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5.子ども扱い



「あ、」

「…おう」


お荷物お引きください!なんてホームに響く駅員さんの叫び声。げんなりしながら鞄を抱いて乗り込んだ電車で会ったのは幼馴染みの彼だった。わたしより数年先に生まれた彼は、わたしより数十センチ背が高く、彼が首を折ってわたしが見上げてやっと絡む視線はいつまでたっても改善される気配がない。数年前に彼の成長期が終わり、わたしは成長期を逃し、結局そこでぴたりと距離は縮まることをやめてしまった。

スーツに身を包んだお疲れなおじさまたちの合間を縫って、一歩の半分彼が動いて作ってくれたスペースへと潜り込む。こういうことが出来るのは、身長に恵まれなかった人間の特権だろうとは思うけれど、掴まれるところが無いのはなかなか辛いものである。よく毎日乗ってられんな、とスーツと制服で埋まる車内の中では明るく見える私服の彼に数年前まで乗ってたじゃないかと言えばあの頃の自分を尊敬するとかなんとかぼやいている。…正直おじさん通り越しておじいちゃんみたい。


そんなおじいちゃんみたいな彼だって、首を折ることでずれる眼鏡を筋張った指がくい、とあげればそれだけでわたしはなんだか妙にきゅんとしてそわそわしてしまうのだけれど、残念ながら目の前のこの男は良い歳してこういうことにはちっとも気付かない超鈍感。女心なんてきっと1ミリたりともわかっていないのだろうし、恐らくわかっていないとかわかっているとかわかりたいとかそんなこと考えた事もないんじゃないだろうか。


ぼそぼそと耳元に落ちて来る普段より幾分か低い彼の声。たわいない話をしながら最寄り駅の名前が車内に響くのを待つ。大学帰りの彼は今日は講義が少なかったらしく手荷物はすっかり天井にひっついてる棚へちょこんとのせられ、両手をつり革に重ねて気怠そうに教授がめんどくせえ課題がめんどくせえと小さく笑う。そんな彼が「お前はどうなの、最近。もうすぐ試験だろ」なんて、今最も聞きたくない単語を落としてきた時だった。

がたん、揺れる電車に揺られる人間。彼に釣られてうっかり車両の中へ入り込んでしまったわたしは相変わらず掴まれる場所を見つけられず、揺れと一緒に押し寄せた人の波に身体が傾く。どんなに鞄を抱いている腕に力を込めてもそんなの役に立つ訳もなくって


「わっ」

「っぶね」


見事にバランスを崩して重力に吸い込まれるわたしの小さな声に重なった少しだけ焦った彼の声。同時に肩にまわされた、バスケから離れて随分経つのに依然引き締まった腕と、肩を包んでしまうおおきな手にびっくり。ぱっと見上げれば小さく息を吐いた彼の口元がじわりじわりと歪んで半円を描いていく。これは、完全に……


「ちゃんと立ってろよ女子高生」

「う、」

「お前の目の前、つり革あいてんだろ」

「とっ、届かないってわかってて言ってるでしょ!」

「ははっ、お前まだ背伸びねえの?」


ああほら、わたしで遊びやがって…!ニヤニヤしながら肩にあった手がわたしの頭へ移動して、ぽんぽんと触れる。見下ろして楽しそうな表情を浮かべている彼がわたしにはただの悪魔にしか見えない。あんまりだ。自分が無駄に身長高いからって、むしろ彼に奪われたんじゃないだろうか。ああいや、兄妹でもないのにそれはあまりにも理不尽な物言いだというのはわかっているけれど、それでも、無駄に……バスケでは役立ったとしても日常生活ではとても無駄に、それはもう無駄に(大事な事なので三回)でかい彼にこうしてバカにされることが日常茶飯事となればちょっとくらい恨みたくなるものである。わたしの成長期の分まで先取りしてしまったんじゃないか、この男。


茶化されからかわれ遊ばれながらも結局最寄り駅につくまでに何回も彼の腕に助けられてしまった自分がなんだかとっても情けない。


「あーやっと解放されたな。にしても、お前よく毎日生きて帰ってきてんな」

「いつもはちゃんと掴まれるところにしか立たないもん」


むっとして彼の前を歩けば後ろからはいはいと適当な返事と共にまた頭に彼の手が触れる。軽くかき回されて、「手、繋いでやろーか?」なんてあの意地の悪い笑顔のまま問われればわたしの選択肢はひとつ。差し出されたその手をぺちりとたたき落とすことだけだ。


「いてっ」

「一人で帰れる!」


ふん、小さく息を吐き出してまったくとぶつぶつ言いながら再び彼の前を歩けば、今度はなんだかよくわからない気の抜けた唸り声が聞こえて気付けば隣に並ぶ彼。今度はなに、そんな意味を込めてじとっと見上げるとどこか困ったように首の後ろを掻きながら握られる手。


「危なっかしいっつってんだよ。人の好意を簡単にたたき落としやがって糞ガキ」

「…うるさいおっさん」

「誰がおっさんじゃコラ」


包まれた手にちょっとだけきゅんとしながらも、聞き捨てならない単語をしつこくも織り交ぜてくる彼に悪態をつけば案の定こっちを向いて怒られた。非常に理不尽である気がしてならない。何故わたしが怒られてるのか。
お互いに首を動かさなければ絡む事の無い視線も、一生縮まる事の無い歳の差も、なんだかちょっぴり憎たらしい。わたしは彼のことがだいすきなのに、いっつも彼にころころと転がされてちっともまともに相手なんてしてくれやしない。せめてあと5センチわたしの背が伸びたら、せめてあと3年早く生まれていたら、この関係はもっともっと、違うものになったかもしれないというのに。彼にとってわたしは永遠に子どものままなのだ。


「……早く大人の女になって順平なんて鼻で笑ってやる」


その時になって名前、名前、って言ったって知らないんだからね。

そんなことを呟いてわたしの手を包む彼の手をめいっぱいの力で握り返せばぴくりと動いた彼の腕と、今度は心底呆れたような声。ああ、もう。それがたまらなくわたしは悔しいのに。


「お前全然わかってねえな」

「何が、」


わたしの眉間に刻まれた皺がさらに深くなりかけた時、握り返した手が彼の方へ引かれて、さっきみたいに、でもさっきよりもしっかりと、わたしの身体は彼へと傾く。ぽふん、と何とも間抜けな音をたてて彼のパーカーへと着地したわたしの鼻はめきょっと少し曲がったような気がする。くそう。ただでさえ童顔で困っているというのに、これ以上顔面が酷いことになったらどうしてくれるんだ。大体……だいたい、だいた…い?あれ?すっと彼の表情からからかいの色が消えて、そしてほんの少しばつの悪そうな表情へと変化した。それにわたしが気付くと同時に開かれた彼の口。


「大人になるのなんてあっという間なんだよ、それまで大人ぶらせろ!っつーか察しろダアホ!」


がしっと彼の大きなてのひらに髪をかき回される度に揺れる視界。ぐらぐらと揺れる中でなんだそれ!と突っ込みをいれつつもその後しっかりと繋ぎ直された手と、二十歳までにあと3センチ伸びたらチビ扱いはやめてやるという一言と、悔しいけれど格好良い笑顔にうっかり絆されてあげることにする。ほらね、わたしの方がずっとずっと大人なんだってば!




「じゃあ5センチ伸びたらキスしてくれる?」

「100万年早ぇーわ!」


大人ぶりたい(らしい)彼と、仕方がないから子どもでいてあげるわたしの話。



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