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4.やっと素直になれたからで、


夜空はどこまでもクリアで、雪がちらつくすっかり冷えきった暗い路地裏を駆け回る。上がり切った息は白く濁り寒空に吸い込まれ、自分の声が狭い道に響いては消えていく。


「おい狡噛!応答しろ、狡噛!」


自分の心音が嫌に大きく聞こえる程には周りの世界がとても静寂で気味が悪かった。応答の無い相棒、捜査中に足取りが掴めなくなった部下。


ここのところ続いていた奇妙な殺人事件。生きたまま切り刻まれた人間の遺体が街中にホロによりカムフラージュされ放置される。否、むしろ堂々と展示されていると言ったほうが正しいのか。
どんなに考えたって犯人の考えていることも、やろうとしていることも分からないまま事件は増え続け、ひっきりなしに遺体と書類が山積みになっていた。


そんな矢先。部下が忽然と姿を消した。端末の向こうから聞こえた相棒の声は驚く程に取り乱していてことの重大さを物語る。嫌な汗が背を伝う。


それでも、確実にその辺で野たれ死ぬような人間ではない、無茶ばかりする男ではあったがそう簡単に自分を見失ったりましてや逃げ出したりするような人間ではない人間がよりにもよって捜査中に消えているのだ。深追いさせてはいけない。

この事件は厄介な案件だ、全容を誰一人として読み解けていないのだ。手探りで、何の予想も出来ずに捜査を進めている最中。危険すぎる橋をわたるのは懸命ではない。それなのにあいつは、佐々山が見つからないと残して通信を切りやがった。

監視官であるお前まで自分を見失ってどうすると諭しても、戻れと怒鳴っても、端末の向こうにいる相棒から返事が返ってくることはないまま、その日はまるで地獄のように長い夜になる。




あの日、佐々山は死んだ。生きたまま切り刻まれた身体は後からホロで見てもとてもじゃないがそうまっすぐ見ることなんて出来るものではなかった。

仕事の出来る男だった。馬鹿で、野蛮で、女好きで、何も考えてないような人間だった、それでも確実にこの一係には必要不可欠な人間だったのだ。優秀とは言えたものではないが少なくとも俺も狡噛も、あいつを認めていた。大事な、部下だった。こんな死に方するような人間ではなかったと、恐らく狡噛もそう言うであろう人間だった。


そして佐々山を俺なんかよりずっと慕っていた人間が相棒である狡噛なのだ。佐々山を誰よりも早く見つけたその狡噛が平気なはずなんてなかったのだ。
俺が止めるべきだった。無理矢理にでも見つけ出して引きずって帰るべきだった。合流してすぐあいつの変化に気付いたのに、俺は何も出来なかった。セラピーを受けさせることさえ出来ずに犯罪係数が一気に上昇した狡噛は止まることなく堕ちるところまで、勝手に堕ちやがった。


どうしてどいつもこいつも、人の想いも知らずに勝手に…力任せに拳をぶつけた壁が鈍い悲鳴をあげたのは少し前の記憶。





哀しくも時間は待ってはくれないもので、当直明けの帰路を重たい身体を引き摺っている時ふと足下に堕ちている桜の花びら。幾度となく人の足に踏まれているのであろうそれはもうすっかり弱ってしまっていたけれど、ふと視線をあげれば公園でざわめく桜の木々。


そういえば、あれからまともに外の世界を見るなんてこと無かったかもしれないと頭に浮かぶは彼女の顔。今、どうしているだろうか。あの事件以来仕事が山積み…というのは半分言い訳のようなもので無理矢理仕事を詰め込んでいたという方が正しいような日々の中で彼女とのコンタクトは無いに等しかった。


目の前に広がる桜はあの日と変わらぬはずなのに、眼鏡越しに見るその世界が酷く濁って見えるように思えたのはいつからか。


頬を撫でる風が暖かく優しく、どうしようもなく彼女に会いたいと押し殺す想いを神様とやらは掬い上げてくれたらしい。


「…宜野座先輩?」


空耳かと思った。幻かとさえ思った。あー、やっぱりーなんて朗らかに笑う彼女のその顔にどれだけ、安心しただろう。名前、と言葉にしたはずのそれは音になることはなく、彼女は首を傾げるばかり。


「先輩、酷い顔してますよ。どうしたんですか」


なんだかおっかないですよ、と冗談まじりにそれでも眉を下げて覗き込む彼女はどこまでも優しく、そしてやはり相変わらず纏う空気はあの頃のまま。


「お前は、変わらないな」


「…先輩、本当にどうしたんですか?」


思わず溢れた言葉にいよいよ彼女の眉間に皺が寄るのを見てはっとした。そんなことが言いたかったわけではなかったはずだ、それじゃあまるで


「あ、いや、違うんだ」


「先輩らしくないですよ。なんですかーもう、私はいつだって相変わらずだってちゃんと報告してるのにー」


先輩は自分の話してくれないから、と少しすねたような顔を見せた彼女に慌てて言葉を重ねる。別に、悪い意味で言ったわけではないと。そんな俺の焦りさえ彼女には筒抜けなのだろう。さらりと流した彼女はもう一度、どうしたんですかと優しい顔をして俺に問うのだ。


話せることなどない。あんな残酷な出来事を間違ってもこんなに純粋に俺を案ずる彼女に言えるものかと、ああそれでも俺はきっとこの時少しばかりやけになっていたのだろうと思う。
今思えばそれはもう頭を抱えたくなるくらいには突発的で、何の計画も無く、ただ無鉄砲で、本当にどうしようもない。それでもこの時、このタイミングで、彼女に出会えたことはきっと意味のあるものなのだろうとも思うのだ。


「…好きだ」


何が、なんて野暮なことを聞くその口を縫い付けてやろうかと笑ってしまうくらいに、俺はなんだか吹っ切れてしまった。どうこうなりたいと思った訳ではない、伝えたかっただけなのだろうと思う。
ただ、その上であわよくば、もしも彼女が、そういう想いだって勿論目一杯心の中に溢れている。


「名前、好きだ」


いつかとは違う思っていたよりも穏やかな声が出た。そしてこれでもかというほどに見開かれる彼女の瞳。その瞳は徐々に本来の大きさに戻ったけれどうっすら涙が滲んでいるのは気のせいか。

別に返事なんて求めていないと口を開くと同時に握られる手に、そういえばこんなこと前にもあったなと頭の隅で記憶をたどる。

そして彼女の声で一言。


「私の方が、ずっとずっと先輩のことだいすきです」


こんなの絶対実らない片想いだからって押し込んでたのに、そう続ける彼女に今度は俺が瞳を丸くする番だ。俺がどれだけお前を、なんて思っても言えるわけはないが、そんな彼女の一言に嬉しさを感じる素直な心はさらりと俺の肩の力を抜いてしまう。

仕事のことも、相棒のことも、部下のことも、今だけは少し忘れてこの手を握ったまま彼女との時間を噛み締めても許されるだろうか。


握り返すその手に力を込めればまた嬉しそうな顔をする彼女と二人歩き出す。見上げた空はいつか見たとても澄み切った青だった。






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