夏祭りに行きませんかと誘ったにはいいものの、人混みに紛れて迷子になってしまった。確か前にもこういう経験があったような気がする。どこか既視感のようなものを感じながら、とりあえず携帯のSNSで連絡を取ってみる。現在いる場所と、落合う場所をどこにするかを伝えて、既読がつくまで屋台を見回ることにした。もちろん、わたし相手にナンパをする男はいないので安心だ。

「お嬢さん」

 屋台のおじさんにお金を渡し、綿菓子をもらったところで、声が掛かった。男の人の声だった。並んでいるのはわたしと子供だけなので、お嬢さんというのは恐らくわたしのことだろう。勘違いなら早く立ち去ることにする。
 振り返ると、神社で向かう途中に出会ったお兄さん――東堂さんがいた。あのときは御堂筋さんから助けられて、それから出会っていない。もちろん彼はわたしが前世の記憶を思い出したことも知らないだろう。
 彼はわたしをしっかりと見据えていた。彼は指で、人の邪魔にならないように脇へ移動しようと促したので、大人しく従う。彼は浮かない顔をしていた。

「久しぶり、と言ってもいいか……あ、いや、その、……前は悪かった。きみは覚えていないかもしれんが……」

 しどろもどろの言葉に、記憶があると伝えていいか迷った。このまま知らんぷりを決め込むのは、すこしだけ心が傷んだ。しかし、それを言ったところでわたしは彼に対して何もできない。わたしには、御堂筋さんがいるから。

「少しの間でいい。俺と、話をしないか。……お願いだ」

 あのときのことを思い出す。荒北さんとはぐれてしまった、あのとき。東堂さんがわたしを引きとめようとした、あの切なげな眼差しが甦ってくる。
 わたしは、首を横に振ることは出来なかった。
 東堂さんと一緒に、近くにあったベンチに腰掛ける。綿菓子を食べる気にはなれなかった。

「すまない。急に、不審者まがいなことを、」
「大丈夫ですよ。それに、全部気にしていませんから」
「……ありがとう」

 東堂さんは弱々しい笑みを浮かべる。

「俺の名前は東堂だ。今は家業を継ぐために勉強中なのだ」
「家業?」
「ああ。ちなみに旅館だ」

 陰陽師かと思いきやそうじゃないらしい。

「すごいですね、旅館って」
「そうでもないぞ。毎日やることがありすぎて、投げ出したくなる。今日も散々だったが……それでも運はいいらしい。きみと出会えたからな」
「そんなことないですよ。次も会えますよ」
「いや、今日限りだ。もう会えない」

 東堂さんは今にでにも泣きそうな顔つきで、わたしを見つめる。理由を尋ねたかったが、踏み込んではいけないと思った。彼がそう決めたのだ。わたしがどうこう言うわけにもいかない。でも、今日で一生のお別れなら、話してもいいはずだ。

「東堂さん。わたしも、今日会えてよかったです」
「ははは、ありがとう」
「なに言ってんだって、きっと、思うかもしれませんが……次は東堂さんと一緒になりたいです」

 彼の目が見開かれた。「名前、」携帯の電子音が重なる。御堂筋さんからの連絡だろうか。東堂さんに断りを入れてから、確認してみると予想通りだった。

「もう時間なのだろう?」
「あ、……でも、」
「気にしないでくれ。少しでいいと言ったのは俺だ。もちろん、名残惜しいが」

 ベンチから立ち上がった東堂さんに、おそるおそる腰を持ち上げる。東堂さんは晴れやかな笑みを浮かべていた。

「名前。きみが幸せなら、十分だ」

 言葉が出ない。

「ありがとう。最後に、きみが俺を覚えていてくれたというだけで……それだけで、満足だ」
「……」
「さ、こっちへおいで。俺と出会った記憶を消してやろう」

 熱くなった瞳から涙が溢れる。せき止められなかった。彼の口からそんな言葉を言わせてしまった自分が、とてもいやで、いやでたまらない。
 東堂さんが困ったように眉を垂れた。腕を伸ばしてわたしの涙を拭う仕草は、ひどくやさしい。

「泣かないでくれ。俺はただ、きみに負い目など、感じてほしくないだけなのだ」
「とうどうさん」
「御堂筋と幸せにな、名前。来世こそは……」

 意識がおぼろげになって声が途切れていく。聞き取れない、わからない。
 ああ、やっぱり言わなければよかった。ごめんなさい、東堂さん、ごめんなさい。





 目が覚めた。睡魔がわたしを再び眠りへ誘っているが、振り切って起き上がると御堂筋さんの姿が。

「えっ、御堂筋さん!?」
「おはようさん」
「お、おはよう、ございます」

 なんで御堂筋さんがここに――って、なんでわたしもベンチに居るんだ。頭がこんがらがる。御堂筋さんからはぐれて迷子になったから連絡して、とりあえず屋台を見回って綿菓子を買って、買って……だめだ、思い出せない。

「名前。帰るで」
「え?」
「きみ、今何時やと思うとるん。もう祭り終わったで」

 そこで、人の気配がないことに気付いた。今思えば静かだ。どうやら、わたしは疲れて祭りが終わる時間までベンチで寝てしまったらしい。よく襲われなかったものだ。

「す、すみません。迷惑を掛けてしまって……」
「ほんまや。随分と探して見つかったと思えばきみ、寝とったんやから」
「本当にすみません……」

 居た堪らなくなって頭を下げる。なにも言わずに、頭をくしゃくしゃと撫でる御堂筋さんに胸が波打つ。なぜか、どうしても離れていって欲しくなくて、手首を掴んだ。強ばらせた手に構わず、半ば強引に頬へ持っていく。伝わるあたたかい温もりに、目頭が火照った。

「すきです、御堂筋さん」
「どうしたん、急に」
「なんか、急に、言いたくなって」
「……おかしな子やねえ」

 呆れたように笑いながら、御堂筋さんはわたしの頬を撫でる。「僕もや」小さく紡がれた返事に、わたしは思わず抱きついた。着流しがぐしゃぐしゃになってしまうとわかっていても、胸に湧き上がった想いを止められなかった。

「今更嫌いや言われても、離さへんよ」

 背中に回ってきた逞しい両腕に、わたしはとうとう嗚咽が溢れた。


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