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保護者はじめました。


「涼ちゃん、お待たせしました」


あの後すっかり夜までぐっすりだった彼女は目を覚ますなりこんなはずじゃなかったんだよ!と元気に慌てふためいて、その姿にこれなら大丈夫かと安心したものだ。思わず笑ってやれば少し照れたように顔を伏せる彼女を撫でて、ご飯食べよう。その一言でまた、彼女は嬉しそうに笑う。

洗い物ぐらいやると聞かない彼女をいいから先どーぞ、と風呂場に押し込んだのは小一時間前の話。別段珍しくもない寝間着姿だけれど、不覚にもドキッとしたのはきっと彼女の髪がまだ濡れていたからだ。きっと、きっと。


「ちゃんと乾かさないと風邪ひくっスよー」


でも、口を開いた彼女の言いたい事はなんとなく分かっている。彼女が髪を乾かしている間オレが風呂に入るのを待ってることに、オレが風呂に入っている間に洗面所を使うことに、きっと少し遠慮とか、戸惑いとか、そりゃあまあ当たり前なんだけど。ずっと兄妹みたいに一緒だったのに、今更そういうところで距離を置かれるのは少し寂しかったりもする。お兄さん泣いちゃうっスよ?


「そんないちいち気遣ってたら疲れないっスか?名前の家でもあるんだからね」

「でも、」

「でもでも言わない。仕方ないからお兄さんが髪乾かしてあげるっス。良い子にしてるんスよ」


えっ、とか、あのっ、とか色々聞こえたけれど柔らかい髪に指を絡めればなんだかんだで大人しく身を任せてくれる。ここまではきっと大丈夫。こうやって彼女との距離感を少しずつ測りながら、見誤る事の無いように、彼女の過ごしやすい場所を作れたらいいと思うのはやっぱり兄心というやつなのだろうか。ドライヤーをあてながらわしゃわしゃと撫でる髪。気持ちよさげに瞳を細めるその姿がやはり壊れてしまうことが何よりも怖いと思う。


「気持ちいいっスかー?」

「んー」

「痒いとこないっスかー?」

「ないでーす」


オレの冗談にだって、悪ふざけにだって、ちゃんと乗っかって笑ってくれる。お風呂に入ったこともあって、彼女の肩からはすっかり力が抜けていて一安心。誰よりもこの生活を楽しみにしていたのはオレで、でも緊張と不安があったのも事実で、だから彼女が家にいる時と変わらぬ姿で居てくれることが大きな安堵に繋がってゆく。見切り発車も良いところだった、この生活で落ち着いてくれたら良いんスけど。


「熱くないっスかー?」

「ないでーす」

「えーっと…あれ、あと何聞くっけ?」


緊張なんて、全て溶かしてしまえばいい。彼女の心に積もってきたそれを、オレがいつか一緒にひとつずつ壊していけたらいい。そうやって少しずつ彼女を守って、一緒に歩いて行けばきっと彼女はもっと今を楽しめる気がする。のは、もしかしたら少し過剰な自信かもしれない。8割くらいは夢物語かもしれない。


「こんなもんかな」

「うん。涼ちゃんありがと。自分でやるよりさらさらな気がする」

「それどんなスキルっスか。褒めても何も出ないっス」

「そうかなあ。でも、涼ちゃん昔からなんでも出来る、から」

「良いのは運動神経だけだよ。オレも風呂入ってくるね、好きなようにゆっくり寛いでて。テレビのリモコン、テーブルにあるっス」


それでも、どこまでも素直に頷いて笑ってくれる彼女が、この世界の片隅でひっそりと丸くなっているだけなんて勿体ない。今はそれがオレの都合の良い独りよがりで、これは彼女への押しつけになってしまうから口には出さないし強く想う事もないけど、だけど、いずれ、彼女が心から大丈夫だって前を向いて歩ける日が来たらやっぱりそれは素敵なことだろうとも思うのだ。

外に出ることが正解じゃない。

高校を卒業することが正解じゃない。

就職することが正解じゃない。

ただ、彼女が自分の今に納得して、胸を張って生きていくこと。負い目も、引け目も感じることなく生きていくこと。この世界に生まれて良かったと彼女自身が思えること。彼女が今の道が正解だと思えたらそれがきっと正解で、ゴールで、スタートになる。


それまで、この小さな背中を支えてやりたいと思うのは、やっぱりこれも、オレの独りよがりかな。


「あれ、また寝てる」


テレビ画面が何かを映し出すことはなく、オレのクッションを抱えて二度目のお休みを迎えてしまった彼女の寝顔はまだまだ幼くて、どんなにオレの自己満でも、独りよがりでも、それでも、この小さくて大事な幼馴染みを守るのはオレだけがいいと願ってしまった。なんて、らしくないっスかね。


目尻を撫でた指先に一瞬睫毛が触れて、ゆるゆると開かれた瞳を覗き込めばそれはふにゃりと細められる。


「……涼ちゃん、ありがと」


それだけ残してまたすやすやと彼女は夢の中。眠ってしまった彼女からは見えないはずの顔を、ついつい片手で覆ってしまったのは仕方がないだろう、オレだけの秘密っス。



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