夢の続き 「あー……疲れた」 あっさりと一人先に帰りやがった青峰っちの背中を見送って、じゃあまたそのうちというぐだぐだな挨拶を交わしてそれぞれ帰路についた。家に帰ってソファに座ればどっと疲労が押し寄せる。随分と久しぶりに動いた上、昔のように細やかなケアをしているわけでもないのだから明日は筋肉痛かもしれないなと思いながらも深く息を吐いた。さっさとシャワーを浴びないと、汗でべったべただ。それでもうっかり座ってしまったせいでとてもじゃないけど暫くは動けそうにない。 「お疲れ様でした」 そんな一言とともに差し出されたミネラルウォーターを飲みながら彼女の様子を伺えばそのまま隣へと腰を下ろす。これでやっと、彼女と話が出来る。彼女にとって今日はどんな時間だったのだろう。彼女の瞳には、どんな風に映ったのだろう。 「楽しかった?」 「うん。ありがとう、涼ちゃん」 ちらりと盗み見た彼女の横顔はやっぱりとてもいい笑顔で、オレとしてはなんだかとても複雑な気持ちになる。だって、きっと、一緒に暮らし始めて彼女がこんなにも楽しそうな姿をオレは一度だって見たことがない。もしかしたら、記憶に残っているかどうかという頃まで遡らないとオレの記憶にこんな彼女はいないかもしれない。楽しそうな彼女を見られるのは嬉しい事だし、こうやって少しずつ色んな人と知り合えていくのはとても良いことで、それで彼女が笑顔で生きていけるならオレはもっともっと今日みたいな日を作ってあげるべきだ。だけど、それはなんだかもの凄く寂しいような気がした。大切に可愛がって育ててきた娘を嫁に出す父親っていうのはこんな気分なんスかね。 少し考えるような素振りを見せたあと、みんなにお礼を言っておいて、と言う彼女に黒子っちと携帯いじってなかったっけ?と聞けば 「あ、青峰さんは教えてくれたよ」 「はあ!?」 彼女の口から出た言葉はオレの予想とは全く別方向のもので素っ頓狂な声が出る。ばっと彼女を見れば流石に驚いたのかその表情には少し困惑が混じっているけど、それでも、その名前を聞くとは思っていなかった。そういや別れ際に二人で話をしていたような気がするけど、まさかあの青峰っちが連絡先を聞いていたってことだろうか。 「なんで教えんの!?」 「えっ、だって、涼ちゃんのお友だちだし……とても良い人、じゃない?」 青峰っちの登場に驚くオレに追い打ちをかけるかのように良い人ときた。あの男の奔放さは彼女も見ていたはずなのに、一体どこに良い人だと認識する要素があったのだろうか。考えても仕方のないことではあるが、この日初めてオレは彼女の男を見る目が心配になった。というか不安しかないんスけど大丈夫かな……。ひとまず彼女には簡単について行っちゃだめだとか、あの男の話は半分以下で聞いてくれだとか、ひたすらに言い聞かせ続けてとうとう彼女に呆れ顔で「先にお風呂入ってきていいよ」と、まあ要するにくだらないことばかり言ってないでさっさと汗を流してこいと言われ、すごすごと風呂場へ向かうことでこの話は終了になってしまい、 「……ああいう男が好きなんスかねえ」 オレのぼやきは泡と一緒に排水溝へと吸い込まれていった。 その後いつもと変わらず夜ご飯を食べ、彼女がお風呂に入ってる間に揺れた彼女の携帯。出てきた彼女に伝えればぱっと表情が明るくなるものだから、これは確実にあの男に違いないと確信を得る。 「なんだって?」 「んー……内緒」 「なっ、教えてくれたっていーじゃん!どうせ青峰っちだろ!?」 「だって涼ちゃん青峰さんに冷たいんだもん」 だもん、じゃないんスよ…だもんじゃあ……。可愛く言ったってお兄さんの心は傷つくんスよ?そんなオレの気も知らずに楽しそうな顔をして返事を打つ彼女を思わずソファから仏頂面で眺めていれば携帯を置いた彼女が傍によってきてオレの頬に手を伸ばす。むに、と伸ばされるそれは随分と優しくて痛くもなんともないんだけど……彼女の暖かい指先とか、珍しく立ったままオレを見下ろす瞳とか、うっかり心臓の音が大きくなりそうで 「いてて…ちょ、手!」 