シーザーのあの言葉を今でも覚えてる。
『君がスカートの似合う立派な女性である限り、女性に対する敬愛の意識は捨てられないよ』
そしてその言葉を受けた時から、私はスカートを履かなくなった。シーザーに敬愛されることイコールシニョリーナ扱いなら、せめて女性らしい服装を控えて男性寄りにすることで、シーザーがあまり私を女であると意識しなくて済むように、という私の考えからだ。
だけど、今日午前中は例外。
有名ホテルのロビーに私の好きな作家さんの個展が開催されているので、それを見に行く。有名ホテルだし、ちょっとおめかししたい。しばらく眠っていたワンピースに袖を通し、髪も服に合うようにセットした。うん、いつもと違って大分フェミニンだ。大学に行く時はパンツスタイルでボーイッシュな感じだから、今のこの姿の私を見たら、大学の友達は驚くかもしれない。もしそうなったらこっちとしても非常に気恥ずかしいのでどうか、大学の友達と会いませんように!
午後からはシーザーと大学で課題を片付ける約束だ。何やらホワイトデーのお返しもその時してくれるんだとか。一度家に戻るし、着替えて行けば問題なし!
自分の中で段取りを決め、私は家を出た。
ホテルの個展会場で、高校時代の男友達と偶然再会した。そう言えば彼は美術部で、よく展覧会にも行ってるって言ってたっけ。そのまま彼と一緒に展覧会を回った。芸術に詳しい人の解説は非常に助かる。
ホテルを出て、途中まで行き先が同じという彼と、昔話に花を咲かせ並んで歩いた。
そこで、以前紹介してもらったシーザーの妹さんを見かけ。名前を呼ぶと驚いた顔をされたがすぐにあの時と同様にっこりと笑い、挨拶してくれた。うん、やっぱり天使だ。またお話ししようね、と言って別れると、隣にいた男友達がフリーズして動かない。
「どうしたの?」
「あの子・・・相羽さんの知り合い?」
「うん、そうだよ。友達の妹さん」
「・・・すっごく可愛い・・・」
「えっ」
という感じに見事心臓を撃ち抜かれたらしい。この後妹さんのことについて散々聞かれ。彼女とお近づきになりたい、お願い協力して!と普段芸術を愛する大人しい印象の彼が必死に頼み込んでくるものだから勢いに押され頷いてしまった。後でシーザーに相談してみよう・・・。ホント、兄妹共々罪作りだな!
そんな予期せぬ出来事があったせいで、シーザーとの約束の時間がすぐそこに迫っていた。家に帰りすぐパンツスタイルに着替え、ワンピースに合わせた髪型もラフに崩し、バランスバーを素早く食べて大学用の鞄を引っ掴み慌てて家を出る。マズイ、少し遅れそうだ。私は大学までの道を急いだ。
大学に着きシーザーと待ち合わせている教室が見えたところで、呼吸を落ち着ける。大きく深呼吸したところで、乱れた息は元に戻ったようだ。
そしてシーザーがいるであろう教室のドアを開けた。
「ごめんッ!遅れた!!」
此方に背を向けていたシーザーが振り返る。そして私を見たシーザーは驚いた表情をしたすぐ後、至極不快そうに眉を顰めた。
え?何?お、怒ってる・・・?
「シーザー?ごめん、待った・・・?」
近付いて恐る恐る伺う。返事をしてくれない。私はシーザーの怒りの原因がわからずに戸惑うばかりだ。シーザーはこのくらいの遅れで怒る人じゃない。じゃあ他に理由は・・・
「男と遊んでて遅刻とはいいご身分じゃねぇか」
「え?」
男と遊んで・・・?
