色褪せた世界と再会しました。 監視官が増えてから数週間。夏の陽射しがきつくなり、外は照り返しが厳しそうだと窓から眺める。これじゃあますます俺の行動範囲は狭まるばかり。夏はあまり、好きじゃない。 追いかけてきちゃった、あの日確かに彼女はそう言った。コウちゃんやギノさんを見てればそんな簡単に監視官なんてもんになれるわけじゃないことは分かっている。彼女がそれだけ優れていたのか、将又血のにじむような努力の結果なのか。後者であってほしいと思うのは、きっと前者であれば俺とはもう二度と世界が交わる事がないと心の奥底で俺が諦めているからだろうか。 「宜野座さん、少しいいですか?」 初日の挨拶の後随分と一係はざわついたというのに、そんなことも忘れる程に彼女はただひたすら真面目に地道に仕事をこなしていく。分からないことは絶対誰かに聞くし、ギノさんのこともとても慕っているようだ。ギノさんお得意ホーレンソーを守り、別段問題を起こす訳でもなく上とも上手くやっていけそうなタイプである彼女にギノさんもどこか安堵しているように見える。まあ、中間管理職にも色々と大変な事があるのだろう。俺にはあんまり関係ないけど。 征陸のとっつぁんともあっという間に打ち解けてアトリエに遊びに行っては瞳を輝かせているし、コウちゃんとは…なんか、本の話とかしてる。この間借りてたし。そんな難しい本読んでどうすんだか俺にはさっぱりだけど。センセーもくにっちもなんだかんだ気に入ってるようだし、非常に一係に馴染んでいる。 あんなに、俺の後ばっかついてきてたのに。人見知りばっかして臆病で泣き虫で、でも一生懸命ついてこようと必死に頑張っちゃったりして。そんな俺の記憶の中にいる彼女は少しの面影を残して消えていた。よく笑い、人見知りもしない。誰にでも分け隔てなく話をしている姿を見れば痛むのはオレの胸。 だって、あんなこと言ってくれちゃったくせに、俺んとこにはちっとも来ねえ。ろくに視線さえ絡まねえし、っていうか呼ぶとき「縢くん」だし。なんか俺もつい「監視官」とか呼んじゃうじゃん、そんなの。だってちょっとイラッとした。あまりにも普通過ぎる彼女に俺のほうがどうしていいかわからない。俺にしか見せなかった笑顔が、あんなにもやたらめったら振りまかれているんだから面白い訳が無いだろう。 あんな夢見るんじゃなかった。期待するんじゃなかった。さっさと俺の記憶から消してしまえばよかったんだ。監視官だろうが執行官だろうが同じように話をして、先輩として敬い気遣う彼女と、初対面だったら俺だってもっと上手くやれたのに。彼女が俺のことなんて忘れてたら、きっともっともっと上手くやれたのに。しゅーちゃん、そう言ってついてきていた彼女はもういない。やっと、手の届くところに彼女がいるというのに、だ。奇跡なんて信じないけど、今回ばかりは奇跡だと思ったのに、これじゃあ会わないまま胸の内にしまっておく方が良かった。 向き合ってる書類はちっとも片付かず、ただただ時間だけが流れて行く。別に大した事件もない、外にも出れず進まない書類と睨めっこするだけである。相変わらずギノさんと仕事の話をしている彼女。ギノさんだって真面目に仕事をする人間に対してはそこまで鬼じゃないし、普通に良い先輩なんだろうなと思う。……コウちゃんと、仲良しなくらいだし。別に自分以外全員敵!とか思っているタイプの人じゃない、くそ真面目だし、面倒見も悪くないんだろうな。 少しふて腐れてカタカタとキーボードを叩けば今しがた脳内を掠めたコウちゃんがするりと覗きに来て、俺の報告書を見て小さくため息。あのなあ、シュウ。そっから始まるギノさん程じゃないにしてもそれなりに長いお説教にへいへいと軽く返事をすればこれまた軽くはたかれた。ギノに怒られるぞ、そう言いながらも手伝ってくれるコウちゃんになんだか少しだけ申し訳なさが顔を出して渋々仕事に戻る。ああ、邪念がいっぱいだ。 時計の短針が二周した頃。ようやく外も薄暗くなってきた時響いた警報音。このくそ暑い中出てけってか?と悪態をつけばギノさんに釘を刺される。そりゃ外に出たいとは思ったけど。コウちゃんととっつぁんと護送車に乗り込んで見送った彼女の背中はなんだか随分と淡々としていた。現場に着いてギノさんと二人、ぬるい風の中歩く。せっかくだから、とずっと気になっていたことをぶつけてみた。 「ねー、ギノさん」 「何だ」 「あいつ…あ、いや、苗字監視官と何をそんなに話してんすか?」 「は?」 「いやだって、珍しいじゃないっすか。ギノさんがマメに誰かと話するなんて」 俺の質問に少し驚いたような顔をしたギノさんは、仕事の話だと言ってそのまま瞳鋭く辺りを見回しながら進んでしまう。仕事の話つったって、いい加減ないっしょ、そんな、こまめに話をすることなんて。