ちょっとした抵抗を試みれば彼女の指先には今度こそ力がこもる。痛い、ねえ痛い痛い!!軽く彼女の手首を掴んだところでぱっと離された頬を軽くさすれば隣に座った彼女が今度は俺の瞳を覗き込むようにして笑う。 「ずっとね、謝りたかったの」 「いや、とりあえずオレのほっぺへの謝罪は?」 「ごめん?」 「反省の色なしっスね!?」 ふわりと笑った彼女の頬を仕返しだと包み込めばそうじゃなくて、と制されてしまった。その彼女の表情は、以前彼女の部屋で並んで座って話をしていた時のものにとても似ていて、彼女は何か大切な話をしようとしているのかと少しだけ身構える。彼女の方を向いていた身体は座り直して前を向く。隣に感じる彼女もまた、オレの顔から視線を外した気配がした。 「改まって、なんのごめんなさいスか?」 「んー……ずっと、ずっとね、応援に行けなくて」 「……試合の?」 うん、と小さく頷いた彼女の表情はもちろん見えないけれど、紡がれる言葉や声はとても落ち着いていて彼女の中でひとつ踏ん切りがついたような色だった。オレの話をいつも真剣に聞いてくれて、試合が近づくと応援もしてくれたし、そういえばWCで負けたのが悔しくて彼女の前で泣いたこともあったな。そんな思い出を夢に見たのは比較的最近のことだ。それでも、彼女は一度もオレの試合を見にきたことはなかった。人の集まる場所は避けていたし、学生に会うのも避けているのを知っているから特に何か思ったことはないけれど、彼女にとっては今更改まって謝る程オレの試合が大切なことだったのだろうか。 「何度かね、行こうとしたこともあったんだけど……でも、誰に会うかわかんなかったし、同級生の兄弟が出てたりとかもしたからどうしても行けなくって」 「そんなこと、ずっと気にしてたの?」 「そんなことじゃないよ、本当はずっとバスケしてる涼ちゃんを見たかったし、応援したかった」 初めて聞く彼女の想いに、青峰っちへの悶々とした気持ちもどこかへ飛んでいってしまった。ずっとずっと、そうやって気にするほどにオレのことを応援していてくれてたのだという事実が嬉しくないわけがない。当時、充分すぎるほどにオレが支えられていたというのに、その一方で彼女が必死で葛藤を繰り返していたなんて、今度こそとくんと心臓が大きな音を立てる。 「だから、今日はすごく楽しかったし嬉しかったんだよ。涼ちゃんがあんなにキラキラしてるところ、わたし初めて見た気がする」 そう言った彼女の方を見れば、帰ってきたときと同じ笑顔がオレに向けられていた。そのまま「夢が叶っちゃった、ありがとう」なんて言われてしまえばなんだかたまらなくなって、その彼女の笑顔に当時の色んな記憶が蘇ってうっかり鼻の奥がツンとして、それを隠すように彼女を腕に閉じ込めた。今更驚く事も、勿論抵抗することもない彼女はおかしそうに笑ってオレの背中を軽く叩くから余計に腕に力がこもる。 「ありがとうは、こっちのセリフっスよ」 「えー?」 いつかのように彼女に体重をかけて、ほんの少しだけ震える声に彼女はまた小さく笑う。傍で見守ってきたはずが、実はすっかり彼女に見守られてきたのかもしれない。きっと彼女は何度も何度も悩んで、一人で勝手に落ち込んだりしてきたんだろう。自分を責めたことだってきっとたくさんある。その全部がオレのことに繋がっていて、ボールを追いかけるオレを見てこんなにも幸せそうに笑ってくれる。それを夢だと言ってくれた彼女がたまらなく愛しくて、やっぱりまだまだ嫁には出してやれそうにないなと自覚する。彼女の世界のほとんどをオレが占めているのかもしれないということが、どうしようもなく嬉しく感じてしまうオレは……やっぱり少しおかしいのかもしれないけれど。一緒に住もうと彼女の手を引いたあの夜感じた彼女を失ってしまうんじゃないかという大きな不安は、もうほとんど消えてなくなろうとしていた。 「……でもやっぱ、お兄ちゃんとしては青峰っちと仲良くするのはちょっとオススメできないんスけど」 「涼ちゃん本当にお友だちなの?」 |