CLAP | ナノ





愛の言葉を囁くよりも

彼が執行官になってから、少し。吹っ切れたように眼鏡に別れを告げた彼はいつかのように柔らかな笑顔を見せることが多くなって、言葉も随分と丸くなって、穏やかで、彼という人がより浮き彫りになったように見えて。

そんな彼の変化が、当時死ぬ程心配していた私は嬉しくて、だけど少しだけ私だけが知っていた彼が周りにも知られていくその様に寂しくなったりもして、だから


「…せっかく堕ちて来てくれたのに」


「お前は俺に喧嘩を売ってるのか?」


「ギノさんの笑顔は、私だけのものだと思ってた」


「…馬鹿か」


やっと、彼と同じところで、同じ世界を見つめられるのだと思ったのに。そりゃ、私の見てる世界程、彼の世界は濁ってなんていないだろうけれど。

潜在犯を憎む彼が、私のことは受け入れてくれて、大事にしてくれていたのも自惚れではないと思う。監視官と執行官。その壁がどれほど高いかと落ち込む日々だったのに、するりと私を掬いあげて大切に大切に、…あれ、具体的な思い出は浮かばないや。

それでもなんだか彼氏をしてくれていたのだ。性格が性格だから別段甘ったるい雰囲気になるなんてことはなかったけれど、仕事中のちょっとした擦り傷だって心配するそぶりを見せてくれるくらいには、好意を向けてくれているのだろうと…思う。


普段は見せないちょっとした気の抜けたような小さな笑顔とか、緊張感がまるでない眉間の皺がない綺麗な顔とか、そんな顔を私には見せてくれるからすごく嬉しくて、ちょっとだけ優越感に浸っていたりもして。

特別なんだ、って勘違いしてしまうじゃない。仕事の出来るエリート。格好良くて、面倒見良くて、不器用だけれど誰よりも真面目に仕事をこなすその姿にときめきそっと好意を寄せている女の子だってたくさんいる。
そんな人たちには勿論、彼が比較的心を許しているであろう一係のメンバーにだって滅多に笑顔なんて見せないの。だからだから、そんな優しい顔してくれたら、ちょっとくらい独り占めしたいって思うものじゃない。


だから、そんな彼の素顔が少しずつ皆の知る彼の姿になっていくのかなって、そんなこと考えたら


「ちょっと、寂しい」


「俺にはまるで分からないな」


「潜在犯は差別される世の中だけど、ギノさんが潜在犯になって声をかけやすくなった人間は沢山いるんだよ。立場的にも…ギノさんの、雰囲気的…にも」


「そんなに変わったか」


「…元が怖かったの」


「お前やっぱり俺に喧嘩売ってるんだろう」


交わった視線に、ふっと小さく笑う彼。ああほら、またそうやって綺麗な顔して笑うから、私の心臓は大忙しだというのに。


「生憎俺はそう誰にでも優しくしてやる程出来た人間じゃない」


「無自覚め」


「お前が、俺を優しいと言うなら、それは俺が意図的にやっているものだ。気付け、馬鹿」


お前以外興味ない。そう言った彼はそのままぷい、と私に背を向けてしまったけれど、今のは反則だと思う。
きゅんとするどころじゃない。ずるい、いつもはそんなこと言ってくれないくせに。私だけが好きで、彼にあしらわれてばかりで、私が特別だなんてそぶり見せてくれないくせに。


「ぎっ、ギノさん」


「文句あるか」


「な、ない!」


気づいてる?それってつまり、私のことが好きだよって言ってくれてるようなものだってこと。


そんな一言に、私はすごくすごく、嬉しくなってしまうってこと。


「ありがと、」


照れ隠しに向けられたその背中に、思いっきり抱きつけば彼は慌てて鬱陶しいだの離れろだの言うけれど、振りほどかれないまま彼の手は私の手に重なるから私はにやにやと緩む頬を隠すように彼の背中にすり寄る。


くすぐったそうに動いた彼が、向き直って抱きしめてくれるまであとすこし。




fin.


ぽちぽちっとありがとうございました。
吹っ切れた彼が、少し穏やかになってたらいいなあという願望。




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