なんでもないところで躓き、転けてしまうなんてことは、よくあると思う。受身がとれるわけがないわたしは、そのまま地面とお見合いだ。 大きな物音が耳に届いた。膝がじんじんする。ああ、まったく、こういうときに限って短パンを履いているんだ。傷に加えて大きな痣が出来ているだろうか。これ以上足が汚くなるのは勘弁してもらいたい。 手をついて起き上がると、赤い瞳が視界に映りこむ。一部始終を見ていたらしい彼は、慰めの言葉を掛けるわけでもなく、かといって手を差し伸べるわけでもなく、ただ口角を吊り上げているだけだった。
「大丈夫か」
ようやく投げてくれた心配の声は、もちろん笑いを含んでいる。人が無様に転けたところをあざ笑うとは、王様も趣味が悪い。言い返してやりたかったが、彼との関係は親しくないので会釈をするだけで済ませた。 歩いているときでも、妙に痛みが続いていた。目的地に着いて主張している肘を確認すると、服が赤くなっていた。ここも被害を受けていたのか。白い服でなかったことに安心しながら扉を叩く。数秒して、許しがもらえたので部屋に入った。 なにかの作業をしていたらしい彼と視線が合うが、わたしの様子を見て察したらしい綺礼は「そこに座っていろ」と席を立つ。髪でも乱れていたのだろうか。指で梳きながら言うとおりにソファに座った。
「また転んだらしいな」 「うん。もう年だね」 「足元には気をつけろと言ったはずだが」 「気をつけてたよ、十分に」
黒い瞳が疑いを孕む。「ほ、本当だって」言っても、転けた事実には変わらないので意地を張っているように見えるだろう。 小さく息を落とした彼は、床に救急箱を置きわたしの目の前に跪く。ぎょっとした。
「っじ、自分で出来る!」 「大人しくしろ」
叫びも虚しく、綺礼は遠慮なくわたしの足首を掴む。毛を剃っておいてよかったと思ったが、まだ治りかけの痣があるので、出来ればそんなにまじまじと見てほしくない。恥ずかしさも相まって視線を逸らした。 膝にひんやりとした冷たさが伝わり、傷に染み込んでいく。じくじくと痛みが増した。
「痛いか」 「がまんは出来る」 「そうか」
指に力が加わった。「いっづ!」思わず目を足へ向けると、彼は傷口ではなく痣に親指を宛てていた。傷口でないだけマシだが、その痣はつい最近出来たばかりだ。
「あのね、なんでわざわざ押すかな!」 「痣を作っているおまえが悪い」 「見たら押したくなるって?」 「ちがう」
綺礼が紙テープを千切る。膝に当てていたガーゼをきっちり止めて、わたしを見た。
「おまえを傷付けていいのは、私だけだ」
解読出来ず、言葉を失う。
「痛みに耐える表情は見物だが、やはり自分で付けた傷でないと気に食わん」 「……は、はあ」 「だから転けるな、いいか。次は抉るぞ」 「えぐっ……!?」
恐ろしい映像が頭を過る。身震いするわたしを他所に、綺礼は救急箱を仕舞って立ち上がった。「抉るのは冗談ではない。分かったな」真顔で言いのけた綺礼に背筋が凍る。どこか引っかかる違和感を覚えながら、絶対に転けないように誓ったが、翌日、綺礼の目の前ですっ転んだのは言うまでもない。
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