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3.不安を消したかったからで、

彼女と再会してから、仕事の合間を縫って会うようになった。丸一日オフの日なんてなかなかないのが現実。
当直の前、当直明けが主になり日中のほんの数時間のそれは、2ヶ月に1度程度だったが確実に自分にとって多大な癒しとなっていた。


相変わらず不安定な距離感。それでも以前と違うのは、俺の中に生まれたこの感情が恋愛感情のそれであるということを少なからず自覚し始めたことだ。


それでも、それを伝えようという思いはなかった。怖かったのだろうと思う。彼女との今の関係が壊れてしまうことが何よりも。
仕事が仕事だ。いつ何があるか分からない世界で生きている俺に、果たして彼女のことを大切にできるだろうかとそんなことばかりを考える、彼女と出会ってから4回目の春。


大した愛情を受けたこともなかった。父親のことが憎くて仕方が無い。母親の顔はもう思い出せそうにない。そんな俺が彼女へ恋心なんてものを抱いて良いのかとつまらない思考に浸食される。


今の時代、恋愛だってシビュラによって構成されているのだ。人のそんな気持ちなんてこの世界で生きていくにはあまりにも邪魔になると判断された世の中で俺が抱く気持ちはきっと無意味でしかないと決めつけて蓋をする。

良き先輩でいればいい。それが最善だと嘘を重ねる日々。


綺麗に咲いていた花びらが散り、道路が桜色に染まる頃久しぶりにオフが出来たと連絡するとちょうどその日は休みだから一緒に行きたいところがあると珍しく彼女の方から提案があった。
少し遠出になるけれど、と遠慮がちに聴こえてくる端末越しの声に問題ないと伝えればその声は嬉しそうな色に変わるのだからこちらまでその感情がうつってしまいそうだ。


そう、少女だった彼女は学校を卒業しあっという間に社会人。仕事をしている身だ。




「久しぶりだな」


「すみません、付き合わせてしまって…車まで出してもらって」


「気にするな」


助手席に彼女を乗せ暫く走った頃、一度止めてくれという言葉に車を止める。一緒に降りようかと訪ねればすぐに戻るからと一言残し小さな店に消えて行った。


10分程だろうか。店から出て来た彼女の手に抱えられているのは薄桃色のチューリップの花束。大切そうに抱え車に戻って来た彼女は少し嬉しそうな、それでいてどこか悲しそうな顔をしていたように見えた。


彼女に言われるがまま車を走らせること1時間半。


「…ここは」


「都心からちょっと離れるだけで結構田舎になるんですよ」


画面を通してしか見たことがない田んぼ道。シビュラの存在なんてまるで最初から無かったかのような穏やかな空気が漂うそこを彼女は慣れた足取りで歩いて行く。
小さな林を抜けたところに広がるのは、霊園。


「私の両親が、いるんです」


「亡くなってたのか」


「はい。なかなか、言いだせなかったんですけど」


もう随分と昔の話です。そう続けながら進む彼女の背中はいつもより小さく見えた。
俺が親は死んだ、と吐き捨てるように言ったその言葉に悲しそうな顔をしたのはこういうことだったのかと思う。


苗字家之墓、と掘られた墓石の前に来て久しぶりになっちゃってごめんね、なんて呟いて花を供えようとする彼女の手を掴み出て来た言葉は


「…掃除、するぞ」


きっと俺に気を遣ってさっさと帰ろうなんてしているのだろうと覗き込めば驚いた顔をした後嬉しそうに頷く。
素直に言えばいいものを、と思うが元々そういう人間であることはよく知っている。とても他人に気を遣う性格なのだ、彼女は。


そういう小さな遠慮、気遣いを俺が一つ一つ拾ってやれたらどれだけいいかと思うことも多い。
少なくとも彼女にとっては、両親の存在はとても大切なものなのだろう。だとしたら、この日を、この一瞬を、もっと大切に両親と触れ合う時間にしてやりたいとさえ思った。

らしくないなと自分でも思うが、彼女のこととなると俺はどうにも調子が狂うらしい。


自分の母親の墓参りにだって、最後に行ったのはいつだったかと考えなければ思い出せない程で掃除をした記憶ももはや無いようなもの。
流石に怒られそうだなと苦笑いを零してから彼女とともに綺麗に墓石を磨き、そのうち自分の母親にでも会いに行くかと思っている自分がいるのだから彼女に与えられる影響というものは恐ろしいと感じた。
とても、良い意味で。


元々そこまで汚れていたわけではないが、それでもなんだか少し綺麗になったように見える。彼女がそっとチューリップの花束を供えるのを見届けて、共に手を合わせれば紡がれる彼女の声。