でっかい事件だって起きてねーのに。 「…縢」 「はーい」 「気にしてやれ、幼馴染みなんだろう」 「は、?」 今度は俺が驚く番だ。なんで、ギノさんがそんなこと知ってんの。わざわざ調べたりするような人間じゃないでしょアンタ。何、そんな話をしてたってこと?なんで、ギノさんに? 「執行官とは距離を置け、がギノさんの得意分野じゃないんですかー?いてっ」 「手遅れになってから喚いたって戻って来ない。それだけだ」 膝裏を蹴っ飛ばして珍しく何の根拠もない、まるで経験だとか勘だとかそんな言い方をするギノさんにますます俺は驚いて目が点になる。本当に一体どんな話してんだよ。まさかギノさんにこんなこと言われるなんて思っても見なかった。どちらかと言えば、サイコハザードがうんたらかんたらって言って引きはがされるぐらいの気持ちでいたから随分と肩すかしを食らった気分。 さっさと歩き始めてしまった監視官殿を追いかけながら、気にしてやれと言われても今の状態じゃあどうにも出来ないだろ、と頭をひねる。そんな時だった。ギノさんの端末に噂の彼女から連絡。その声はやっぱり淡々としていて、対象を発見、保護しましたとか、すぐ合流するとか、そんな会話をふたつみっつ交わしてギノさんは振り返る。行くぞ、そうして一瞬俺の目を見たギノさんの瞳がなんとなく、いつもより幾分か丸みを帯びていたように思うのは俺の気のせいか。 「ちょっと、いい?」 報告書も無事終わって、帰り支度をする彼女を呼び止めた。話をしようと思った。別にギノさんに背中を押されたとかそんなんじゃない。そんなんじゃ、断じて、ない。ただ俺がこのままじゃダメだと思ったからで、気になったからで。飯、一緒しよ。そんな一言が精一杯だった。それなのに彼女は笑って頷いた。こうやってちゃんと彼女の笑顔を見るのは初めてかもしれない。避けられていると思っていたのは俺の勘違い、だったのか? 「はい、召し上がれ」 自分の部屋へ彼女を招けばほんの少し緊張感が顔を出すけど、それでもホームだからか少しいつもの調子が戻る。いただきます、と手を合わせ美味しそうに食べる彼女を見ればやっぱり胸の奥がきゅっと締まった。なんだ、これ。おいしい、そう言いながら綺麗に食べてくれた彼女と向き合ってひとつ。 「追いかけてきたって言ってたじゃん」 問いつめるような事にならないように、細心の注意を払って聞きたかった事を聞く。ほんの少し彼女の睫毛が震えた。戸惑っているのか、焦っているのか、俯いてしまった彼女からはその表情は伺えない。 「ごめん、ね」 「何が」 「どうやったらもう一度会えるか、すっごい考えて、やっと見つけたのはこんな方法しかなかったの。生きてるかも分からなかったけど、配属された時に名簿見て、わたし嬉しくて。でも、困らせちゃったみたい、だから」 もう一度ごめんね、と呟いた彼女。もしかしてギノさんは彼女の想いを全部知ってたのだろうか。まさか、あの人が?そんな相談に乗るとか、話聞くとか、する?だってよりにもよって、監視官と執行官。あの人ならぜってー止めるだろ、普通。それでもさっきのギノさんの言葉からは彼女の話を聞いたとしか思えないし、否定している雰囲気なんて微塵もなかった。どういうことだ、本当に。 しゅんとしてどんどんへこんでいく彼女の姿は、どこか俺の記憶の中にある彼女と重なって、小さい身体で必死についてきては追いつけないと泣いていたあの頃を思い出させる。同時に、胸に流れ込む暖かいものに、俺のこの十数年の想いはきっと美化されたとか、そんな生温いもんじゃねえんだろうなって自覚したりして。 「名前」 自分でも驚く程に優しい声が出た。うわ、何今の。彼女が来た日以来、初めて俺の口から出た彼女の名前。ぱっと顔をあげた彼女の瞳からはあの日みたいな大粒の涙がぽろっぽろ溢れてて、思わず笑ってしまう。だって、なんだよ、全然変わってねーじゃん。 「ふはっ、ぶっさいく」 「なっ、」 「…本当は迎えに行きたかった。ずっと会いたかった。俺の方がぜってー何百倍も嬉しい」 腕を伸ばして頬をつまめばへにゃりと表情を崩す彼女。なんだ、こんなに簡単なことだったのか。あの日ちゃんと話せばよかった。素直になれば会えなかった時間なんてあっという間に埋まってしまう。物心なんてぼんやりとしかついていなかった頃の思い出。それだけなのに、彼女への想いはやっぱり俺を支配していく。 「俺さ、多分お前が生まれたときからずっとお前のこと好き。ほんと、どうしようもねえな」 笑って柔らかい髪を撫でまわせばぶわっとまた涙をあふれさせ、泣き虫なところも本当は変わってねーじゃん、そう言えば彼女はぐずぐずめそめそしながらもその顔を緩めた。 「秀ちゃんの、ばーか」 名前を呼ばれただけ、それだけのことで、不覚にも泣きそうになってしまったのは彼女には内緒だ。 |