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どこまでも貴方と

起きてるか、という声と共にノックされるドア。もう随分耳に馴染んだその声にドアを開ければ、だいすきな彼がいる。


彼と非番が重なるなんて滅多にないこと。執行官の私と違って監視官の彼はなかなか忙しいものだから仕事で顔を合わすことしかない日々が続く。
まあ、そもそも外に出ることのない私からしたら仕事でだって彼と会えるんだから嬉しくて仕方がないのだけれど。


「おはよー」


「ああ」


非番と言っても彼は当直明け。仕事を終えてそのまま宿舎に足を運んでくれたのだからその顔は随分と疲れているようで


「お疲れ様」


「ん、お前もな」


「私は今まで寝てたもん。コーヒー飲む?何か食べれるならご飯作るけど」


そっと頭に乗せられた大きなてのひらになんだかほっとしながら様子をうかがえば


「お前が飲んでるのがいい」


予想を超えた答えが返ってきた。ブラックコーヒーを好む彼にとって私が飲んでるこれは随分と甘ったるく感じるだろうと思うし、何より飲もうとすることを見たことがなかった。


「え、甘いよ?」


びっくりして聞き返してもそれがいいと言うからそこまで言うならとホットココアを淹れて、ソファに座った彼のもとへ。


「珍しいね、大丈夫?具合、悪い?」


「心配してるのか?それとも馬鹿にしてんのか?」


真面目に心配したのに、彼は笑ってそんなことを言う。冗談を言える元気はあるようだけれど、糖分を求めるなんてやっぱりそれなりに疲れてるんだろうなあと思えば時間を作ってくれたことに申し訳なさが生まれる。


マグカップを受け取った彼は一口、二口、と飲み進める。たまにはいい、と目を細めるその姿さえ様になってかっこよくって、なんだか堪らない。きゅんとする。ずるい。

飲み干したマグカップを目の前のテーブルに置いて、今度は手招き。ココアの次は私?と近づけば引かれる腕。されるがまま、すとんと乗せられる彼の膝。


「疲れた時は甘いものって相場が決まってるだろう」


「うん、お疲れ様でした」


で、この体制は?と聞けば、疲れに一番効くのは好きな女だってこれも相場で決まってんだと言い放つ彼。
彼なりの甘えなのだろうと思えばなんだかちょっぴり胸がくすぐったい。年上の彼。いつだって大人な彼がこうして私の前でだらりとしてくれるのはなんだか嬉しくなって恥ずかしさを出来るだけ押さえ込んで彼の膝で落ち着くことにする。


「…こうちゃん、無理しないでね」


首に腕をまわして額を合わせればありがとな、とふわりと笑って私の後頭部にまわる大きなてのひら。もう片方は背中にそえられてそっとキス。


離れた唇が一瞬鼻の頭にも触れて、なんだかこれじゃあペットみたいだなと思いながらも彼の首に顔を埋めると心地良いリズムで撫でられる背中。


「こうちゃんこうちゃん」


「ん?」


「一眠り、しよ」


「ああ、そうだな」


ソファに座る彼に抱えられるようにしてそのまま微睡み、彼と共にうたた寝。





どれくらい寝てただろう。空腹で目が覚めてなんとも素直な身体だと自分でも関心してしまう。時計を探しに顔を上げれば上から降ってくる起きたか、という優しい声。


「こーちゃん、いま、なんじ」


目を擦る私の手を掴み、そっと目元に落とされる唇になんとも間抜けな声がでて笑われる。そして彼の口から聞かされる一言に


「14時を過ぎたところだな」


「えっ!?」


一気に目が覚めた。


「わ、ごめん、すっごい爆睡しちゃった」


「お前も疲れてたんだろ。気にするな、俺も起きたところだ」


彼の方が疲れているはずなのにめいっぱい気遣ってくれるその優しさになんだか涙がでそうになる。
彼のぬくもりが恋しいけれど、流石にお腹が減って、彼も同じだろうとごはんを提案。


「ごはん、たべよっか」


「ああ」


この時代じゃ随分と珍しくなった生野菜たちとガスコンロ。乾麺にオリーブオイルを出して適当にパスタを作れば後ろからひょっこり覗く彼が関心したような声を出すから小さく笑ってしまう。


別に特別上手なわけでも得意なわけでもないけれど、簡単に調理される今の世界のご飯は美味しいとは思えなくて自分で作る方が安心感があるのだ。

きっと、こういうところに馴染めないから潜在犯なんてものに分類され隔離されてしまうのだろうけれど。こればっかりはもうどうしようもないことだから開き直ったもの勝ちである。


ご飯を食べ終えて後片付けを終えると何故かコートを着た彼。呼び出しかと聞けば出掛けるぞの一言。仕事ではないらしい、コートの下は私服のままだ。
掛かっていた私のコートを手渡され、外出許可はとってあると言う彼にあわあわしながらついていく。


