そんなまさか! 「…ああっ!」 「何事だ苗字」 「なになに、どーしたの名前ちゃん」 もう10分もあれば完成したであろう報告書。かれこれ2時間程かけて細かくまとめて仕上げていた渾身の報告書。私の本日最後の仕事であったはずの報告書。 カタカタと思考を巡らせながら打ち続けたキーボード。あと少しだったのに、何故か突然画面が真っ暗になってしまい冒頭に戻る。 「ほ、報告書…」 淡い期待を抱いて宜野座さんの様子をうかがったものの 「…努力は認めるが、最初から打ち直しだな」 ため息と共になんとも厳しい答えが返ってきてしまった。 「ですよね」 あーあ、私今日は何時に夜ご飯食べれるかなあ…。 「そんなに落ち込んじゃって、とりあえず俺の使えば?それ、調子悪いなら二の舞になると今度こそ泣くでしょ」 「秀ちゃんありがとー神様ー」 応答が鈍くなってきた自分のパソコンから離れ、縢のデスクを借りて報告書を作り直す。 結局、日付が変わるギリギリまでかかってしまったけれど、宜野座さんも同じように仕事をしてたから問題ないと受け取ってくれた。 厳しいけれど、やっぱり根は優しいなあなんて思いながらとりあえずご飯を食べようと食堂へ歩くと入り口に縢の姿。 私より随分早く帰ったはずの彼は部屋着に着替えていたけれど、どうやら一緒にご飯を食べてくれるつもりらしい。 どうせ彼は今日は非番でトレーニングルームで汗だくになっているか、もう寝静まっているだろうから一人寂しくご飯を食べるつもりだったからとてもありがたい。 ご飯は、やっぱり誰かと食べる方が何倍も美味しくなる気がする。 「報告書は終わったの?」 「なんとかねー、縢のおかげ。ありがとう」 よしよし、とふわふわした髪を撫でれば感謝してよねーなんて冗談が返ってくるから、縢との食事はとても楽しく進む。 「今日はコウちゃんとこ行かないの?」 「遅くなっちゃったから」 「案外待ってるかもよー?」 「まさか、きっと寝てるよ。明日も朝から仕事だもん」 睡眠の邪魔はしたくないのだと言えば健気だねえ、って今度は私が撫でられる番。 縢とはまるで兄弟のような関係で、心地良い距離感を保てるからすごく癒される。優しいお兄ちゃんのようで、可愛い弟でもあるような、そんな感覚。 「秀ちゃんは明日非番だっけ?」 「そ、つってもどーせやることないんだけどねー」 なんか事件起こんねーかなーとぼやく彼に物騒だと突っ込めばだって暇なのよなんて言葉が返ってくる。 隔離されてる私たちはあまりにも制限されすぎた世界で生きていくしかないのだから、好奇心旺盛楽しいことだいすき!な縢からしたら暇でしかないのだろうと想像はつくけれども。 名前ちゃんはー?と間延びした声で聞かれたので私は仕事だと伝えればご苦労様ーなんてねぎらう気があるのかわからない声。 「秀ちゃんかわってよー」 「外に出る事件があれば変わってあげるー」 そんなしょうもない会話をしていた時、ふと縢の視線が私の頭の上に移動して、どうしたの、と聞く前になぜだか首根っこを掴まれた。 ふわりと匂った煙草の香りに彼だと知れば、こんな時間にどうしたの、とか何してるの、とか聞きたいことが溢れたものの 「こ、コウちゃん…なんか怒ってる?俺今日もう寝るから!じゃーおやすみ!」 不穏な言葉を残してそそくさと、自分の食器と私の食器を両手に持って去ってしまった縢を見送って、私の頭の中にはさらにクエスチョンマークが増えていく。 そのまま何故かずるずると彼の部屋に連行されて後ろでにドアを閉めた彼に、壁まで追い詰められる。 この体勢はいったい…? 「あの、狡噛さん?」 「…縢と何してた」 「縢と?ご飯食べてたんです。いろいろあって、遅くなっちゃったから」 「縢は部屋着だったろ」 「なんか、待っててくれたみたいで」 彼の質問にとりあえず答えるけれど、なんだか眉間に皺を寄せている彼からは不機嫌オーラしか出て無くて、でも心当たりがまるでなくてどうしていいかわからなくなってしまう。 「あの、狡噛さんこそどうして食堂に」 すぐに連れてこられたからきっと用があったのは食堂じゃなくて、私かなと結論を出して聞いてみたものの、私が何をしてしまったのだろうという疑問は一向に応えに辿り着かない。 「…日付変わっても帰って来ない自分の女を心配して悪いか」 「………は、」 なんだかとんでもない一言が聞こえたようで思わず自分の耳を疑う。 だって、彼がこんな、自分の女とか、心配とか… 「狡噛さん…熱、ありますか?」 私を壁に挟むようにして立ってる彼の額に手を伸ばせばその手首をとられ壁にしっかり縫い付けられて、さらにきょとん。 「私、何かしちゃいました…?」 恐る恐る訪ねると彼はまた小さくため息を零し、終わる頃かと部屋に行っても居なかったとか、ギノは帰ってるのにとか、何で縢なんかといるんだとか、ぽつりぽつりと話初めて、そして 「大体、縢のことは“秀ちゃん”なんて呼ぶくせに俺のことは名前じゃ呼べないってのか」 とんでもない爆弾。 「あ、あの…えっと、」 それって、だって、まるで 「………やき、もち?」 ぴくり、と私の手首を押さえつけていた手が反応して力が緩まったのを見る限り図星らしい。 まさか、やきもちなんて妬いてくれると思ってなかったし、心配だってしてくれるなんて思わなかった。 いつだってクールでぶっきらぼうで、だから正直彼がどのくらい私のことを想ってくれてるのかなんてわかりっこなくて。 大事にしてくれてるのはなんとなく分かっても、そもそも誰に対しても細やかなフォローが出来てしまう人。 休日が重なれば声をかけてくれて、一緒に過ごしてくれるけれどこれと言って何事もなく過ごしてきたから、なんだかうっかり私も慣れてしまっていたのだ。 「縢は、私が一人でご飯食べるのを気にして来てくれただけで…兄弟感覚、だし…」 「俺を呼べばいいじゃないか」 「だ、だってお休みなのに…こんな、遅くに」 迷惑だったら、まで言ったところで彼の声に遮られた。 「俺はお前の彼氏じゃないのか」 変な気遣わないで呼べ、あんまり妬かせるなと続けた彼は私をすっぽり包み込んで黙り込んでしまった。 だけど、彼の一言がすごくすごく嬉しくて、ごめんなさいと、ありがとうを伝えれば彼は照れたようにそっぽを向いてしまう。 その後、シャワーを借りて、彼の布団に一緒に潜り込めば逞しい腕に抱き寄せられて小さな声ですまん、なんて言ってくれるから私はついつい笑ってしまう。 目の前にいる彼にもそれは伝わってしまったようでむっとした顔で頬を抓られたけれど私はもう、痛みより何より彼への愛しさで胸がいっぱいになってしまって顔が緩む。 寝る、と短く言った彼にほんの少しだけ勇気を出して 「おやすみなさい…慎也、さん」 彼の胸にすり寄りながら呟けば抱き寄せていた彼の腕に力がこもり、そっと頭を撫でてくれる。 なんだかしあわせいっぱいだ。 そして仕事以外では狡噛さんといくら呼んでも返事をしてくれなくなってしまった彼にあたふたするのはもう少し先のお話。 . |