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 死が二人を別つまで、なんて言葉が一番相応しい恋人同士は私たちだろう。
 そんなことを考えている暇はあるはずがないのに、どこか冷えきった頭の片隅でそんなことを呟いた。
 深い深い森の中。先程まであった獣たちの気配は一気に消え去り、辺りには私一人だけ。さっき派手にはしゃいでいたから、獣たちは本能的に逃げ出したんだろう。
 風が吹き、葉が揺れて、私の髪もそれに倣って揺れる。木々のざわめきは私にも逃避を勧めているように聞こえたけれど、生憎ここから逃げるわけにはいかなかった。荒い呼吸を整えようと深く息を吸い込む。体温より些か低い気温が私の肺を、頭を、少しだけ冷やしてくれる。
 今晩は綺麗な満月で、黄金に輝く月は愛しい人の瞳を想起させた。太陽のように眩しくはないけれど、確かな明かりを灯す月。そんな月を私は一本の木の上から見上げていた。
 思えば彼の瞳もこうやって見上げることが多かった。身長差だけで二十センチ、時折高いヒールを履く彼との身長差なんてもっと開いている。そんな埋まることのない差のせいで、私は彼が座る以外で正面から見つめあったことなんてなかった。ああけど、初めて出会った時はそうじゃなかったっけ。

 彼と出会ったのはハンター試験がきっかけだった。お互い受験生でしかもルーキー。話しかけてきたのはヒソカの方からで、初日の試験が全て終わり、次の試験会場まで飛行船の中で過ごしていた時だった。
 翌日に行われる試験会場までの船内を、私一人さ迷っていた。夕食を終えて明日のために眠って備えないといけないことは分かっているのだけど、どうにも固い床で眠れる気がしない。
 それに、体が少しベタついて気持ち悪い。どこかにシャワールームがあったはず、と歩いてきたはいいものの、意外と広い船内で迷ってしまった。誰も通らないし、他の受験者は寝ているものも多い。持て余した時間を潰すためだけに散策するには時刻が少し遅すぎた。ここが船内のどこか分からない以上、下手に動くのも体力を消費するだけ。
 そう諦めて私は船内に置かれている椅子に腰を下ろし、窓から目下に広がる暗闇を見つめていた。輝かしい夜景も、灰色の雲も見当たらない。広がっているのは闇ばかり。窓に反射した自分の顔は退屈そうな表情をしている。
 つまらない、そう今にでも陳腐な言葉を吐き出してしまいそうなほどに。
 ハンター試験は思ったより楽だった。命の危機を感じはするけれど、自分で対処出来てしまう程度で退屈。おまけに他の受験者達は皆、自分以外は敵だとでもいうような雰囲気を纏っていて気も休まらない。他人を蹴落としたところで自身の力が伴っていないと試験は受からないのに。
 次の試験会場に到着するまで残り約八時間。話し相手もいない中、何をして過ごそう。ここで突っ伏して眠れば少しは休まるだろうか。
 退屈と抑え込んでいる眠気が混じって一つあくびをこぼす。目を思いきり瞑ったからか、目尻に涙が溜まる。それを指で払おうと目を開けた時だった。

「っ!?」

 窓に映る人物が二人に増えていた。一人は私。もう一人は、

「やあ 奇遇だね
「ひ、ヒソカ……」

 窓越しに視線がかち合うと、彼は微笑んで挨拶をしてくる。私の口から間抜けに洩れた声は彼の名を呼んでいた。
 ハンター試験のルーキーの一人、ヒソカ。逆立てられた赤髪に道化師のような化粧、トランプのスートをあしらった服装は誰とも違う雰囲気を纏っている。その異様な風貌は、一目見たら忘れられない強烈な印象を受験者達に抱かせる。
 彼は誰がどう見ても要注意人物だった。先程の試験で何人かの受験者を手にかけたらしいというのを、受験生の何人かが噂していたのを聞いていたし。
 腹の底が知れない相手。今下手に逃げたり、能力で応戦しようとするのは避けた方がいい。そう判断した私は、観念して窓に映る彼ではなく、隣に佇む彼の顔を見上げた。

「隣に座っても?」
「……どうぞ」

 頭の中が警鐘を鳴らしている。逃げなければ殺られると。本能が警告している。けれど今焦ってはいけない。下手な行動をとれば死ぬリスクは格段に上がる。ここは様子を見て、逃げるタイミングを伺おう。
 思いのほか近い距離に腰を下ろしたヒソカから逃げるように数センチ腰をずらして、私は口を開く。

