!!」

「なるやつー!!」

「わかったわかった」

噴水の縁に座っているであろう若い男性ーーー青年が、通学途中の子ども達に囲まれているらしい。何か大技を披露したのか、子ども達からおぉー!という歓声が上がる。

今朝みた夢のようだ。
私は緩む口元をそのままに噴水を横切ろうと進む。

楽しそうな子ども達の切れ間から、青年の姿が見えた。その表情はとても穏やかだ。

・・・素敵な人。

そう思っていると、早朝で人通りも少ないためか青年が視界に私を捉えた様だ。目が合っている気がする。

「すごい!われない!!」

子ども達が発したその言葉は、夢で私の子が発した言葉だったか。

「ふふっ!」

あまりにも夢と重なるので、つい笑ってしまった。あぁ、青年がキョトンとしている。ごめんなさいね、あなたを笑ったんじゃないのよ。

シャボン玉で溢れるその噴水広場を後にしても、シャボン玉がついてくる。今日はシャボン玉がキーアイテムなのね。帰りに私もシャボン液買おうかしら。そんな事を考えていると。

ガシッ

不意に後ろから腕を掴まれた。驚いて振り返ると、先程噴水広場で子ども達に囲まれていた青年ではないか。近くで見るととても体格が良く、私は完全に彼の陰になってしまっている。そんな体格の良い彼は不思議な事に掴まれた私に負けず劣らず、驚いた顔で私を見ている。

「あ、あの・・・?」

笑ってしまった事を怒っているーーー訳ではなさそうだ。困惑を隠しきれず青年に声を掛けるとハッとして腕を離してくれた。

「し、失礼、シニョリーナ・・・その・・・」

視線が泳ぎはじめた青年はやがて、私の持っていたテイクアウトのカプチーノに気づき、少し慌てた様子で口を開いた。

「そのカップのラベルは新しく出来たカフェのものだろう?」

「え、えぇ」

「っ、俺はまだ行けてないんだ・・・美味しかったかい?」

な、なんだこの青年は。あんな遠くからこのカップを目敏く見つけて感想を聞きにわざわざ追いかけてきたのか。そんなに必死に。

体格とのギャップに思わず笑ってしまった。

「えぇ、とても美味しかったわ。カプチーノもベーグルも。

・・・カプチーノはお好き?」

「あ、あぁ」

「じゃあ良かったらこれをどうぞ。朝からお疲れ様、シャボン玉のお兄さん?」

私は持っていたテイクアウトのカプチーノを男性に差し出した。男性は躊躇ったが私の手からカプチーノの受け取った。

「ありがとう、シニョリーナ。僕・・・いや、俺はシーザー・・・シーザー・A・ツェペリだ。

・・・君の名前を聞かせてくれないかい?」

緊張した面持ちの青年に、警戒心がすっかり薄れた。よく見ると目の下に変わった痣がある。


「私はーーー」


シャボン玉が舞う早朝。
私は彼に出逢ったのだった。




正夢





後に彼の友人から聞いた話では。

新しく出来たカフェのくだりは口実であり、詰まるところ私との接点が欲しかったらしい。

「あーンのスケコマシーザーちゃんのテクが一目惚れしたコの前では本領発揮されないとかァ?ちゃんちゃら可笑しくて暫くネタとして笑い飛ばしてやったぜ!」

その話を聞いて、頬に熱が集中する。

いつか見た夢ーーー優しい眼差しで我が子を見守りながら私の肩を抱いてくれる男性も、あなたと重なりはじめたのよ、シーザー。



ーーー
20150206




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