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子守唄は永遠に

わたしの見ている世界の中で、いつも笑ってわたしの頭を撫でてくれていた人が死んだ。どんなに泣き叫んでも、どんなに手を伸ばしても、その人がもう一度わたしに笑ってくれることもなければその手で撫でてくれることもなく、遥か頭上で千切れたその人の右足が地面に叩き付けられる景色を、わたしは、違う大人の肩越しに見ていたような気がする。

次に死んだのは、幼い頃からよく一緒に遊んでいた少し年上の幼馴染みだった。それは彼が18の誕生日を迎えようとしていた日、船の中へ押し込まれてる最中に名前を呼ばれた気がして振り返った。その先で彼の頭が転がって、その口がわたしの名前を呼ぶ事は二度となかった。何故だかわからないけれど涙が出た。

その次はいつもお酒ばかり呑みながらもよく遊んでくれたおじさんだった。人間の十数倍もある大きな化け物の影に身動き一つとれなかったわたしを抱えて走ってくれたそのおじさんは、生きろよと叫んでわたしを知らない人へ向けて投げ飛ばし、最後に笑って見えなくなった。


そこまでははっきりと覚えているのに、その後の事はとても曖昧でぼんやりとしか残っていない。ただ、ひたすらに、その大きな手が、足が、口が、懸命に生きてきたわたしの仲間をひたすら薙ぎ払い、握りつぶし、噛み砕いては飲み込んでいく様だけが断片的に、でも鮮やかに刻まれている。もう、名前も思い出せないような人だっているのに、死んでいく瞬間の表情だけが延々と頭の中をまわるのだ。


助けられなかったわたしを、守れなかったわたしを、捨ててしまいたかった。忘れたかったわけではない。ただ、あんな過去を繰り返してゆくだけの未来なら無くなってしまったほうが良いと思った。だから、強くなりたいと思った、心の底から。助けられるように、守れるように、もう二度とあんな想いをしないように、仲間のあんな顔を見なくて済むように。

そんな時だった、今日こそわたしの番か、と思った時に目の前を一瞬で通り過ぎたもの。羽でも生えているんじゃないかと思える程自由に空を舞うその人が、見とれるくらい鮮やかに美しく目の前の巨体を切り裂くものだから、うっかり心を奪われたのがわたしと彼とのはじまりで。


「リヴァイさん…?」


何をしている、と酷く冷たい色を映し出していた瞳がいつからかあたたかなものを混ぜるようになり、隣にいるのも当たり前になりつつある今日この頃。きっと振り返った先に彼がいて、手を伸ばせば面倒くさそうな顔で視線を絡ませてくれる。そう、思ったのに。


縛り付けられたように動かない身体に、思わずまばたきをひとつ。どうして、考えている間に横を通り過ぎて前へ出たその背中には見覚えがある。わたしを映すことなくその瞳は目の前の化け物を突き刺して、いつものように綺麗に舞うはずのその身体がどうしてか一瞬にして握りつぶされてしまったところでわたしの喉はひゅう、と取り込むはずの酸素を阻んだ。


嗚呼またわたしは……なんて、思えるわけがなかった。今までだって確かに大切な家族だった。大切な友人だった。大切なおじさんだったし、大切な仲間だった。けれど、違う。この人は、この人だけは、本当に、比べ物にならない程に、大切なんて言葉じゃ足りないくらいわたしにとっては大きな存在で、死ぬわけないとさえ思っていた。逃げていただけかもしれないけれど、目を背けていただけかもしれないけれど、わたしを置いてわたしの目の前で死んでいくなんて想像すらしなかった。

失いたくなくて強くなったのに。助けることも守ることも出来ずにわたしは、遂に最愛の人までも失ってしまうの?どうして、どうして、


「……い、おい!」


突然響いた声にハッとして、勢いで起き上がればその身体はいつものように動く。縛られてるわけでもなければ、重みを感じることもない。ただ、乱れた呼吸はペースを戻すことはなく、胸の内には言葉にし難い不快感。気持ち悪い、くらくらする。胃のものが全部迫り上がってきそうだし、脳が揺れて壊れてしまいそうだ。


「…リヴァ、イさ……生き、てる…?」

「勝手に人を殺すな、縁起悪ぃ」


心底面倒くさそうな顔をしながらも、当たり前のように撫でられる背中に吐き気と頭痛は少しずつ遠ざかっていく。同時に、ぐるぐると頭の中を駆け巡っていた顔たちも、どこかぼんやりと消えていったことで少し肩から力が抜けた。


「……ひでえ面だな」


良かった、呆れたように笑ってる、彼は生きてる。大丈夫、だいじょうぶ。だって、あれは夢で、酷い夢で…ゆめ?違う、違う違う、夢じゃない。彼は生きていたけれど、違う、彼以外の死は夢じゃない。わたしはもうずっと前から家族を、友人を、知人を、仲間を、奴らに殺されている。失っていないものの方が少ない。ひとりぼっちだった、彼しかいないから、だから、


「おい、ちゃんと息吐け」

「リヴァ、やだ……っ置いて、」


置いて、いかないで。彼の死に際だけがぐるぐると巡る。目の前にいる彼ですら、今まばたきをした瞬間に消えてしまったらどうしようかと思うのだ。先ほど握りつぶされた景色が蘇る。わたしの想像が混ぜられているからか、歪んだ彼の表情が見えたところで今度こそ世界が真っ暗になる。


「名前、」


瞼に触れる大きくて温かいてのひらと、耳元に低く落ち着いた声で落とされる名前にそこにあるはずの彼の顔を見上げたところでわたしの唇にぶつけられた彼のそれ。


「んっ、う…りばっ…え、あれ、」

「落ち着け。人が寝てる隣でうんうん言いやがって。挙げ句死人扱いか、良い度胸してるじゃねぇか」

「ちがっ、だって、」


深く刻まれた眉間の皺とは裏腹に酷く優しく頬に触れた手と、そのまま瞼に落とされた唇に、わたしの不安も、恐怖も、何もかも溶かされてしまった。夢じゃない、けれど、今更どうこうできることでもない。そうだった。わたしが悲観してしまえばそこで、彼らの死は無駄なものになってしまう、少なくともわたしの世界の中では。もう随分と前に割り切ったはずなのに、どうしても、少しの不安が垣間見えた瞬間にこうして襲ってくる昔の記憶はきっと一生払拭されることはないのだけれど。


「…リヴァイさんまで、死んじゃう夢、だったから」

「バカがしょうもねえ事考えるな」


抱き寄せてくれるこのわたしより少し高い体温が酷く安心感をもたらして、そのまま耳元に今度はとても優しい声で寝ろ、なんて落ちてきたらわたしの瞼は再び世界とさよならをしてしまう。背中を撫でてくれる手が止まることはなく、彼の胸に体重を預ければ少し彼の腕に力が篭った気がした。


彼の呼吸を子守唄に、わたしは今度こそ安心して深い眠りへ落ちてゆく。次の朝、嫌味まじりのお説教が待ってることなどつゆ知らず。



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