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 ヒソカとはそれから腐れ縁のような関係が数ヶ月続いた。試験終わりの電話も、最初の方こそいつ私の電話番号を知ったのかという教えてくれもしない問いの答えを聞き出そうと躍起になっていた。だけどそれが徒労に終わると、ハンター試験でのことを聞かれた。受かったよ、とだけ伝えると彼は抑揚のない声でおめでとうと伝えてくれた。ヒソカにとっては想定内のことだったんだろう。
 こんなにも思いの籠っていない祝福の言葉は、後にも先にもヒソカからもらったこの一言だけだ。
 その日の電話をどう締めくくったのかは覚えてない。適当な所でヒソカが切り上げたのかもしれないし、私が突然切ったのかもしれない。どっちであっても、覚えられていない過去に価値はないのだから、今更掘り起こすのも野暮だろう。
 それから何度か電話でやり取りをした。メールはあんまり使わなかった。私が電話に出なかった時、安否確認のようなメールがヒソカから送られてくることはあった。返すのも面倒だったので返信したことはないけれど。
 電話の用件は何と聞けば返ってくるのは無駄話ばかりだった。ヒソカが取るに足らない話しかしないことはいつからか分かりきっていたのに、なぜ私は電話をとってしまうのか。それは、私が彼との会話という行為に心を許してしまっていたからだろう。
 そんな気の緩みを、ヒソカは勘づいていたんだろう。いつも通り彼と通話をしていた夜だった。

「週末って予定ある?」
「なんで」
「食事でもどうかなって」

 カレンダーを捲るが何も予定は書き込まれていない。彼の誘いに私は二つ返事で了承した。
 その頃にはヒソカへの警戒心もすっかり解けきっていた。お互い出会った頃のような殺伐さはなかった。ハンター試験で見せた彼の冷酷さは幻だったのかと思うほどだ。試験官を半殺しにするところを、目の前で見たというのに。彼の印象を容易く歪ませるほど、彼との通話は居心地がよかった。

 約束の日。待ち合わせ場所に向かいながら私は少しの不安を抱えていた。本当に来るのだろうか、あの気分屋が。自身を気まぐれだと語ったヒソカが、ちゃんと約束を守ってくれるのか心配だった。
 しかし、私の不安とは裏腹に待ち合わせ場所で佇んでいたヒソカはハンター試験の時とは格好がまるで違っていた。道化師のようなメイクはなし、奇抜な服装ではなくてシンプルなスーツに身を包んでいる。髪型はセットしておらず、下ろされた赤髪から覗く顔は美麗と言わざるおえなかった。
 彼の前を通る女がチラチラと彼に視線を送っているのも頷ける。最近顔を合わせていなかったし、出会った時も奇抜さや異様さから全く気付かなかったけれど、彼って顔が良いんだ。

「まともな格好も出来るのね」

 皮肉めいた言葉をかけながら彼に近付けば、懐かしの微笑みを浮かべていた。三ヶ月そこらしか彼との空白はないはずなのに、あの激動の数日間が遠い昔のように思える。

「せっかくのデートだから
「面白い冗談ね」

 開口一番に発せられた言葉は私を驚かせるには十分だった。何? デート? ヒソカと、私が? 冗談にしても有り得なさすぎて思わず笑ってしまった。
 彼とは腐れ縁。恋人でも友人でもなんでもない、なんとも言えない名のない関係。だからこそ心地よかった。

「冗談じゃないんだけど
「ほら、行こ。店はヒソカが見繕ってくれてんでしょ」

 ヒソカの戯言を無視して促せば、彼は私の半歩前を歩き出す。数歩歩いてふと気付く。
 彼、歩幅を合わせてくれている。ヒソカとの身長は軽く見ただけで二十センチ以上はある。そんな私と彼では歩幅がかなり違うはずなのに。付かず離れず、彼は私の半歩前をキープして歩いてくれていた。
 五分ほど歩いただろうか、彼が突然足を止めた。

「ここだよ

 ここ、って言われても。目の前にあるのはエレベーターの扉だけだ。彼はボタンを押してエレベーターへと乗り込んだ。私もつられて彼の隣へと進む。押されたボタンは最上階。待って、嫌な予感がする。
 恐る恐る目的のフロアの店名を見ると、最近話題のレストランだった。この間テレビでようやく三ツ星が取れたかなんだかで今話題の店だと特集されていた。
 どうりで普段目を引く服装をしている彼がまともにスーツを着ているわけだ。言ってくれれば、私だって合わせたのに。この店に訪れる服装にしては、ちょっとカジュアルすぎる。