「チューリップの花言葉、知ってますか?」


「いや」


「桃色のチューリップは、誠実な愛。赤色が愛の告白。紫が永遠の愛」


この花束で、お父さんはお母さんにプロポーズをして、それ以来二人にとってすごくすごく大切な花になって


「だから、毎年この時期は二人が今も仲良しでいられるようにって持ってくるんです。結婚記念日、近いから」


彼女にとってはもう当たり前のことなのだろう。それでも、そんな純粋な瞳で空を見上げる彼女に俺がかけられる言葉なんてなくて、もどかしさと闘う。
何を言っても、偽善にしかならない気がした。俺の心の中は、父親への憎しみでいっぱいなのだから。


「先輩。昔話、聞いてくれますか?」


「ああ」


ただただ俺に出来ることは彼女の話を聞くことだけだ。彼女が話したいと思うことならなんだって聞きたいと思う。
いくらでも聞こうと彼女の言葉に耳を傾ければ、綺麗な笑顔からは想像もつかない程苦しんでいたことを俺は初めて知る。


その日は彼女が生まれて10回目の誕生日だったという。

仕事の都合でどうしても休めなかった両親と前日に3人で都内まで出掛けて、夕食を食べてから暫くきらきらと輝く街を散歩していた。
ひんやりした夜風も気にならない程、両親と過ごすその時間が楽しくて手を繋いで歩いてその日を振り返って話に花を咲かせて、楽しい幸せな気持ちでいっぱいになって家に帰り彼女はそのまま眠りに落ちた。


そして事件は翌朝。リビングから聞こえる騒がしい物音に目が覚めて、恐る恐る部屋を覗けばそこにいたのは


「…公安局?」


「たぶん、先輩と同じ職業の人だと思います」


「何故、」


「強盗が入ったそうです。母はその強盗に殺された後でした」


横たわる母親の胸に突き刺さった刃物。そして、それを間近で見ていた母親を守ることができなかった父親のサイコパスは一気に濁ったのだ。
そこに乗り込んだのが公安局刑事課の人間だった。勿論片手にはドミネーターを携えて。


そこまで聞けば今の自分の仕事と大して変わらないのだから嫌というほど想像がつく。
目の前にある墓には彼女の両親が眠っていると言った。それならば、彼女の父親は恐らく


「殺されたんです、私の目の前で。母を殺した犯人は、生きたまま確保されたのに」


おかしな話ですよね、だって父は最期まで母を、私を、守ろうとしてくれたのに。目の前で母が殺されて、犯人相手に殺してやるなんてそんなの当たり前の感情なのに。
きっと、犯人を先に捕らえてくれたら、父だってすぐに落ち着きを取り戻したはず。私をおいていなくなるなんてことするような人じゃない。どんなに想定外の時だって、自分の子どもを忘れるような人じゃなかった。


それなのに、お金目当てだった犯人は生き延びて、正しかったはずの父親が正義に殺された。何も、信じられなかった。


「父も母も穏やかで、暖かくて…とても優しい思いやりに溢れる人でした」


だからせめて、二人が心配しないように安心して天国で仲良く出来るように生きていこうと思ったのだと彼女は語る。

その言葉のどれもが彼女の本音であり、それでもどこか、割り切れていないようなところも感じた。
言葉の端々に込められる苦痛を耐えるような声。きっと彼女はそうやって憎しみの感情を押し殺してひたすら前を向いて歩いて来たのだろう。


空を見上げるその背中が小さく震えていて、彼女はまた、我慢をするのかと思えば


「せんぱ、」


「黙ってろ」


彼女の横に並んで、手を握る。泣いてくれと思う。そうやって自分の想いを押し殺せばそれだけ、彼女はもしかしたら笑えるのかもしれない。
それでも、その悲しいとか、憎いとか、そういう感情を失ってはいけないと思う。憎んでばかりの俺が言えることではないが、そのまま放っておいたら彼女はいつしか壊れてしまうように思えてならなかったのだ。


「黙って、好きなだけ泣けばいい。俺は何も見てない」


そう、俺は何も見てない。彼女がまだ弱味を見せられないというならば、彼女が人前で泣けないというならば、俺は何も見ないと誓う。
それで彼女が泣けるならいい。想うことしか出来ない両親への彼女の愛が途絶えないように。


「…先輩がいてくれて、よかった」


小さく笑った後、彼女は静かに泣きながらその手のひらに力を込めた。
縋るように握られたその手のひらを俺はもう一度、強く握り返し包み込む。彼女がどこにも、飲み込まれないようにと。





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