いや、遊んだ記憶はない。何の話だろうか。記憶を手繰ってみると、もしかしてさっき男友達といた時のことを指すのだろうかとハッとしてシーザーを見た。シーザーは更に眉間の皺を深くする。
「もしかして午前こと?」
何ともなしに聞いたつもりだった。
次の瞬間、シーザーに手首を引かれ傍の壁に思い切り叩き付けられた。鞄が手を離れ床に落ちる音と背中を打ち付ける音が重なる。勢いよく壁にぶつかったせいで背中が痛い。文句のひとつでも言おうと顔を上げると、顔のすぐ横でバンッ!!という大きな音が鳴り驚きで肩が跳ねる。音の方を見ると、シーザーの手があった。そして、正面にはシーザーの怒りに満ちた表情。
「わざわざ着替えまでしやがって・・・そこまで俺は対象外だってか・・・あァ?」
地を這うような低い声。こんな声、シーザーがジョセフと喧嘩してる時ですら聞いたことがない。
「どおりでやたらスルーされる訳だ」
自嘲気味にシーザーが嗤った。その言葉は私に向けられていると言うより、独り言のようだった。なんのことを言っているのかわからなくて、小さくシーザーの名前を呼ぶ。すると手首を掴んでいた手に力が込められた。
「いっ痛いシーザー!」
痛みに顔を顰めながらシーザーに訴えるが、更に力が込められるだけだ。痛い、離してと言っても何も変わることがない。痛みで視界が滲む中、見えたシーザーは。
口許は笑っているのに、目が全く笑っていない。
その表情に全身がゾクリと震えた。
ーーー怖い。
初めてシーザーが怖いと思った。
「もうソイツのところに戻れなくしてやろうか」
嫌な予感がして、心臓がドクドク音をたて始めた。シーザーの手首を掴んでいた手が、今度は私の後頭部に回る。その手で私を見下ろすシーザーと視線が合うよう顔を上に向けられた。
危険だと脳が警鐘を鳴らすには遅かった。
「?! んっ・・・!」
唇に、シーザーの唇が押し付けられる。キスされた、とショックを受ける暇もなく、回された手で更に上を向かされ緩んだ口にシーザーの舌が割って入ってきた。角度を変えて深く入り込んでくる。そして私の舌を探り当てるとぢゅ、と強く吸われた。
「んっ、・・・んぅ!」
離れたくて押し退けようとしても、シーザーの圧倒的な力に歯が立たない。逆に壁についていた片手も私の腰に回されたため、更に身体が密着した。どうにか逃れようと探る私の脚の間に、シーザーの片脚が入ってきたため、逃げ場なんてもうない。
吸われた舌が、シーザーに絡め取られる。唾液が混ざってジュプ、と泡を立てる音に力も抜けてしまい、シーザーの勝手を許してしまう。
上手く息が出来ない。私のちっぽけな過去の経験からじゃ、こんな時どうすれば良いか学ぶ機会なんてなかった。
苦しい。
どうしてこんなことするの。
色んな感情と酸欠で、気を失うじゃないかと思った矢先、唇が離された。混ざり合った唾液が糸を引く。その様子に、顔がカッと熱くなった。
ようやく解放され荒い息を繰り返す私に構わず、シーザーは私の首筋に噛みついてきた。
「いっ・・・!」
歯が肌に食い込む感触に短い悲鳴を上げる。
痛い、怖い、苦しい。
負の感情の連鎖に、身体も耐えきれずカタカタと震えだした。
なんでこんなことになったの。
シーザーは何で怒ってるの。
全部わからない。
ただ、シーザーと築いたこれまでの関係が崩れていくのはわかった。
嫌だ。
いつもみたいにからかって、スカタンって笑ってよ。
堪らずに涙が溢れた。
「うっ・・・く、うぅ・・・っ」
遂にしゃくり上げて泣くと、首筋に顔を埋めていたシーザーがピクリと反応した。
「シ、ザー・・・ぅくっ、やめて・・・っこ、わい・・・っ」
その言葉に、シーザーが顔を上げる。ボロボロ涙を流す私を確認すると、ゆっくりと抱きしめてきた。
「・・・すまない」
今までの乱暴さが鳴りを潜め、震える私をぎゅ、と優しく抱き込んだ。それでも、私はしゃくり泣きを止められない。
私が落ち着きを取り戻すまで、しばらくは抱きしめたままだった。
「ーーーなぁ。ひとつ聞かせてくれ」
しゃくりが止まった頃。シーザーが控えめに、ポツリと訊いてきた。
「お前は、あの男が好きなのか?」
・・・あの男とは、午前に一緒にいた男友達を指すんだろう。もちろん、友人としては好きだ。けど、シーザーが訊いているのは恋愛感情のことであると悟り、私は横に首を振った。
「だが、その男といた時は随分とめかしこんでいたそうじゃあないか。俺と会う時はそうでもないくせに」
「シーザーが言ったんじゃない!シーザーが、スカートの似合う立派な女性である限り敬愛・・・シニョリーナ扱いするって!
だから私、シーザーが気を使わなくていい様にわざと男っぽい服着てたのに・・・!」
今度は悔しくて涙が出てきた。このスケコマシ、何もわかってない!!
「シーザーの為にしてたのに、何でそんなこと言われなきゃいけないの・・・っ!」
またぐすぐす鼻を鳴らし出した私の頬をシーザーの大きな手が包み、涙で濡れた目元に口付けた。・・・だからっ、そういうのやめてほしいんだって・・・!
そして、真っ直ぐ私の目を見て言った。
「お前が好きだからに決まってるだろう」
突然の告白に、私は目を見張る。
「俺は結構わかりやすくお前に接していたつもりだ。なのにお前は何もなかった様にスルーしやがって」
「わ、わかるわけないないでしょ・・・!シーザーは元々女の人と接触多いんだから」
これまでの接触過多と思える日々は、やはり私のことが好きだったからなのか。勘違いと言い聞かせ必死に普段どおりに努めていた私は、どうやらもっと自惚れても良かったらしい。
シーザーは私の肩に手を置きそっと身を引いた。私を見据え口を開く。
「シヨリが好きだ。俺と付き合ってくれ」
改めて、シーザーから告白を受けた。女性には回りくどい口説き文句を並べるシーザーにしては直球な言葉からも真剣さが伝わってくる。
が。
「い、嫌だよ」
私の返事を受け、シーザーはピシリと固まった。ここで頷くと思ってもらっちゃ困る。
「私、無理矢理キスしてくるような最低野郎とは付き合えません!
