不思議なクラスメイト

 校舎裏の池に咲く睡蓮を見て、半年前に転校してしまった同級生を思い出した。
 ピンク色の花は彼の中性的な顔立ちを表すようでなんだか目が離せない。彼には女の私からも見ても美人だという印象を受けた。一切着崩されていない制服に細い腰がより彼の女性らしさを強調させていたが、体格は同級生たちよりもがっしりしていたことを覚えている。
 暑苦しい夏に涼し気に咲く凛とした花にまた彼らしさを感じた。

 もう彼との出会いは二年前になってしまうのか。高校一年生の春、廊下に大きく貼り出された座席表。隣の席に書かれていた名前が花京院くんだった。
 第一印象は頭の良さそうな人。がり勉っぽいなとかそんなんじゃなくて、知的で大人っぽい印象だった。藤色の瞳が少し伏せられて彼の手元にあった文庫本に視線が向けられていた。
 高校生という青春の象徴ともいえる輝かしい三年間にむけて、教室の中は興奮と期待に溢れているというのに彼だけが違った。冷ややかな、この教室にもクラスメイトにも全く興味が無さそうで視線を向けている文庫本でさえ興味を持って読んでいるのか分からない。
 そんな彼に話しかけようとする人なんておらず、彼だけがこの教室で異質な存在だった。そんな彼に私は興味が湧いた。

「隣の席だね」

 椅子に腰掛けながら彼に話しかけると、ゆっくりと視線をこちらに移す。

「ああ、よろしく」

 彼は人当たりの良い笑顔をこちらに向けた後、またすぐに手元に視線を戻した。なるほど壁がある感じ。別に愛想が悪いとか警戒心がむき出しというか、そういう露骨な態度では無いけれど、彼の優しい笑みになんとなく壁を感じた。
 敵意ではなくあきらめのような。そんな壁。

「それ面白い?」
「ええ。とても」

 彼には会話を続ける意思が無いようで、今度は視線すら向けられること無く答えられる。緊張で心を開いていないのかと思っていたがそうでは無いらしい
 。また何か話しかけようと口を開きかけたところで、私が女子生徒から話しかけられてしまいその日はそれ以上彼と話すことは無かった。
 けれど彼に興味を持った私は隙を見て彼に話しかけた。最初こそ壁のある無関心な返答しかしていなかった彼も、私がめげずに話しかけているからか一ヶ月もすればある程度の会話をし合える関係になった。


「花京院くんって何座なの?」
「獅子座ですけど、どうしてですか?」

 私は友人から借りた雑誌を片手に彼に問いかける。開いたページは星座占いのコーナー。ごほんと咳払いをして私は獅子座の欄を読み上げる。

「今週の獅子座のあなたはとってもラッキー☆、満月に祈りをささげると願いが叶いやすくなるかも!ラッキーカラーはピンク!……だって」

 わざとらしく声をワントーン上げて彼に告げる。雑誌から顔を上げて彼の顔を見るとひどくあきれた顔をしてため息をついた。

「なにかと思えば星座占いか。ばかばかしい」
「信じないタイプ?満月にお祈りしないの?」
「しませんよ」

 占い事好きじゃないのか。どうやら彼はロマン主義ではなく現実主義だったみたい。

「願えば叶うほど、僕の求めているものは容易くないんですよ」

 彼は相変わらず手には文庫本を持っていた。彼の持っている本の表紙はころころと変わる。先週は赤い表紙だったものが今は対照的な青い表紙だった。

「それ面白い?」

 あの日のように聞けば彼は「ええ。とても」と同じように答えた。



 彼は本当に不思議な人だった。神経質そうなのに話してみるとどこか大胆で、綺麗な容姿からは想像が出来ないほど男らしかった。
 そして何より不思議だったのは彼はふとしたときに空虚を見つめていた。そこには何もいないのに、彼の藤色の瞳は確実に何かを捕らえていた。切なそうに、だけどどこか愛おしそうにそれを見つめる彼は絵になった。
 なにをいつも見つめているんだろう。いつの日だったか私は彼にそれとなく聞いたことがある。どこか期待を映した瞳はすぐにいつも通りの無機質な色に戻り、微笑を浮かべて答えた。

「なにも見ていないさ。君の勘違いですよ」

嘘つき。と私は思ったけれどこれ以上聞いても彼は答えないだろうし、きっと立ち入られたくも無いんだろう。あまりにも適当な相槌を打ったのか、彼に何と答えたか私は覚えていない。
 いつか話してくれるかもしれないとあの頃は淡い期待を抱いていたなあ。もう彼は転校してしまったから、真相を知ることは出来なくなってしまったけれど。
 彼は元気なんだろうか。向こうでも相変わらずの淡白さを保っているんだろうか。それは……、それはあまりにも寂しい気がした。
 今日は花京院くんのことが頭から離れてくれない。今まで忘れていたというか、気にせず変わらない日々を過ごしていたというのに。友人達と帰路を歩きながらあの睡蓮を思い出していた。

「ねえ、夏休み何する?」
「お祭りも行きたいし、海に行って花火なんかもしたいよね!」

 そんな私には気づかず彼女達は夏休みの予定をたてるのに夢中みたい。私も相槌を打ちながら決まっていく予定に胸を躍らせた。一ヶ月とちょっとの夏休み。やりたい事を全てやるには短すぎるし、かといって持て余すのには長すぎる。
 夏の始まりを知らせるかのように煩わしく鳴くミンミンゼミの合唱を背に私は友人たちと別れる。一人きりの帰路。皮膚をジリジリと焦がされている感覚を味わいながら彼と過ごした、そして過ごせなかった夏の数時間を思い返す。



 期末テストも終わり、半ば寝不足の頭を叩き起して登校した始業式。
 長ったらしい校長先生のありがたいお言葉に船を漕ぎ、教室で配られた大量のプリントを乱雑にクリアファイルに詰め込んで鞄に押し込む。そそくさと帰ろうとする隣の席の彼に私は慌てて声をかけた。

「ねえ、花火やろうよ花火。君の誕生日祝いに」
「僕の誕生日知らないだろ?」

 冷たい返しを受けたけれど私はめげずに言葉を紡ぐ。なんだか彼に夏休みの間一度も会わないなんて勿体ないというか寂しい気がしてならなかった。

「いいじゃん。花火しようよ。夏の青春の象徴だよ?」

 彼はあからさまに嫌な顔をする。多分出会いたての彼ならにこやかに断ったんだろうけど、今はそうじゃない。心を開いてくれたとポジティブに捉えておこう。彼は少しだけ考える素振りを見せたあと口を開いた。

「まあ、いいですよ」
「ほんと?」

 意外な回答だった。あんな顔を見せられたら十中八九断られると思ったから。いつにするか、どこで待ち合わせをするのか。そんな話をするために流れで一緒に帰ることになった。
 いやまあ私が勝手に着いて行ったという方が正しいけれど。私は彼の端正な顔をずっと見上げているというのに、彼は時たまこちらを見下ろすだけだ。私は首が痛くなってきているというのに何とも不公平なことだろう。
 たかだか二十数センチが恨めしい。

「でも楽しみです。花火した事がないので」
「家族とも?」
「ええ。覚えがありませんから」

 楽しみです。もう一度そう告げて久方ぶりに見せる笑みにどこかゾワゾワした感覚が背中を這った。