「私になんの用」
「そう邪険にするなよ ルーキー同士仲良くしたいと思っただけさ

 ルーキーは私以外にもいるだろうに。その言葉をぐっと飲み込んで、私は苦笑を浮かべる。
 でも実際、その言葉は建前だろう。他の受験者にヒソカから話しかけているのを見なかったし、彼に話しかけられたら誰でも逃げようとする。私も実際、今にでも逃げ出してしまいたいのだ。

「本題は?」
「ふふ、急いでるのかい? それとも無駄話は嫌い?」

 言葉に詰まる。急いではいない。寝るかどうか迷っていたところだったし。それに、ヒソカから害を加えられないのであれば、退屈しのぎに彼の"無駄話"とやらに付き合ってあげても良い。

「嫌いじゃ、ないけど」

 悩んだ末に吐き出した言葉はこれだった。だって、暇だったし。それに万が一戦闘に持ち込まれそうになった場合でも私には奥の手がある。
 彼がこの能力についてどこまで理解があるか分からないけれど、使えば一時的には逃げられる。大切なのは、タイミングを見誤らないこと。

「キミはどうしてハンターになりたいんだい?」
「別に、理由はない、かな。強いて理由を付けるとしたら、人生七回遊びたいから」

 自分でもつまらない回答だと思う。本当はもっと別の理由があるから。だけど彼に言うのは些か抵抗感があった。
 それに、雇われ試験官でもない人間には言う必要はない。彼に言っても言わなくても合否に関係ないのなら本当のことを言わなくたってバチは当たらないだろう。

「そういう貴方は?」
「ボク? キミと同じで確固たる理由はないんだけど、」

 ヒソカはそこで一度言葉を止めた。窓の外をぼうっと見つめて。口では理由がないと言いつつ、本当はちゃんとした理由があったりするのか。
 しかし私の考えとは裏腹に、何かを思い出したかのように瞳は熱に熟れ、薄い唇を舌でなぞる。

「ただ、人を殺した時に持っておくと免責になる場合が多いからね

 つまりは頻繁に人を殺すから、持っておいて損は無い便利な資格を取りに来たということ。オブラートに包まれているけれど、直接的に言い換えれば自分は人殺しと宣言していることに変わりない。
 恐ろしく不気味で、狂気的な回答。そして彼の身体から微かに漏れるオーラ。抑えきれないというような、楽しみで仕方がないと歓喜に打ち震えるような、そんな思惑が垣間見え思わず身構える。

「そう身構えないでよ 今は闘る気ないんだ

 視線をこちらに向けた後、彼は可笑しそうにクスクスと笑って私を宥める。そんなことを言われても警戒を解く方が難しい。やはり彼は異常だ。なるべく関わらない方がいい。
 それに、ヒソカも、

「でもキミも、"コレ"が使えるんだよねえ

 そう言ってヒソカは人差し指をたてた。反射的に凝を使うと彼の人差し指の上にはオーラでハートマークが作られていた。他にはなにもない。私にオーラが伸びているわけでも、なにか術をかけられた訳でもない。
 自身も念能力者だと明かしておきながらなにも仕掛けてこないなら、彼に本当に戦闘の意思はないのだろう。

「ボクが見た限り、受験生の中で念が使えるのはキミだけだ

 僅かに上がっていた口角は更に吊り上がり、金色の瞳が細められる。まるでようやくお気に入りの玩具を見つけた子供のように。
 やっぱりヒソカも念能力者だったか。普通公にされていない念能力を修めるのはハンター試験が終わったあと。私と彼はイレギュラーなタイプ。まさか自分以外で既に念能力を習得している人がいるなんて思わなかった。けど、その考えは彼も同様だったらしい。
 突然、ヒソカは作っていたハートマークを消すとぐいっ、と私の顔を覗き込むようにして顔を近付けてくる。思わず体を逸らそうとしたけれど、彼の腕が背後に回りそれを防いだ。
 何をされるんだろう、やっぱり闘る気がないなんて嘘だったんだろうか。今ならまだ私の能力で逃げることは可能、だけどヒソカとの距離が近すぎる……!
 混乱しながらも目まぐるしく回る脳が決断を下す前に、ヒソカが口を開いた。

