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揺れて溢れる悲しみたちよ


「…どうしてお前が泣くんだ」


死ぬつもりは無い。そんな一言を、死ぬ覚悟を決めたみたいな顔して残して出て行った彼が帰ってきた。もちろん、生きたまま。
征陸さんが亡くなったことは彼が帰る前に志恩ちゃんから聞いていたし、狡噛さんのこともある程度予想はしていた。それは恐らく、彼も同じだと思う。長年連れ添った相棒の考えることなんてきっと、本当は彼にはお見通しに違いない。一連の事件で誰よりも傷ついていたはずの彼の前で、彼より先に泣くなんて。そう思ってしっかり締めていたはずの涙腺は、彼のなくなった左手を見た瞬間にほろほろと壊れてしまった。

無事でよかった、生きててよかった、そんなことが言えるだろうか。帰って来てくれてよかった、それは心から思っていること。けれど、結局彼は唯一の肉親も、相棒だった部下も、今度こそ本当に、失ってしまったというのに。


そんな彼に、わたしが報告しなければいけないのは、きっと彼を更に悲しませることで。彼の抱えてきた想いを知っているからこそどうしていいかわからずに、どう伝えていいかもわからずに、そのぐるぐると胸の内をまわる深く暗い想いは涙へかわる。


困ったように眉を下げた彼が小さく笑って、心配するなと言う。頬に触れた右手は酷く温かくて、視界にあった彼のその微笑みさえ滲んでは溢れてしまう。ごめんなさい、その一言が精一杯だった。少しでも、彼の想いが報われたらいいのに。少しでも、少しでも……彼が、幸せになれたらいいのに。わたしは、彼の大切な部下一人探してあげることも出来なかった。見つけられなかったのだ。手がかりひとつ。遺品、ひとつ。


「…縢の件か」

「捜査、打ち切りになっちゃった」

「そうか」


短く返事をした彼の右手が少し離れて、わたしの目尻を撫でる。相変わらず零れ落ちていく涙に彼はやっぱり困ったように笑ったまま、探す必要が無くなったということだろうと酷く悲しそうに呟いて、目を伏せる。彼はきっと、もう、自分の部下がどうなったのか悟り、理解しているのだろう。信じたくはないけれど、きっと……縢くんは死んでしまったのだ。捜査を進めれば進めるだけ浮き彫りになる事実。だからせめて彼の身につけていたものだけでも、そう思ったのにそんな思いさえ神様に拾われることはなかった。


「ごめんなさい。探して、あげられなかった……何も出来なかった。何も、言えなかった」

「名前、大方予想はついていたことだ。何もお前が気に病むことじゃない」

「でも、せめて」


せめて、彼の最期だけでも……見つけてあげたかった。


「どうせ余計なことまで考えているんだろう。俺はお前が迎えてくれるだけで充分だ」

「…ぎの、っ」


右腕で抱き寄せられて触れた身体はやっぱり温かくて、耳にするりと入り込んでくるとくんとくんという彼の鼓動はとても穏やかに一定のリズムを刻んでいる。息をして、笑って、生きている。ふわりと鼻を掠める彼特有の少しだけ甘い匂いにも、こめかみに触れてくすぐったい彼のやわらかな髪も、後頭部を柔く撫でるおおきなてのひらも、全部全部、どうしようもないくらいに愛しくて、大切で、胸の奥がきゅっとする。

言葉にできないあたたかすぎる想いと、腰にまわされることのない左手に締め付けられる心臓を、まるで誤摩化すように彼の背中に腕をまわした。
耳元で吐き出された彼の吐息はどこか切なさを含んではいたけれど、呼ばれた名前は酷く優しくて、抱き返す腕に力をこめる。


「っ…ね、ぎの」

「ん?」

「おかえり、なさい」

「ああ……ただいま」


どうか、どうか、貴方が前を向いて歩いていけますように。どうか、どうか、そんな貴方の隣を歩いていけますように。



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