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 耳元で金属の揺れる音が微かに鳴り響いた。思わず身を翻し、地面へと降り立つ。先程私が座っていたところを見上げれば、奇術師が薄ら笑いを浮かべて立っていた。手にはトランプを持ち、その先端には微かに赤い液体がついている。
 反射的に首筋に手を添えれば、チクリと痛みが走った。少し掠ったらしい。毒は仕込んでいないだろう、彼はそういう戦いを好む人ではないから。

「集中してくれよ せっかくのデートなんだから

 ヒソカはそう言って先程の私と同じようにしゃがみ込む。
 回想終了。むしろここまで思い返す時間があったのだから、かなり遠くの場所に来られたのだろう。森の中の景色はただでさえ似通っているのに、夜で辺は上手く見えない。彼との距離感は勘で辿っていくしかない。

「少し早いけど走馬灯を見てたの」

 ヒソカの眉根が怪訝そうに寄り、口角が下がる。きっと、面白くないのだろう。煽ったつもりだけど、逆効果みたい。

「あまり萎えることを言うなよ せっかくのデートなのに
「安心してよ。あんたの分を見てたから」

 そう言って、私は腰から愛機を取り出す。四十五口径のピストル。予め入れて置いた念弾を飛ばせば、異空間への穴が開く。そこに落ちれば違う場所へと強制的にワープさせられる。これが、私の能力。逃避に軸を置いた、私の性格を表したような能力。
 私の能力にはいくつか弱点がある。
 一つ、出口となる穴は事前に設置しなければならない。出口の維持時間は十二時間である。
 二つ、出口はランダムで自分で選んだ出口に出ることは出来ない。
 三つ、入口から半径二キロメートル以内に設置された出口からしか出ることは出来ない。入口が自由に設置でき、尚且つ瞬間移動の能力を選んだけれど、攻撃向きでもなければ弱点が多い。言わば欠陥品だ。
 けれど、入口が閉じる瞬間、視界に入ったヒソカの口角は再び上がっていた。まだこの追いかけっこを続けてくれる意思があるのだ。そう感じただけでも、私は舞い上がってしまいそうだった。

 彼が会いに来なくなってから一年以上が経っていた。たまにメールを送ろうと作成画面を開いて、一文字も浮かばず何も送れない虚しい夜もあった。彼の連絡先を開いて電話をかけようか迷った日も、もちろんあった。
 彼を忘れようとした。けれど出来なかった。忘れてしまえば楽だと分かっているのに、彼を忘れる方法は分からないままで、虚しく縋ろうとしてそれすら出来ず、満たされない日々だけが変わらず続いた。
 なんの音沙汰も寄越さなかったくせに、突然ヒソカに呼び出されたのは一週間前のこと。忘れたいなら消してしまえばいいものを、消すに消せなかった彼の連絡先。
 震える携帯を覗き、ヒソカの三文字が表示された画面を見た私は瞬時に応答ボタンを押していた。

「久しぶり ねえ、今度デートしない?」

 開口一番に言われたのはそれだった。いつもの甘い声ではなく、どこか真剣な、冷徹さを孕んだ声。その声で途端に冷静になった。急に逆上せた体温が今度は一気に冷え込んでいく。