「不満げだね
「言ってくれれば、私もキチンとした服装で来たのに」
「サプライズの方が喜ぶかと思ったんだけど 次からは言うようにするね

 次もあるんだ。まあ、友人と食事に行くことなんて珍しくもなんでもないし、いいんだけど。

「サプライズは好きだけど、ドレスコードは守りたかった」
「気にしなくていいのに それに、今日のキミも十分綺麗だよ
 
 歯に浮くセリフに言い返そうとした瞬間、チン、とエレベーター内に小さく音が響いた。どうやら目的のフロアへと着いたらしい。エレベーターの扉が開くと、豪華絢爛な店内が視界に広がる。いかにも高級店って感じ。なんだか落ち着かなくて、忙しなく店内を観察しているとヒソカに突然腕を組まれた。

「行くよ

 私が内装に気を取られている間、彼は受付を済ましてくれていたらしい。声をかけてくれればついて行くのに、どうして腕を組んでいるんだろう。エスコートのつもり?
 案内されたのは個室の席。ヒソカが自然に椅子を引いてくれたので、軽く会釈をして席に着いた。店員から手渡されたメニューを広げ、アルコールの欄を眺めながら考える。
 明らかに手馴れすぎている。ここへ来る時の歩幅もそうだし、エレベーターで私をさりげなく綺麗だと褒めてくれたことも。さっき椅子を自然と引いてくれたところも含めて、明らかに手馴れている。
 ふと、ハンター試験での彼の言葉を思い出した。

『ボクね、気に入った子は生かしておくんだ。今殺しちゃもったいないから』

 あの気に入った子って、そういう意味? 軽そうと見られたってわけね。途端、お腹の奥の方からなんともいえない黒い感情が湧き上がってきた。見込みがあるとか言っときながら、結局はそういうこと。男って結局そういうところあるよね。
 ていうか、ハンター試験は出会いの場じゃない。第一、ヒソカは試験に落ちてるし。過程が優秀だったとはいえ、結果は私の方が優位だ。なのにこんな仕打ち、屈辱的すぎる。惨めさを通り越して怒りしか湧き上がってこない。

「ワイン飲もうと思うんだけど、キミも一緒にどう?」
「嫌」
「そう……?」

 絶対ヒソカの手には乗らない。ここで美味しい食事を味わうだけ味わって、終わったら即座に帰ってやる。自分自身が強いからって、魅力があるからって、そうなんでもかんでも思い通りになんてさせてやらない。
 そう思いながら、心の中で彼に舌を出して反抗の意を示してやった。
 食事はどれも美味しいものだった。さすが三ツ星高級店、名ばかりではない。メインディッシュに運ばれてきた牛ほほ肉の赤ワイン煮も、フォークを入れるだけでほろほろと身がほぐれる。口に運ぶと芳醇なワインの香りと、ほほ肉の旨みが舌の上で踊る。あまりの美味しさにほうっ、と息をつけば対面に座るヒソカは微笑んだ。

「口に合ったようだね」
「ええ、とっても」

 彼に返事をしながら、飲みかけのグラスに口を付けて酒を煽った。美味しい料理があると美味しいお酒も進んでしょうがない。もちろん、アルコールに流されずヒソカへの警戒は怠っていない。何か不審な動きを見せたら即刻帰るつもりでいた。
 けれど、私の警戒をよそに別段ヒソカに変なところはなかった。下心の籠った眼差しも、この後の行動を匂わせる話題もない。今まで電話口で話していたような他愛もない世間話や、口にしている料理の感想などを言い合う。
 状況はデートに近いけれど、内容だけ見てみれば友人同士で食事をしているという状況に変わりなかった。私の気の所為だったか、それとも彼は私に魅力を感じてないのか。どちらにせよ彼が手を出してこないなら、私の先程までの考えは杞憂だったという訳だ。
 六分の安心と四分の警戒。残り四分の警戒を解いてしまう余裕は、今のところない。

 食事を終えてデザートのアイスクリームも食べた。ガラスの器に盛られたそれは、冷たくて甘くて、アルコールで火照った体を冷ましてくれた。
 空になった皿とグラスを前にして、私に残ったのは満足感だけだった。
 席に着いたばかりの頃は、ここが終わったらすぐに帰る! なんて息巻いていたけれど、このまま帰るのは気が引けた。食事の余韻が抜けなかった。というより、ヒソカともっと話していたかった。
 でも、ヒソカの態度からしてこの後には何も用意されていないんだろう。きっと駅まで私を届けるか、一階まで降りて解散するかの二択。それはさっきまでの会話でなんとなく勘づいていた。けれど、私から誘うのもなんだか気が引ける。
 空になったグラスを指先で掴んで手持ち無沙汰にクルクルと回していると、察してくれたのかヒソカが口を開いた。

「キミさえ良ければ、もう少し付き合ってくれる?」

 ヒソカの問いに、私の出す答えは一択だった。

「喜んで」