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2.胸元に寄りかかる

職員室の灯りもそろそろ消える頃。廊下に薄く光を漏らすバスケ部の部室を軽く叩く音に、少し呼吸を挟んで小さな返事。お邪魔します、と呟いて扉を開けば机で日誌とにらめっこしている彼。眉間の皺が少し多めだから、今日の練習はあまりスムーズなものではなかったのかもしれない。
黄瀬くんかな、それとも早川くん?賑やかで個性豊かな後輩くんたちに振り回されることも珍しくはないのだろう。なんだかんだで全てまるっと包み込んでまとめてしまう彼はつくづく主将になるために生まれてきたような人だなあと思う。


「わり、もうちょい待って」

「うん」


シャワーも着替えも済ませた彼は見かけに寄らず、というと少し怒られてしまいそうだけれど……男の子にしては綺麗な字で日誌を埋めていく。少し癖があるけれど達筆と言えば達筆の部類に入るんじゃないだろうか。
なんとなく真面目な彼の性格がにじみ出ているような気がして、わたしは彼の書く字がとても好きで、こうして書き連ねていく彼の字を眺めているのもなんだかしあわせになってしまうのだ。

それに気付いているのかいないのか、さらさらと用紙を埋めた彼はぱたんと軽やかに日誌を閉じてひとつ溜息。脇に置かれていた鞄の中へと投げ込まれたペンケースに彼の顔を覗けばとても優しく頬を緩めた。そうやって、わたしにだけ、気の抜けたようななんとも言えない表情を見せてくれるからたまらなくて、つられて自分の頬も緩んでしまう。


「お待たせさん。帰っか」

「ん、おつかれさまでした」

「おー」


エナメルバッグを肩に下げた彼が立つのを見て、扉へ向かう。一緒にいられるのはここから駅までの少しだけ。彼は家まで送ると言ってくれるけれど、流石にそんな遠回りはさせられないし申し訳なさが勝ってしまって毎日一生懸命断るのだ。嬉しいけれど、寂しいけれど、彼の負担になってしまうのだけはどうしても嫌で。これはきっと、わたしのわがまま。


「あー、ちょっと待て」


ドアノブに手が触れたとき、小さく落とされた低い声に彼がまだ日誌を書いていたベンチから動いていないことにやっと気付く。振り返って首を傾げれば彼の大きな手がちょいちょい、と手招き。帰らないのだろうか。わたし何か落とし物したかな。いやでも、さらりと拾ってくれる優しさはたくさん持ち合わせているはずなのに。一歩ずつ、不思議に思いながら近づいて、なあにと口を開く前に手招きをしていた大きな手がわたしの手首を掴んで引っ張った。
突然の引力にぐらりと傾く世界。踏ん張る間も無くわたしはその力に吸い寄せられて、ぽすんと着地した彼の胸。わたしよりも随分と上にあるその顔がどんな表情をしているのかは分からないけれど、耳元に落ちて来た溜息はなんだかとても甘かった。


「お前ちょっとこのまま」

「え、ゆきちゃ」

「ゆきちゃん言うんじゃねえよ」


むに、と一瞬頬をつまんだその手が今度は酷く優しくわたしの頬を撫でて、見上げた先にやっと見えた彼の顔はとても照れくさそうで……なんだかかわいいな、なんて思ってしまったのは彼には内緒。ブレザーからかすかに香る彼の匂いと、少しさわやかなシャンプーの匂い。
腰のあたりにまわされた逞しい腕が更にきゅっとわたしを抱き寄せて、髪をくすぐるもう片方の手にまた彼の顔は見えなくなるけれど耳元に落ちる吐息が彼の微笑みを物語る。


「…ちっせーなあ」


頭の上に彼の顎が乗る。そのまま随分としみじみそんな意地悪を言うものだから少しむっとするけれど、彼のその声がなんだかとても嬉しそうに聞こえたから反論はせず、彼の胸にめいっぱい体重をかけてみた。びくりともしない彼はそのまま笑ってわたしを抱きしめて、なんなら抱っこしてやろうかと冗談が聞こえたところで慌てて顔をあげた。……ら、がつんと衝撃。


「いって、」

「わああ、ごめん!だって意地悪ばっか言うから!」

「ったく、黙って収まってりゃいーんだよ」


もう一度ぎゅっと抱き寄せるように力がこもったその腕に、このままじゃあぐずぐずに溶けてしまうと帰りを促す。ぶつぶつと言いながら離れた身体とは対照的に、大きな手に包まれたままのわたしの手。一歩ずつ分かれ道に近づきながら、わたしは彼との帰り道を存分に満喫するのだ。






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