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18.コートにすっぽり


最近忙しくて会えないから、たまには夜ご飯でも一緒にしようか。そんなことを言ったのはオレの方だった。
あれだけ子供の頃から必死に打ち込んだバスケにはもう随分と長い事触れていない。世間一般で言えばオレは恐らくそこそこ良い会社に就職して、給料もこの不景気の中もらっている方だと思う。

ただ、それだけ忙しい仕事だということで、彼女とゆっくり出来たのはいつが最後だろうかとふと考え込んでしまう程に日々時間に追われている。


次の日が休みならば、ゆっくり出来るだろう。そんな事を考え彼女を夕食に誘った。そこまではよかった。


神様というものはつくづく意地の悪いヤツだと思う。こういう日に限って、オレはうっかり取引先に掴まり、英語の出来ない先輩に縋られ、ずるずると引き延ばされ気づけば3時間。
彼女と待ち合わせをしたのが18時。ふと視界に入った時計の短針はもうすぐ9に差し掛かろうとしている。


少しばかり暖かくなったにしろまだ夜はコートが手放せない時期だ。待ち合わせの場所まで走れば比較的簡単にあがる息に少しばかり悪態がつきたくなる。
連絡が出来たのが20時をまわってからだというのに彼女からの返信は大丈夫だよ、待ってるから気をつけて、そんな優しい言葉でつい苦笑いが漏れる。


街灯がぼんやり照らす、仕事帰りの人間がちらほら見える大通り。駆け抜けて視界の隅に見つけた彼女に、少しだけスピードがあがる。…彼女に会いたくてたまらないのはオレの方か。


「名前!」


「あ、お疲れ様ー」


視線が絡んだ途端ふわりと嬉しそうに笑うから、オレの心拍数は落ち着くまでもなくまた少し駆け足になって


「ごめん、どこか中入ってて良かったのに。寒いだろ、ずっとここで待ってたのか?」


乱れる呼吸と、少しばかり煩い心臓を必死で誤摩化して大人の顔。


「だって、まだかなあって待ってる時間も久しぶりで嬉しくて…高校生の頃、よく部活終わるの待ってたなあって」


えへへ、とはにかむ彼女はやっぱり可愛くて、疲れなんてどこかへ行ってしまう。夕食を外で食べるには遅くなりすぎたように思えて彼女にどうするか訊ねれば少し考えてぱっとあげた彼女の顔は何か、期待しているような、わくわくしているような、そしてほんの少し探るような顔。


「辰也、ご飯作ってくれるの?」


「もちろん。待たせたのはオレだし…好きな物作るよ」


「…じゃあ、私オムライスがいいなあ」


「喜んで。遅くなってごめんね、帰ろうか」


引いた手はオレが思っていたよりも冷えていて、ふと見た顔は穏やかではあるけれど鼻先は真っ赤になっている。

ついでに頬も少し赤く染めて、辰也の作るオムライスがいちばんおいしい、なんてはにかんでくれるコイツは一体何を考えているのか。

何年経っても彼女には伝わらないし理解されない。
彼女のそんな一挙一動にオレが酷く振り回されていることを。煽られて、もういっそ襲ってしまいたいとさえ思うその衝動を必死に理性で押さえ込んでいることを。


必死に我慢をしているのだ。オレの心に渦巻くもののほとんどを彼女には見せていない。隠し事をしているわけではない、セーブしている。物は言い様とはよく言ったものだ。
余裕のある、大人の顔をぶら下げて、それでもそんな可愛いことをされたらオレだって限界。これでも男。たまにはいいだろう、少しぐらい。


久しぶりに会ったんだからこれぐらい許せ。そう心の中でだけ彼女に呟きながら名前を呼ぶ。


「名前、ちょっと」


「なーに?」


静寂に包まれる夜の大通り。淡い街灯の光に、ビルから漏れる小さな光。信号機と車のライト。人通りの少ない街角で、ほんの少し、独り占めしてやろう。


寒かっただろう、なんて言いながら本当はオレがくっつきたいだけだなんて彼女には内緒である。


オレよりもずっと下にあるその小さな身体を抱き寄せて、慌てふためく彼女をそのままコートで包んでしまえば、きっと彼女の視界はオレだけになる。なんて、馬鹿げているだろうか。子供染みてる?

どうせ誰も見てないよ、そう言えば少し大人しくなった彼女の身体はやっぱり冷たくて胸が痛むけれど、そのままコートの中で背中をさすってやればとろけそうな顔ですり寄ってくるから堪らない。


「…なんかバカップルっぽい」


「たまには悪くないだろう?」


「寒いからしょーがない」


「寒くなかったら抱きしめさせてくれないのかい」


ツれないことを言う彼女に、少しだけ意地悪をする。腕を緩めて覗き込めば少しばかり不服そうな顔をして


「…待っててあげたのに意地悪だ」


ほら、拗ねたような言い方をする君は相変わらずオレの腕の中にいる。


「素直じゃないな」


もう一度彼女をしっかり抱きしめて、コートの中に閉じ込めれば膨れっ面はすぐにまたふにゃりと緩んでオレの笑顔を誘うのだ。
つられて笑うオレを少しだけ不思議な顔をして見上げた彼女は、そのままオレの胸に額を押し付けてくるものだから、珍しく甘えられてるんだろうかとまたひとつ嬉しくなる。


比較的簡単に包めてしまうこの小さな身体を、守ってやりたい。そんなオレの気も知らずに彼女は


「…あったまったから帰るー」


のほほんと言い放ってするりとコートから出て行ってしまうけど、そんな彼女が愛しくて仕方が無いオレはきっと完敗。


「はいはい」


今度こそ彼女の手を引いて、オムライスを作りに帰路に着く。ふわっふわのを作って喜ばせてあげようか。






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