「どこに行くの?」
「そうだなあ 郊外の森なんかどうだい? 静かな所で二人きりになりたい

 指定された場所で、疑惑は一気に確信へと変わる。彼は私を殺すつもりなのだ。一週間後に。けれど悲しさも恐ろしさもなかった。ようやく収まるところに収まるのだから。
 時間を夜に指定して、私は彼からの電話を切った。やるべき事がたくさんあった。新しい服を買って、髪の毛を染め直して、私史上最高の姿で会いに行くために。だって、一年ぶりに恋人と会うのだ。お洒落に気を遣うのは当然のことだろう。
 化粧だってもちろんした。アイラインは彼への殺意に比例するように長く、リップは互いに流す血のごとく赤いものを施す。ヒールは低めのものを選んだ。沢山歩くから。
 今日のデートにハグもキスもセックスもないことは分かっている。けれど、愛だけはあると信じていた。本当に飽きたなら、きっとヒソカは戻ってこなかった。私のことなんて忘れて、新しい玩具を狩ることに夢中なはず。
 戻ってきてくれたことがヒソカからの愛の証明だと喜ぶことは、さすがに思い上がりが過ぎるだろうか。けれど、そうだとしか思えない。思いたくもない。
 出迎えてくれたヒソカは見慣れない格好をしていた。いや、これが彼の通常スタイルなのだろう。ハンター試験を共に受けていた時も似たような格好をしていたし。
 赤い髪は染め直したのかオレンジ色に染まっており、見慣れない髪飾りが耳元で揺れる。高そうなヒールは私でさえ履きこなせないだろう。
 彼はトランプを、私は銃を。構えた音が合図。

 出口から飛び出して、辺りを見回すためにまた木へと登る。少し遠いがヒソカの姿が目に映る。ハズレの穴に当たったみたい。ランダム性が楽しいからとこの能力にしたけれど、ヒソカと闘るには不適当。本当に私なんかのどこに才を見出したんだろう。
 ふっ、と見据えたヒソカと目が合う。バレた。やっぱりこの距離じゃバレる。能力を使ってもいいけど、少し待とう。惹き付けて、ギリギリで、突き放す。

「逃げてないで、ボクと遊んでよ
「逃げてるわけじゃないよ」

 迫るヒソカに言葉を返す。飛んできたトランプを避ければ背後の木に刺さる音が聞こえる。

「私ね、恋人には追いかけられたいタイプなの」

 だからもっと追いかけて、そのご自慢の"愛"とやらで捕まえて。それまでどうか、飽きないで。
 捕まりそうになったその刹那、地面に銃を放ち開いた穴へと飛び込んだ。出口からすぐさま飛び出る。何個か新たに出口を作りつつ、私は彼から距離を取るために、出来るだけ出口から遠のいた。
 本当は、この能力も未だ発展途上。このデートに合わせて作った能力だから。もともと強化系の修行ばかり強いられてきた私、本当は違う技を得意としていた。
 けれど、それで彼と戦いたくはなかった。彼が認めてくれたのは本質的な私。つまり、放出系の私自身。もっと早くから技を極めておければ、彼にとってもっと楽しい戦いになっただろう。それだけが心残りだ。
 私が逃げて、ヒソカが追う。きっとどこかで追いつかれる。穴に入る直前に、彼の愛に絡め取られてしまえばこの技は意味をなさない。それを分かってて彼が技を使わないのは、追いかけっこを楽しんでいるからか、私を舐めているのか。どちらかというと後者だろうけど。
 捕まって、肉弾戦になった時、それからが本番。彼と拳を交わらせるのは初めてだ。手合わせ一つしたことはない。本音を言うと怖かった。勝てない相手に挑む無謀者な考えは、本当は持ち合わせていないから。
 でもね、ヒソカ。私今とっても楽しいの。やっと本当の自分をさらけ出して、私を愛してくれた人と戦えることが嬉しくて嬉しくて堪らないの。ヒソカの禍々しい殺気で陥る恐怖よりも、その歓喜が上回っていた。
 だから、まだ終わらないで。追いかけて。私が満足いくまで愛してよ。
 銃声が鳴り響く。私は落ちる。見上げた視界に映る黄金色は、丸い月かヒソカの瞳か。まあ、どちらでもいいさ。この時間が続くなら、もうなんだっていい。
 
 最後のデートはまだ続く。終わるのは明け方になるかもしれないし、数分後かもしれない。正確なタイムリミットは分からない。ただ言えることは、ヒソカが私に愛想を尽かしたら終わるということだけ。
 死が二人を別つまで。きっと私を殺したら、ヒソカは私のことを忘れてしまう。彼は死人に興味はない。彼が私を忘れたら、それが関係の終わり。愛し合った日々もなかったことになってしまう。
 だからその時まで、もう少しだけ、楽しもうよ。ね、ヒソカ。
 
 二人で堕ちた恋の先、地獄に落ちるのは一人だけ。今は、まだ。