仕事以外で外の空気を吸うのは何年ぶりだろう。いつも見ている世界のはずなのになんだか違う色で映る景色。

連れてこられたのは駐車場で、目の前には大きな二輪車。…彼の愛車だろうか、と考えていれば突然すぽっとはめられるヘルメット。覗き込むようにしてぱちんと留め具がとめられ、ひょいといとも容易く後ろに乗せられる。
流れるような動作に何も出来ずにあ、とかう、とか言ってれば小さく笑ってちゃんと捕まっとけ、落ちるなよなんて物騒な一言を残し前にまたがる彼。


「えっ、こ、こうちゃ、うわああああ!」


「舌噛むなよ!」


彼の腰に腕をまわした途端にエンジンがかけられあっという間に発進してしまったバイクにひいひい言いながらとりあえず彼の服を掴む。というか彼の背中に縋る。
経験したことのないスピードに、凄まじい速度で前から後ろへと流れる景色。なんだか目がまわりそうだ。


「こうちゃんどこいくのー!」


「聞こえねーな!」


「うそつきー!」


大騒ぎしながらも彼の背中にしがみついて、ようやくスピードにも慣れた頃。1時間くらい走っただろうか。
ふと彼が右手をハンドルから離し、親指で右側を示す。その手につられて視線を右に流せば視界いっぱいに広がったのは


「う、わあ…」


どこまでも続く、きらきらと輝く海。その海にどんどん近づいて、キュ、と止められたのは砂浜の手前。
この季節の海は人なんていなくて、少し寂しげな海の家が遠くに見えるくらいだ。


ヘルメットを外そうと手間取っていれば先に降りた彼の手が留め具を外しすぽん、と抜かれる頭。ふるふると頭を振りありがとうと言えば乗せられた時と同様にひょいとおろされる。
だから恥ずかしいってばと言っても彼は満足そうに笑うばかり。そのまま彼に手をとられ後ろをついて歩く。


生まれて初めて歩く砂浜はどうにも歩きにくくて、靴を脱いでもいいかと聞けば風邪ひいても知らないぞと言う彼だけれど脱いだ靴を寄越せと手を出してくれるから優しいなあなんてほっこり。
彼に靴を預けて一歩一歩、足の裏になんだかくすぐったいような感覚を記憶しながら彼の前を歩いて、時々貝殻にあたるとちくりと痛むけれどそんな感覚さえ今は愛しくて仕方が無かった。


私はきっと死ぬまで外の世界に自由に出ることが出来ないから、せっかく彼が作ってくれたこの時間を目一杯満喫してやろうと走れば後ろから彼も小走りでついてきてくれる気配に私の頬は緩みっぱなしだ。


そのまま押し寄せては戻っていく波の方まで行き足をつければ今度はじわじわと足の裏が砂に飲み込まれていくような不思議な感覚。
海水はうんと冷たかったけれど、引いていく波につられて自分の身体も吸い込まれそうで飽きない。まるでガキだなと笑う彼もすぐ後ろに立っていて


「どうせガキですー」


「そうひねくれるな」


少しだけあきれたような、でもどこか笑みを含んだ声に今日は甘やかしてくれる気満々だなあと笑ってしまう。
どこまでも押し寄せては引いてを繰り返す波にしゃがんで手をつける。ぱしゃぱしゃと音を立てて遊んで、自分でも子供染みているとは思うけれど新鮮で仕方が無いのだから楽しんだもん勝ちだと結論。


暫くして、後ろから彼に腕を引かれて隣に並ばされる。何事かと彼を見上げれば前を見てろと一言。


肩にかけられた彼のコートを握りしめて視線を戻した先にはゆっくり海に近づく大きくて真っ赤な太陽。
言葉を交わすこともなく、私の世界はオレンジに染まっていく。赤い太陽の光を跳ね返す水面もきらきらと輝き同じ色に染まる。
じわりじわりと太陽が沈んでいく様はなんだか太陽がどんどん海に溶けていくように見えて、溶けきったと同時にふと辺りが暗くなり今度は暗い空にきらきらと星が輝く。


どう言葉にしていいかもわからない。ただただひたすら綺麗で、私の人生の中できっと一番綺麗で、だけど綺麗なんて言葉じゃ足りなくって、どうしてだろう。


海に溶けた太陽を見て胸が苦しくなった。


「…泣くな」


頬に触れる彼の暖かい指。そのままそっと抱き寄せられて目尻に落とされる彼の唇。


「こうちゃん、ありがとう」


「…俺が、お前と見たかっただけだ」


「それでも、うれしいよ。上手く言えないけど…苦しいのに、すごく、しあわせ」


なんでかな。別に生まれてこなければよかったなんて思ったことなんて無いはずなのに、この日初めて、この世界に生まれて良かったと心から思った。


潜在犯として隔離されていなければ彼に出会うこともなくて、きっとこんな風に何気ない毎日繰り返されるものに感動することもなかったのだろうと思えば今のこの瞬間がとても愛しくて。


見つけてくれてありがとう。掬い上げてくれてありがとう。こんな私を、


「大事に、してくれて…ありがと」


「…当たり前だ馬鹿」


「こうちゃん」


「何だ」


ねえ、こうちゃん。この命が尽きるまで、私は貴方と共に生きたいと思ったの。
こうして太陽が沈んで、また昇る日々をどれだけ一緒に歩いていけるかな。


「…だいすき、です」







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