「キミ、放出系だろ
「は?」

 突拍子もない言葉に思わず間の抜けた声が上がった。殺害予告でもされるのかと思っていたのに、彼の放った言葉は私の念系統だった。
 いや、でもどうして分かったんだろう。私はまだ一度として念能力を使っていない。試験のために少し身体強化をするために使用はしたけれど、隠を使ったし、何より発は行っていない。なのに、どうして。

「短気で大雑把、放出系能力者の性格は大抵これ 当たってたかい?」

 末恐ろしい奴。念系統を見破るのは、それ相応の経験を積まないと出来ない。それも性格別で見るなんて、本当に何人殺したのか。無粋なことは聞かないけれど、それでも彼に対する恐怖は濃くなるばかりだ。
 それにしても性格別で念系統を見破るなんて、マトモな思考では思い付かないだろうに。

「放出系で合ってるよ。だから、私と闘っても楽しくないと思うけど」
「どうして?」

 正直に言うか一瞬迷った。ハンター試験の志望動機もそうだけれど、出会ってまだ数刻の彼に話す義理はない。ただ、志望動機と違ってこれは話すと見逃してもらえる可能性があった。今だけだろうが。
 戦闘意欲を失えば、去って行ってくれるかもしれない。今後も狩る相手として彼の頭の中から除外されるならそれがベスト。コンマ一秒迷って、私はヒソカに正直に話すと決めた。

「放出系って頭打ちの系統だから。私の能力も戦闘向きじゃなくて、どちらかと言えば補助系の能力だし」
「どんな能力?」
「教えるわけないでしょ。それより手、そろそろ離して」

 私の背に回されていた腕を指先でつつくと、彼はごめんと口先だけの平謝りをして、ようやく腕を離してくれた。さっきから背にある彼の手のひらの感触が恐ろしかった。
 二次試験の途中、彼は自らを奇術師と名乗り何処からともなくトランプを取り出したから。私の見えない背後でなんの素振りもなくトランプを取り出され、攻撃態勢に入られてしまえば私に勝ち目はない。
 彼が卑怯でなくて良かった。

「まあいいや 楽しみにしとくよ
「戦闘向きじゃない能力なのに楽しみなの?」
「ボクね、気に入った子は生かしておくんだ。今殺しちゃもったいないから」

 ヒソカは笑って、そう告げた。まるで私の命はもう既に自分が握っているとでも言うように。獲物を捕らえたような、じっとりと重い視線が注がれる。
 
「キミは見込みがあるよ だから楽しみなんだ

 ヒソカに能力を見せる時、それはヒソカと戦う時。そんな日、一生来ないことを願うばかりだ。きっとその日は私の命日になるのだから。
 彼がニコニコと無邪気な笑みを浮かべる中、私は席を立つ。ここ辺りが潮時だろう。彼と深く関わり合うのも良くないだろうし、これ以上話すこともない。

「どこへ行くんだい? 待機用の部屋は向こうだけど

 そう言って進行方向と反対側をヒソカは指さした。

「シャワールームを探してるの。じゃあね」

 本当はシャワーは諦めようとしていた所だ。けれど、逃げる口実にはちょうどいい。さっきの会話で一月だというのに冷や汗もかいてしまったし。
 そうして角を曲がろうとした時だった。

「シャワールームなら曲がらずに真っ直ぐだけど?」

 曲がり角に差し掛かろうとしていた足を思わず止めた。ヒソカの方を振り向けば、笑いを堪えるようにして口元を手で抑えていた。
 途端、マッチが着火したように顔がカッと熱くなった。全身の熱が顔に集まるように、みるみる体感温度は上昇していく。
 羞恥。行き先を告げておいて、尚且つ目の前で道を間違えるなんて。

「お、教えてくれてありがとう」
「キミ、もしかして迷子だったのかい? 可愛いなあ
「迷子じゃない!」

 礼だけ言って立ち去ろうとしたけれど、ヒソカの言葉が水を差す。迷子だなんて、そんな。私は子供じゃないし、その言い草がなんとも揶揄われているようで癪に障る。
 反論してみても彼はまた可愛いと呟いてますます笑みを深めるだけ。傍から見ればなんという光景だろう、道化のような見た目をした男が私を笑う、まさしく矛盾した光景に、ここにはいない第三者は驚嘆の声をあげるのだろうか。
 穴があったら入ってしまいたい。本当に恥ずかしい。クスクスと未だ止むことのない笑い声をあげるヒソカを背にして、私は少しだけ歩幅を広げて歩みを進める。大股で歩いたり、走ったりするのは羞恥していることを彼に悟らせてしまうから。これ以上、恥に恥を重ねたくなかった。