は、はじめてだったのに・・・!」
ファーストキスをあんな形で奪った報いをそれなりに受けてもらわないと困る!しかも、初めてのキスがあんな・・・し、舌を入れてくる様なディープキスだなんてなんて信じたくない。もっとこう、ロマンチックなもののはずだ。あと大前提なのが恋人同士であること!!
それをどう解釈したのか目の前のスケコマシは。
「・・・わかった。やり直す」
と言って私の顎に手をかけてきた。
「えっ、ちょっと!私の話聞いてた?!」
「あぁ聞いてた。初めてのキスをやり直せばいいんだろ?」
「どうしてそうなるの!?」
私は更に抗議の声を上げようと口を開こうとするも、シーザーの親指に遮られた。いつかリップ代わりにつけた蜂蜜をつけていた時と同じように、下唇をなぞられる。
「嫌なら突き飛ばしたって殴ったっていい。シヨリの答えとして受け入れる。それが出来ないならーーー
黙って目を閉じてくれ」
コツ、と額を合わせて言われた。
「バカじゃない・・・」
悪態を吐くのも、私の最後の抵抗だ。
バカだ、大バカだ。
逃げようと思えば、途中からでも逃げる機会はいくらでもあった。それでも、最初から最後まで大人しくシーザーの腕に収まっていた私の答えなんて、もうわかってるくせに。改めて聞くなんて本当、バカなんじゃないの?
そしてそのバカに捕まってしまった私も大バカなんだろう。
突き飛ばすことも殴ることも選択肢になかった私は、言われるまま、黙って目を閉じた。
ハッピー
ホワイトデイ!
結局、大学での課題はほっぽり出し、ホワイトデーのお返しだと手を引かれた先は服屋さんで。試着室に押し込められた私は、しばらく着せ替え人形状態だった。シーザーが厳選したこれはまたフェミニンなワンピースに着替えさせられ、その足ですぐおしゃれなカフェに連行され。予約席と書かれた眺めの良いテラス席に通され、運ばれてきた色とりどりのケーキに夢中になった。
食べながら、ふと思い出した。
「そういえばシーザー、午前一緒にいた友達がね、」
「・・・・・・。あぁ」
「シーザーの妹さんに一目惚れしたみたいで、協力してくれって言われたんだけど・・・」
「・・・ンだと?」
「ちょ、ちょっとシーザー!怖い顔するのやめてよ!!」
*****
オマケ。
シーザー・A・ツェペリの思惑。
シーザーは妹の言葉を思い返していた。
『お兄ちゃんの家に来る途中でね、シヨリさんに会ったよ。声をかけてもらった時、最初誰なのかわからなかったの。この前会った時はボーイッシュな格好だったけど、今日はとても可愛いワンピースを着ていて、全然印象が違うんだもの。隣に男の人がいたから、デートだったんじゃないかしら。ふふ、やっぱり恋人の前では可愛い女の子でいたいって思うのは、みんな一緒なのね』
聞いた直後は頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、かなり動揺した。が、恋人云々は誤解ということがわかり、経緯は少々強引だったがようやく想いも通じて、今はこうして一緒にカフェにいる。
ホワイトデー、眺めの良いテラス席。向かい合って座る男女。彼女の方はとても可愛いワンピースを着ていて(着せたのは自分だが)、妹の言う「彼の前では可愛い女の子」という演出はクリアしているだろう。
よし、これで名実共に、どこをどうとっても恋人同士だ。誰にも文句は言わせんッ!
人知れずシーザーはフッと笑う。この鈍感女を振り向かせるのに、どれほど骨を折ったことか!それだけに今のこの待ち望んだ時間を、存分に堪能したい。
もう少し甘さを加えようと、シーザーは先程から美味しい美味しいと幸せそうにケーキを頬張るシヨリに、自分のケーキを一口分切り分け、フォークに刺してシヨリに向ける。
「ほら、こっちも美味いぜ。食べてみろよ」
「えっ!いっ、いいよいいよ自分で食べるから!!」
何度か粘ったが、照れているのか頑なに拒むシヨリに痺れを切らし、最終的にはその口に無理矢理ケーキをねじ込んだ。
甘い雰囲気になるには、まだまだ先が長そうである。
が。
「ねぇ見て、あそこのカップル!彼氏があーん、させてもらえないからって無理矢理食べさせてる!」
「ヤダー!見た目に寄らずかわいい彼氏ね!」
と、カフェの女性店員にしっかり恋人同士であると認識されていたので、彼の思惑はしっかり叶っているのではないだろうか。
ーーー
20150324