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世界は悲しみで出来ている

地面に叩き付けられては転がされていく遺体をただただ見つめる彼の瞳には、一体何が映し出されていたのだろう。彼の瞳から吸い込まれ胸へ流れ込んでいく感情が決して良いものではないことくらい見ていればわかる。誰よりも強い人。誰よりも優しい人。誰よりも仲間を大切にする人。愛馬の上から一瞬見えたその人の眉間の皺が、ほんの少し、いつもより深く刻まれていたのはわたしの見間違いではないだろう。


リヴァイ班が全滅した。はっきりと聞いたのはエルヴィンと共に街へ戻り、彼の手で綴られる報告書を覗いた時だった。本来の目的はわたしも聞かされていたし、成功率を問われればそれは確実とも言えるもの。無論、人類が手にしている情報の中では、の話ではあるけれど。
実際はちっぽけな人類がいくら頭を使っても、巨人はそんなもの簡単に飛び越えて来る。予測不能で、解らないことばかり。対峙して、生きて帰って来られる方が奇跡に近い現実。目の前まで迫った巨人の謎はまた、多くの犠牲と共に遠くへと消えて行ってしまった。

誰もが懸命に息をして、懸命に戦い、懸命に生きている。それでも、その命の灯火はいとも簡単に消し去られてしまう世界。


自分が信頼し、大切にしていた部下が、自分の見ていないところで死んでしまったことが彼へどれほどの傷を残すのか。表に出す人ではない、悲しみも苦しみも、全てを覆い隠してひたすらに前を向き続ける彼が、いつか巨人に捻り潰されるよりも前に壊れてしまいそうでこわい。

どうして、そんなこといくら考えたって仕方ないのはわかってる。それでも考えずにいられないのは、これまで肩を並べて一緒に闘ってきた仲間が、可愛がっていた後輩が、大切な友人が、勝利が確信されていた戦いの最中予測しきれなかったところで死んでしまったことに少なからずわたしもショックを受けているからかもしれない。


これで暫くは外へ出ることもない。というよりは出来ないだろう。もういっそ、いろんなことを放り投げて意識を手放してしまおうか。エルヴィンに別れを告げて自分のベッドに横になって初めて顔を出す睡魔に、ただ身を任せて沈んだところでノックが聞こえた。


「リヴァイ?」

「……ああ」

「おかえりなさい」


小さな音を立てて開いたドアから覗く彼。静かにするりと入り込んできた彼から漂う石けんの匂い。すっかり着替えも済んでいるあたり、流石というべきか。相変わらず潔癖なところはかわらないらしい。
後ろ手に扉を閉めてこちらへ近づく彼に一度スイッチが切れてしまったせいですっかり重たくなった身体を起こしたところで額に触れた彼の手は、そのままわたしの頭を枕へと戻してしまう。重たい瞼でまばたきをひとつしたときに彼が小さく息を吐いた。


「…怪我は」

「わたしはしてないよ。エルヴィンがいたし、今回は戦闘要員じゃなかったから」

「そうか」


わたしのベッドに腰掛けた彼に今度こそ重たい身体を起こして背中に体重をかける。じわじわと彼の背中からてのひらへ伝わる体温と、耳から入り込んで来る彼の鼓動にいろんな想いを込めて……今度はわたしが息を吐き出す。

生きている。とくん、とくん、とわたしの耳に届く心音と、呼吸する度に僅かに動く背中に酷く安堵した。安堵したからこそ、この漠然とした不安が無意味な言葉になっては零れ落ちてゆく。


「…ね、リヴァイ」

「何だ」

「良かったのかな、って思うの。こうやって、みんなが死んでいく度に」


だって、ペトラには優しくて娘想いのお父さんがいる。オルオには帰りを待つ家族がいる。そうやって、みんな帰る場所があって、彼らの帰りを待っている人がいて、彼らの身を案ずる人がいて、たくさんの心配と共に帰って来る日を楽しみに待っている人がいるというのに。


「わたしには、もう家族なんていないのに…帰ってきちゃったなあって」


わたしが、生きて帰ってきて良かったんだろうか。死にたくないという想いよりも、目の前の巨人に勝たねばならないという想いの方がずっと強くて、だから自分の命のことになると途端にわからなくなってしまう。彼が前を走ってくれるから、わたしはついていけるのだ。いつか、考えたくはないけれどそれでもいつか、彼の背中が見えなくなってしまうかもしれない。怖いのだ、たまらなく。
一人で残されるくらいなら、いっそ。そんな風に思うなんてきっと許されることではないし、彼の纏う空気もほんの少し苛つきを含むものへとかわりゆく。

怒らせるかもしれない。わかっていても、溢れる言葉は止められなかった。待っている人の想いを考えれば考えるだけ、その人たちの笑顔を思い出せば思い出すだけ、得体の知れない罪悪感に飲み込まれそうになる。
わたしじゃなくてごめんなさい。言ってはいけない言葉なのはわかっていても、本心はここにある。こんな夜くらい、自分の立場を忘れてはいけないのだろうか。自分の背中に乗っているものを、忘れてはいけないのだろうか。


彼の身を案じていたというのに、結局わたしは、いつまでたっても弱虫のまま。


「殴られるか縛られるか、お前に選ばせてやる」

「……なんて二択」


一瞬の沈黙を挟んで振り向いた彼はそのままわたしの額に唇を押し付けて、わたしは布団へ逆戻り。見上げた先に見えた彼の表情は、やっぱり怒っているようだ。


「ごめん、これじゃ誰も、報われないね」

「そうじゃねえ」

「うん?」

「いるだろうが、お前にも」


あたたかな指先に撫でられた目尻に、ほんの少しだけ涙腺が緩んだ気がする。揺れることのない彼の瞳が、ひたすらにまっすぐ私を見つめて、少し寄った眉間の皺と、不服そうに歪んだ口元。何が?わたしがそう言いかけて彼が再び口を開く。


「俺はお前が阿呆面さげて帰ってくるのをいつだって待ってる。俺の知らないところで死ぬことを許すわけないだろう」


詰まった息に、今度こそ緩みきってしまった涙腺はただただ彼の指が触れる目尻から小さな雫を零すだけ。うん、なんて返事しか出来ないわたしに一瞬ふわりと笑ったように見えた彼がそのままわたしを隠してしまう。耳元に触れた、指よりは少し冷たい彼の唇と、さらりと撫でる柔らかい髪。時たまくすぐる彼の吐息に、拭いきれない不安が尚更切なくさせるのだ。
彼が待っていてくれる。必要としてくれる。その事実を再確認して安堵しては……やはり彼が居なくてはだめだとこの先の世界に不安が募る。居なくならないで、わたしを置いて死なないで、そんな想いはどうしたって生まれるもので。

そんなわたしの不安も想いも、きっと、察しの良い彼は気付いている。汲み取っては、どうやって包み込もうかと思考を巡らせてくれる。その想いが嬉しくて、切なくてたまらない。
縋るように彼のシャツを掴んだわたしを抱く彼の手が、やっぱり酷く優しくて、そのままシーツへ溶けてゆく。


彼の腕で眠る間際、落とされたのは掠れた声。


「こんな世界じゃなければ、お前は疾うに──」


嗚呼、本当に……どうしようもなく悲しい世界。



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